オルガ

第二十七話 少女への想い

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「いっ・・・!」
「も、申し訳ございません、旦那様」
 呻き声とともに顔をしかめたフォスターをバックミラー越しに見て、運転手が恐縮した。
「~~~いや、君の運転は十分丁寧だ。気にしないでくれたまえ・・・」
 普段なら何のことはないマンホールを車輪が踏んだ揺れが、腫れたお尻に響いただけのことで、運転手が悪いわけではない。
「~~~ワイラーめ 、ここぞとばかりに・・・」
 これでもかとケインで打ち据えられたお尻にそっと手を当てたが、断念。
 さするのも痛い・・・。
 ともあれ、無事の帰路につけたことを安堵。
 国王には玉座の間にてかなり脅し文句を浴びせられた。
 保護下の縁者の宮廷侵入を許し、あわや王宮に踏み込ませるところだった監督不行届の件。
 すぐに事態を報告せず衛兵の労を増やし、個々に動いてすべて内密に済まそうとした件。
 領地没収の上、爵位剥奪は当然の処罰であると。
 ただ、フォスターはおそらく国王が内々に処理してくれようとしていることを、わかっていた。
 大事(おおごと)にするつもりならば、宮廷主催パーティーに集まった貴族たちの衆人環視の中でフォスターを連行したであろうし、近衛兵まで出動させまい。
 今から考えれば、フォスターが玉座の間まで歩かされた見知らぬ通路は、国王が緊急時に外苑へ脱出するための非常隠し通路だ。
 オルガの件でヴォルフを責め立てたのも、彼の丹心を見定めたかっただけだろう。
 本気でオルガを王太子妃になどと言っていない。
 そんなことくらい、宮廷では率なく振る舞い国王の腹心の位置につくヴォルフがわからぬはずないのに、彼は動揺を顕に喚き散らしていた。
 おそらくだが、国王はただ、もうオルガを辛い目に合わせないというヴォルフの言質(げんち)が取りたかっただけだ。
 それなのに、ヴォルフは我を失う慟哭を見せた。
 フォスターとて意外だった。
 償いたい気持ちは垣間見せていたから、己が非道を反省しているのであろうとは思っていたが、あの吐露は・・・。
 フォスターは隣で窓の外をぼんやりと見つめているヴォルフを眺めた。
「・・・お前のヤキモチは、自分を取り巻く周囲すべてに向くから、気付かなかったよ。お前は、オルガを一人の女性として、愛しているのだね」
 車窓の端に肘をついた手の平に顎を乗せたまま、ヴォルフは目を瞑った。
「・・・そうなのか?」
「そういう風に見えた」
「・・・私は、あんな風にオルガのことを思っていたのだな・・・」
 まるで他人事のような呟きに、苦笑。
「私にはわからんよ。どうせ二週間も家から出られんのだ。オルガとゆっくり共にいられる間に、自分に問うてみればいい」
 二週間の蟄居(ちっきょ)。
 それが、最終的にファスターとヴォルフに言い渡された処分だった。
「磐石の要を廃して、後世に無能王の誹りを受けたくはないのでな」
 ただ・・・。
 若き国王の外戚というだけでなく、彼もまた公私共に相談役として要のひとつであるのは認めるが。
「ワイラー、後は君に任せる」
 去り際に言い残した一言が、処分以上の厳罰を意味していることを、国王は知っているのだろうか。
 青ざめてワイラーを見上げたフォスターに、彼は実に愉快げな笑みを揺蕩わせてケインを両手でしならせた。
「さて、両卿。お仕置きの時間だ」
 思い出すだけで・・・というか、今も後部座席に座っているだけで辛いお尻に、舌打ち。
 ヴォルフもいくらか打たれていたが、降り注ぐケインはほとんどフォスターに向けられた。
「オルガもヴォルフ卿も、君の責任の元に引き受けたのだろう?」
 確かにその通りだが、それを理由としてワイラーの振るうケインは、仕返し以外の何物でもない。
 監督不行届の罰。宮廷を騒がせた罰。内密に済まそうとした罰。国王の手を煩わせた罰。二週間もの蟄居を命ぜられて議会を滞らせる罰。
 ここまでなら、いくら屈辱の極みである四つん這いでワイラーにお尻を向けるケインでの打擲(ちょうちゃく)とて、甘んじて受けよう。
 だが、ワイラーの振るうケインについ姿勢を崩す度に「反省の色がない」と、姿勢を戻す間がないほど連打され、ようやく戻れば戻ったで、戻れずいた時間分を「陛下への忠義心が足りぬ証拠」と仕置き延長を告げられ・・・思わず睨めば・・・。
 お尻が痛い・・・・・・。
 ズボンの上からとは言え、あの執拗な打擲によくぞ泣かなかったものだと、自分を褒めてやりたいくらいだ。
 走る痛みに許しを乞いたい一心で、ワイラーに首をねじ向けて見上げるたびに、意地が芽生えた。
 目が合うと、ワイラーは実に楽しそうに微笑むからだ。
 こんな男に謝罪などしてたまるものかと、唇を噛み締めて痛みに耐えて・・・。
 結果、かつて味わったことのないほど腫れ上がったお尻で、帰路につくことに。
 後悔。
 今にして思えば早々に泣いてでも謝って、ワイラーの興を削げば良かった。
 矜持など、ワイラーを喜ばせるだけであったろうに。
 それにつけても、不思議なのはヴォルフだ。
 いつもフォスターの手加減に手加減を重ねた平手のお仕置きでさえわんわんと泣きじゃくるくせに、ずっと黙って四つん這いでケインを受けていた。
「・・・・・・ん? あ!」
 一時に色々あり過ぎてすっかり失念しいていたが、ヴォルフが身につけているのは尻革張り加工のズボンではないか。
「~~~お前、ずるいぞ・・・」
 道理で、痛みにお尻が逃げ惑うのはフォスターだけだったはずだ。
「痛い!」
「申し訳ございません、旦那様!」
「~~~いや。いや、気にするな、君は悪くない・・・」
 またしてもの軽い車の揺れに歯ぎしりして、運転手に言葉を掛けるフォスター。
 これはあくまで想像だが。
 もしあの場でヴォルフの反則に気付いて、それをワイラーに訴え出たとしよう。
 これはあくまで想像だが。
 ワイラーは「ほう、そうかね」と笑みを揺蕩わせるだろう。
 これはあくまで想像だが。
「ヴォルフ卿、そんなズルはいけないねぇ。これは丸出しのお尻にお仕置きせねば」
 これはあくまで想像だが。
「ああ、高位の侯爵が丸出しのお尻を晒されて打たれるならば、フォスター卿? 下位の君も、それに倣わねばならんねぇ」
 あくまで。あくまで想像であるが・・・。
「いいや! 想像なものか! そもそもあの男が、尻革張りを打つケインの手応えに気付かぬはずはない! 私の訴えを待っていたのであろう! あンのクソ公爵~~~!」
 大声で喚いたフォスターに、物憂げだったヴォルフが目を瞬く。
「わかっているぞ、あの野郎!! 標的は私だった! 何が仕置きか! これは仕返しだろうがーーー!!」
 突如喚き散らしたフォスターにヴォルフはしばし唖然としていたが、鬱々とした表情にようやく笑みを浮かべた。
「・・・何だか知らんが、安心した。お前でも、そんな風に子供みたいになるのだな」
 フンとそっぽを向いて、フォスターが頬を赤らめた。
「ああ! そうとも! 私だって完璧には程遠い若造だ! 最近はモートンに叱られてばかりだし、ファビオにすら怒られた!」
「そうか・・・、そうなんだ」
 静かに呟いたヴォルフを見て、フォスターはそっと彼の頭に手を伸ばした。
「・・・どうした?」
「・・・ん。私は、癇癪持ちだよな」
「・・・そうだな」
「何だかイライラして、腹が立つと、どうしようもなくなる」
「・・・随分、減ったけどな」
「そりゃあ、お前に叱られるのが、怖いもの」
 苦笑を浮かべるヴォルフは、大層大人びた顔をしていた。
 いや、フォスターと同年の大人なのだから、本来は当たり前なのだが。
「だから、我慢してるんだけど・・・」
「・・・我慢?」
 刹那、ボロボロとヴォルフの頬に溢れ始めた涙。
「・・・腹が、立つんだ、物凄く・・・」
 握り締めた両の拳に額を預けるヴォルフ。
「・・・何に?」
「・・・オルガ・・・」
 絞り出すように、ヴォルフが言った。
「どうしようもなく、腹が立つ。オルガがファビオと玉座の間を出てからずっとだ。これは何だ!?」
「・・・それはきっと、『安堵』と、いうものだね」
「・・・安堵?」
 初めて聞いた言葉とでもいうようなヴォルフの語調に、つい笑みが漏れる。
「宮廷に忍び込んだオルガが、ずっと心配だったのだろう?」
 こくんと頷いたヴォルフの髪を撫でる。
「人はね、大切な人を心配して、その心配が解消された時、すごくね、腹が立つものなのだよ」
「・・・お前も?」
「もちろん。心配して、安堵して、腹が立ってきて、叱る。もう二度とこんな心配させてくれるなという思いを込めて」
 ヴォルフが両手で顔を覆って俯いた。
「・・・あのな」
「うん」
「昔、もう、顔も名前も覚えていない男に、膝に乗せられて、お尻をぶたれたことが一度だけある」
「うん」
「ものすごく痛くて、私は泣いた。でも、男も泣いていた」
 その男というのがモートンだということは、フォスターしか知らない。
「馬の厩舎に一人で近付いてはいけないと、その男に言われていたんだ。けど、私は馬が見たくて・・・」
 厩舎に行き、大きな馬を間近で見られて、嬉しくて。
 馬の周囲を眺めて回り、不用意に後ろ足の蹄鉄に触れた。
 刹那、馬の足が勢いよく縮こまり・・・。
「セドリック様!!」
 ヴォルフを抱きかかえて馬に蹴られたのは、その男だった。
 恐怖で震えるヴォルフの頭を幾度も撫でて、「ご無事で良かった」と泣きながら抱きしめてくれた男の額から、血が流れていた。
 優しかった男の表情に、怒気が閃く。
「お一人で厩舎に近付いてはならぬと、申し上げましたでしょう!」
 小さな体は男の膝の上に腹ばいにされて、お尻をぶたれた。
 わんわんと泣きじゃくっても暴れても、泣きながら振り上げられる男の平手は止まらなかった。
「心配させて! 悪い子だ! 悪い子だ!」
 初めて叩かれたお尻はものすごく痛かったのに、腹ばいに感じる膝は温かくて、降り注ぐ平手は男の気持ちが伝わってきて、「ごめんなさい」という言葉が溢れてきた。
 けれど、それをたまたま見かけた母に男の膝から引き剥がされて、男は糾弾された。
 そして、男はいなくなった。
 ポツリポツリと語るヴォルフの話に、フォスターは息をつく。
 符号。
 馬と、額の血。自分をセドリックと呼ぶ者。
 ヴォルフの中に刻みつけられた、別れのキーワード。
 だからあの時、ヴォルフは失いたくない一心でファビオを病院に連れて行ったのだ。
 そんな幼い心のままのヴォルフが今、その男の・・・モートン側の心を理解しようとしている。
「・・・わかったよ、ヴォルフ。今回だけは、認めよう」
「・・・え?」
「お前が、オルガを叱りなさい」
「・・・でも・・・」
「うん。やり過ぎはダメ。もちろん、癇癪もダメ。・・・けど、今のお前なら、信じられるよ」
「~~~フォスター」
「オルガのこと、心配だったね。辛かったね」
 目に涙を浮かべてしがみついてきたヴォルフに、フォスターは盛大な悲鳴を上げた。
「痛い! 待て、ヴォルフ! 体重をかけるな! 痛いんだ! 頼むから離れてくれって! なあ、ヴォルフ!」



 モートンと共にお出迎えに出ていたオルガは、さすがにしゅんと神妙な面持ちだった。
 そんなオルガの頭を、そっと撫でる。
「心配させて。悪い子だ」
「~~~いっぱい、ぺん、する?」
 両手でお尻を庇って潤んだ上目遣いのオルガに、少し意地悪に肩をすくめて見せる。
「さあ? 今回のお仕置きは、私ではないし、わからないなぁ」
 オルガの目に、パッと喜びが浮かぶ。
「モートンはふぉすたにおしおきしてもらう、言ったよ。ふぉすたもしないのね。なら、おしおきはなし?」
 フォスターが思わず苦笑を浮かべた時、傍らから伸びてきた手がオルガを引き寄せた。
「~~~このバカ!」
 ヴォルフに肩を掴まれて怒鳴りつけられ、オルガはビクリと身をすくめた。
「あんなことして、殺されていたかもしれないのだぞ! どれだけ心配したと思っているんだ!」
「~~~だって・・・」
「だってじゃない! だってじゃ・・・」
 潤んだ瞳で見上げられて、ヴォルフは力なくその場に跪いてしまった。
「良かった・・・無事で、良かった・・・」
 オルガの存在を確認するように、しっかりと抱き寄せるヴォルフは、幾度も幾度もそう繰り返した。
「もう、会えないかと思った・・・。もう、こんな風に抱きしめられないかと思った・・・。心配、したんだ」
「・・・ヴォルフ・・・」
 オルガの両手が涙に濡れたヴォルフの頬を包み、彼もまたその手を包む。
 直後、優しく包んでいた手を強く握ると、ヴォルフは立ち上がった。
「来い。お仕置きにうんとお尻をぶってやる」
「え! やだぁ!」
 引きずっても歩こうとしないオルガを脇に抱えたヴォルフが自分の部屋に向かって歩いていくのを、フォスターが肩をすくめて見送る。
「旦那様、よろしいので?」
「うん。今回だけは許した。まあ、あれなら大丈夫だろう。お前もそう思わないかね?」
 階段に消えていくヴォルフの背中を、目を細めて眺めていたモートンは、黙ったまま幾度も頷いた。
「旦那様、この度のこと、誠に申し訳ございませんでした」
「オルガの養育責任は私にある。お前が責任を感じる必要はないよ。国王陛下にも叱られてしまった。仕事の一言で片付けていた私が悪いとね」
「陛下に!?」
 さすがに顔色を失うモートンに肩をすくめてみせる。
「蟄居二週間。まあ、安静にできてちょうど良い期間だな」
「安静?」
 もう立っているのも限界のフォスターは、モートンの肩にへなへなと体を預けた。
「歩くと痛いんだ・・・。モートン、寝室まで、担いで連れて行ってくれ・・・」



つづく





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