オルガ

第二十六話 糾弾と丹心

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「セドリック様!」
 内苑の庭園を見回しながら歩いていたヴォルフに、ファビオが駆け寄った。
「これ」
 ファビオが差し出したのは、今朝オルガが来ていたワンピースだ。
「この先の茨の植え込みの中に落ちていました」
 おそらく植え込みを掻い潜っている内に引っ掛かって進めなくなり、脱ぎ捨てたのだろう。
「・・・どの辺り?」
「あそこの、垣根手前です」
 ヴォルフは顔をしかめてワンピースを握りしめると、奥へと続く庭園を見つめた。
 これが内苑の植え込みにあり、それは前方の垣根付近とあれば、オルガは間違いなく、奥へ奥へと進んでいる。
「僕、ちょっと見てきます!」
「馬鹿、ダメだ!」
 境界線となる垣根を越えようとしたファビオの腕を、慌てて掴む。
「この向こうは王宮だ。私ですら王族の許可なく踏み込めん。ましてや平民のお前が侵入して弑逆容疑でも掛けられたら、処刑は免れまい」
「え・・・じゃあ、捕まったらオルガは!?」
 ヴォルフは垣根の向こう側に見える王宮の中庭を険しい顔つきで見据えていたが、やがてフォビオの前に屈んだ。
「ファビオ、お前は今この場で、解雇だ」
 突然のことで言葉が出てこないファビオの髪に、ヴォルフは指を絡ませた。
「ここから先は、私が行く」
「え・・・、でも今、王族の許可なしにはって・・・」
「私付きの小姓でいれば、お前まで類が及ぼう。巻き添えになる前に、お前は母親の元に帰れ」
 二人きりの時には見せたことのない「セドリック」の真剣な眼差しに、ファビオは必死で首を横に振った。
「何を大人みたいなこと言ってるんですか。セドリック様らしくもない」
「・・・うん、そうだな。でも、今は大人でいないと、お前を守れない」
「ずっと傍にいてって・・・居なくならないでと言ったのは、セドリック様でしょう!?」
「大丈夫、心配するな。私は侯爵だぞ。処分を受けたところで、命を取られることはない」
 静かに湛える笑みが、返ってファビオを不安にさせた。
「まあ、領地は召し上げられて、爵位剥奪。そうなったら、同じ平民同士、お前の家に世話になるかな・・・・・・泣くなよ」
「泣くよ、バカ! お前みたいな美食家、うちで世話できねーよ!」
 もう一度ファビオの髪に指を絡ませたヴォルフは、中庭の奥にそびえる王宮を仰ぎ見て息を飲むと、垣根に手を掛けた。
 パン・・・と乾いた音。
 呻き声を上げたヴォルフが、手の甲を押さえて蹲った。
「子供に嘘を教えてはいかんな、ヴォルフ卿」
 見上げれば、ケインを両手でしならせるワイラー公爵が背後に立っていた。
「侯爵であれ、王族の許可なくここに立ち入れば逆臣とみなされ逮捕、無論、爵位剥奪の上で真意の取り調べの為に拷問の末、配流か生涯幽閉、あるいは、弑逆の証言を引き出され・・・馬引き刑で八つ裂きだ。それくらい、知っているだろう」
「え・・・」
 愕然とするファビオに、ワイラーが微笑んだ。
「心配ない、少年。ヴォルフ卿はまだ垣根を越えていない。本来なら垣根に触れることすら厳罰に値するが・・・今のケインでお許しくださると、国王陛下の仰せだ」
 ヴォルフがサッと片膝をついて頭(こうべ)を垂れた姿に、ファビオは何事かと彼のひれ伏す先を見て、目を丸くする。
 そこには、どうにかシュミーズとドロワーズだけは脱がないままでいてくれたオルガが、男に抱きかかえられていた。
 男は街の銅像や肖像画で幾度も見たことのある、国王その人だった。



 オルガを探して外苑を歩き回っていたフォスターを、有無を言わさず取り押さえたのは近衛兵だった。
 伯爵号を受け継いでから幾度も出仕した宮廷でも、まだ見知らぬ通路を歩かされて連行された先は玉座の間。
 ここなら、公式行事の度に訪れた場所で、少しホッとする。が、玉座に目を向けた瞬間、息を呑んだ。
 そこには下着姿のオルガを抱いた国王が悠然と身を委ねており、数段下の床に片膝をつくヴォルフと、それを見下ろして立つワイラー公爵、そして、その隣に小さくなって立つファビオがいた。
「ふん。ようやくご到着か。フォスター伯爵、国王の御前であるぞ、控えい!」
 ザラザラと引いていく近衛兵から自由を得たフォスターは、慌ててヴォルフの隣に同じく片膝を折る。
 それを見届けたワイラーが咳払いをした。
「この・・・馬鹿者共が! この娘はお前たちの縁者であろう! 監督不行き届きだ!」
 行事ごとであれば人で埋め尽くされた玉座の間も、がらんどうなので彼の怒声が一際響き渡る。
「やん!」
 オルガの声に頭(こうべ)を垂れていた二人が思わず顔を上げると、両耳を塞いで縮こまっていた。
「誰が顔を上げて良いと言った」
 ツカツカと彼らの背後にワイラーが歩み寄った直後、お尻に鋭い痛みが走ってフォスターは堪らず呻いた。
 振り返ると、両手でケインの端を握ってしならせるワイラーの姿。
「何をしている。平伏せよと言っておろうが!」
 再び、痛烈な痛みがお尻に下る。
 フォスターは歯を食いしばって両膝を手折り、国王に平伏した。
「・・・そのような顔をするでない、フォスター卿。此度の一件、ワイラー卿が仔猫の侵入と近衛兵を説き伏せてくれたのだ」
「え・・・」
 ついまた顔を上げてしまい、平伏したお尻にケインを受けて呻き声を噛み殺す。隣で平伏するヴォルフも、じっと頭を下げ続けていた。
「やん! ふぉすた! ヴォルフ!」
「こら、暴れない」
 顔を上げられないので想像ではあるが、オルガは国王の腕の中を抜け出そうとしているのであろう。
 ベソベソとオルガのすすり泣きが玉座の間に響き、フォスターは今すぐにでも国王からオルガを取り上げたい気持ちを懸命に堪えた。
「オルガの、せい? オルガが、ふぉすたもヴォルフも来たらダメ、言ったのに、ここ、来たから?」
「そうか、ダメって言われたのに、来ちゃったの?」
「だってぇ・・・ファビオは連れて行ってもらえるのに・・・」
「・・・ファビオ・・・ああ、彼だね。彼にはね、小姓という仕事があるからだよ。お仕事って、わかるかな?」
 しばしの静寂。
「そうか。お仕事と言われても、わからないかぁ」
 国王の声に、フォスターは唇を噛んだ。
 国王はおそらく、フォスターとヴォルフに言っている。
「ちゃんと教えてもらわなかったものは、仕方ないね」
 ヒュンッとケインが風を切る音と共に、またしてもお尻に痛みが・・・。
「オルガはファビオと一緒に、先にお屋敷に帰りなさい」
「やぁ! ふぉすたとヴォルフも一緒ぉ!」
「ダーメ。彼らにはまだ、お仕事があるの。さて、ヴォルフ卿、フォスター卿、お仕事とは何か、オルガにわかるように説明してあげなさい。平伏は解いてよし」
 やっと床から額を上げた二人に飛び込んでくるオルガを抱きとめて、黒い巻毛を撫でさする。
「オルガ! オルガ! オルガ!」
 名を呼び続けて少女を掻き抱くフォスターとヴォルフに、国王が苦笑を滲ませていた。
「ごめんよ、オルガ・・・。訳も分からず置き去りにされて、寂しかったね」
 フォスターが涙を堪えた目で言葉を紡ぐ。
「あのね、オルガ。ファビオはね、お前よりずっと早起きして、まず、モートンのところ行くんだ」
「・・・モートン?」
「そう。お仕事を教えてもらいにね。ファビオはまず、掃除をする。掃除、わかる?」
「・・・お家、きれいにすること・・・」
「そうだよ。それをね、オルガや私、ヴォルフを寝ている間にしているんだ」
「ふぉすたもヴォルフもねんねしてるのに?」
「そう。それからね、新聞にアイロンをかける。私とヴォルフが毎朝読んでいる、新聞」
 オルガがこくんと頷いた。
「アイロンをかけないとね、新聞のインクで私とヴォルフの手や服が汚れてしまうといけないから。そしてね、ファビオはヴォルフの小姓だから、彼が着る服の準備をして、顔を洗うためのお湯を沸かして程よい温度に冷ましてタオルの支度をして、朝食の準備がどのくらいまで進んでいるかを確認してから、ヴォルフを起こしに行くんだよ」
 オルガはずっと神妙な面持ちでフォスターの言葉に聞き入っていた。
「ヴォルフを起こして彼が顔を洗ったら、準備した洋服を着せる。それから、アイロンを当てた新聞を渡して、彼がそれを読み終わるのを待って、朝食の支度が整った席に案内する。オルガは? その頃、どうしてる?」
「めいどがしらに・・・お洋服、着せて、もらってる・・・」
「そうだね。私とヴォルフとオルガ、三人で朝食を摂るね」
 オルガがコクリと頷いた。
「その時、ファビオはどうしてる?」
「・・・モートンと一緒に、おきゅうじ」
「うん、うん、そうだね」
「~~~オルガと、全然違う・・・」
 フォスターはオルガを抱きしめた。
「そうだよ。ファビオは、お仕事しているんだ。お仕事、わかった?」
 頬に、幾度も頷くオルガの髪を感じる。
「ごめんな、オルガ。知らないのに、お仕事だからって、それしか言わなくて、ごめんな」
「ふぉすた・・・オルガも、ごめんなさい」
「うん。うん・・・」
 首に強く絡みつくオルガの両腕をさすりながら、ふとヴォルフに目をやり、苦笑。
 困ったようにその場に立ち尽くすファビオに、ヴォルフが尊敬の眼差しを向けていたのだ。
 やれやれだ・・・。
 彼もファビオの献身を知らない一人であったか。
「オルガ。私とヴォルフのお仕事も、お屋敷に帰ったらちゃんと教えてあげるから・・・今は、国王陛下の仰る通りに、ファビオと帰りなさい」
 オルガが目を瞬いて、国王を指さした。
「こくおうへいか? あれをしなさい、これはしてはだめときめる、一番えらいひと?」
「こ、こら、オルガ!」
 慌てて国王を指差す腕を押さえたが、またお尻にケインの痛み。
「こくおうへいか、オルガのおねがいは?」
 玉座にもたれて足を組む国王が、クスクスと笑った。
「おしりぺんしてはダメと決めてください? あれはダーメ。来てはダメと言われたのに、来ちゃったオルガもお尻ぺんされなきゃだからね」
 上目遣いでプッと頬を膨らませたオルガの顔を、慌てて片手で覆う。
「躾がなっておりませんで、申し訳ございません」
「何。我が姫を見るようで、可愛らしいよ。さあ、オルガ。国王陛下にお尻ぺんされる前に、帰ろうか」
 膨れ面のオルガをファビオに押し出す。
 慌ててファビオがオルガの手を引いて玉座の間を出て行ったのを見送り、安堵。
「・・・さて」
 国王が呟いたのを受けて、フォスターとヴォルフが再び平伏した。
「どうにか、あの娘を王宮に入れる前に捕獲できたよ」
「~~~この度の不始末、誠に申し訳ございませんでした・・・」
 声を揃える二人を、国王は見下ろした。
「実に可愛らしい娘だね。年を尋ねても両手を広げるばかりだったが・・・」
 両手の指が示す数は十。
 すでに十三にもなるオルガは、時間が止められた時以降の年齢をよく把握していないのだ。
「・・・有り得ないね。背丈といい、顔立ちといい、王太子と変わらぬ年頃であろう?」
「それは・・・!」
 声を上げたのはヴォルフだった。
「単(ひとえ)に私の責任! 私が十の下町娘を買い取り、ペットとして飼い慣らしましてございます! 故に、あの娘には年相応の判断力がございません!」
 国王は苦っぽい笑みを口端に浮かべた。
「君のご乱行は聞き及んでいたよ。しかしまあ、あのようないたいけな少女を、あんな風にさせてしまっていたとはねぇ・・・」
「お待ちください、国王陛下! ヴォルフ卿はすでに十分反省なさっておられ・・・」
 フォスターはお尻の痛みに歯を食いしばり、思わず背後のワイラーを睨んだ。
「陛下がお言葉を掛けたのはヴォルフ卿だ。君は黙っていたまえ」
 仕方なく口を噤んだフォスター。
 国王は頷いて、更に言葉を継いだ。
「あそこまでとは思わなかったよ、暴君ヴォルフ侯」
 平伏したまま、返す言葉のないヴォルフ。
「あれでは、あまりに可哀相だ。それで、考えたのだがね・・・」
 膝を組み直した国王の気配。
「年の頃も良い。あの娘、我が王太子の妃に貰い受けようと思う」
「え・・・!」
 同時に顔を上げた二人の尻に、ワイラーのケインが唸る。
「~~~いっ・・・」
 顔をしかめて呻くフォスターを尻目に、ヴォルフが口を開いた。
「オルガは平民の娘でございます!」
「何、一旦ワイラー卿の養女とすれば、王太子妃となるに不都合はない」
「お考え直しください!」
「何故?」
 玉座についた肘に顎を預けて天井を仰ぐ国王に、ヴォルフは必死で首を横に振った。
「オルガには荷が重うございます!」
「公爵家姫君として、宮廷に行儀見習いの侍女とすれば済む話だ」
「オルガには務まりませぬ! 何卒、何卒ご容赦を・・・!」
「数年もすれば馴染む。君があの娘に課した数年同様にね」
「~~~嫌です!!」
 フォスターは目を瞬いて、声の限りに叫んだヴォルフを見た。
「お許しを! どうか、お許し! 国王陛下、私からオルガを召し上げないでください! あの子は、私のものです!」
「・・・物?」
 国王の瞳が、ひどく冷たい。
「私のものです! 誰にも渡せない! 私の大切な・・・救いです!!」
 彼の言葉遣いは、既に君主に対するそれでなく、国王は深く吐息を漏らした。
「・・・救い、ねぇ・・・」
「オルガは自身に非道を課した私を助けると言ってくれた! フォスターへと導いてくれた! ただ聖母のように微笑んでいるでなく、やんちゃもして拗ねて怒って、こんな私を、フォスター同様に接してくれる!」
 今にも国王に掴みかからんばかりのヴォルフに、フォスターは必死で掴んで抱き寄せた。
「愛おしいんだ! 大切なんだ! 私に必要な娘なんだ!! ~~~どうか・・」
 床に這いつくばるように平伏したヴォルフが、震える瞳を上げた。
「どうか、お願いです、国王陛下。私から、オルガを奪わないでください・・・」



つづく





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