オルガ

第二十五話 二人の幼子

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 書き上がった書類を読み返しながら、ヴォルフは窓辺の上座の執務机からフォスターを見た。
 壁側に据えられたフォスターの執務机では、彼もまた黙々と議会用の資料を作成している。
 しかし、ふと見る度に、フォスターの手はデスクに置かれた砂糖菓子の瓶に伸びており、目はずっと資料や作成中の書類を追っているが、口は砂糖菓子の為に動いていることしばしば。
 見ていて、何だか胸ヤケがしてきた・・・。
 それは傍らに控えているヴォルフ付きのファビオも同様らしく、時折フォスターを見て胸をさすっている。
 ヴォルフは席を立つと、フォスターの書いた書類を幾枚か手に取った。
「なあ、お前は砂糖がないと仕事ができんのか?」
「別にそういうわけではないが・・・この手の大きめの案件だと、甘いものが欲しくなる」
「その内、ボテ腹の中年になるぞ。ほれ、いつも汗だくのエノワ伯爵のように」
「年中お菓子を貪っている彼と一緒にするな。私が糖分を摂るのは、集中力を高める為だ」
「ふーん。その割に・・・」
 ヴォルフはフォスターの前に眺めていた書類を並べた。
「サインしているということは、これ、清書だろう。スペルが間違ってる。これとこれは二ヶ所、これは四ヶ所も」
「え」
 指摘された書類に目を凝らしたフォスターは、ガリガリと頭を掻いて顔をしかめた。
「これなど、致命的だ。予想収益が一桁多い」
「うわ! ~~~書き直しかぁ・・・」
 頭を抱えるフォスターに、ヴォルフが肩をすくめた。
「以前から言おうと思っていたのだが、お前は昔からそうなんだよ。案件内容そのものは視点も発想も賞賛に値するが、先へ先へと進もうとするあまり、ケアレスミスが多い」
 実に珍しい攻守交替のお説教風景に、傍らのファビオが笑いを噛み殺している。
「そんなことだから学生時代の成績も、一度も私に勝てなかったんだ。先生方がよく嘆いておられたぞ」
「勝とうにも、お前はいつだってダントツトップで、私はせいぜい十番圏内・・・」
「そのケアレスミスさえなければ私に匹敵したと言っている。お前にはいずれ議会の中枢で、私と並び立ってもらわねばならんのだ。国王陛下の期待を裏切らぬよう、しっかりしてくれたまえよ」
「・・・以後気をつけます・・・」
 懇々とお説教されて、不貞腐れ気味に言ったフォスターの様子に、ファビオは堪らず声を上げて笑った。
 その時、ドアが開いてオルガが飛び込んできた。
 その後を、モートンが慌てて追いかけてくる。
「こら、オルガ。ここはお仕事のお部屋だから、入ってきちゃダメでしょう。それに、ノックは?」
「だってファビオ笑ってたもの。お仕事おしまいでしょ」
 口を押さえたファビオは、フォスターとモートンから顔をしかめられて首をすくめる。
「少しお休みしていただけだよ。もう少し、モートンとお勉強しておいで」
「やん! オルガ、ヴォルフと遊びたい。ねー、ヴォルフ、遊ぼう?」
 オルガに飛びつかれたヴォルフがよろめいて自分の執務机に手をつくと、インクのボトルが倒れて書類が見る見る青く染まっていく。
 ヴォルフの顔に怒気が閃いたのを見たフォスターが立ち上がる。
「~~~この・・・!」
「ヴォルフ!」
 振り上げられた手。
 素早く彼らの元に駆けつけたのはファビオだった。
「・・・あ・・・」
 ヴォルフの視線が彼の額のガーゼを捉えた時、振り上がった手はゆるゆると収められた。
「・・・オルガ、まだ仕事中だ。フォスターの言う通りに、待ってろ。後でちゃんと遊んでやるから」
 フォスターとモートンは、安堵の息と共に顔を見合わせた。
「オルガ、ほら、ヴォルフもそう言っているだろう。聞き分けなさい」
 フォスターが両手を広げて呼び寄せたが、オルガはツンとそっぽを向いてしまった。
「~~~だって、ファビオはここにいられるのに・・・」
「ファビオはお仕事なの」
「ファビオのばか!」
 守った娘に突き飛ばされたナイトは、床に尻もちをついて呻いた。
「こら、オルガ! 何てことするんだ、ファビオに謝りなさい!」
「嫌!」
 フォスターはガリガリと頭を掻いて溜息をついた。
 一人に安心したら、もう一人。
「・・・モートン、今よりお前に、オルガの躾に関わることを許す」
「かしこまりました」
 言うが早いか、モートンは暴れるオルガを軽々と担ぎ上げて、恭しく一礼すると、部屋を出て行った。
 モートンが厳しいのは百も承知していたので今まで頼むのを躊躇っていたのだが、正直、手のかかる子供が二人となると、一人では手に負えない。
 フォスター家もまったく賑やかになったものだ・・・。



グッタリと後部座席のシートに身を委ねるフォスターに、隣に掛けたヴォルフが肩をすくめた。
「命令だと言えば、アレはすぐに言うことを聞くのに。痛い! 離してくれ!」
 耳を摘まれてもがくヴォルフに、顔をしかめて見せる。
「お前はまだそんなことをやっているのか。命令だけで人を動かそうとするんじゃない」
「離してくれよ! だって私はアレの飼い主・・・」
 にっこりと微笑んだこのフォスターの表情がどういう事態に繋がるのかを、ヴォルフも気付いたようだが逃げ場がない。
「~~~ご、ごめんなさい」
「言っただろう? お仕置きから逃げたいだけの『ごめんなさい』は受け付けません」
 あっという間に後部座席の中央に移動したフォスターの膝の上に、腹ばいにされたヴォルフをバックミラー越しに眺めていたファビオが肩をすくめた。
「あ! お前~~~、仕立て屋を呼んだと思ったら、こんな細工をしていたのか!」
 だからマズイと言ったのに・・・と、ファビオは頭を掻いた。
 先日、乗馬パンツの尻革張りでは効果なしと言ったフォスターの言葉に閃いたらし大きな子供は、普通のズボンの内側に革張り加工をすればバレないと思ったらしい。
 仕立て屋にこの加工を施した服にすべて差替えさせたのだ。
 手応えでバレないはずはないし、そんな小細工をしたとなれば、確実にひん剥かれる上にお仕置きの厳しさも増すのは目に見えているというのに・・・。
「ファビオ、お前、知っていたのか。こういう庇い方をするんじゃない!」
「はぁい、すいません」
 この流れ弾的お仕置きにはさすがに気の毒さを覚える。
 そもそもはオルガのやんちゃの話だったのに、余計なことを言うから・・・。
「やだ! こんなところで捲るな!」
「そうはいくか、馬鹿者が。こんな小細工に無駄遣いしおって。そもそも、叱られないようにしようとする努力の前に、これか? そんな悪い子はうんと懲らしめてやるからな」
 ピシャピシャと素肌のお尻がぶたれる音と悲鳴に、ファビオは耳をふさぐ。
 仕事の指摘を毅然とやってのけるくせに、どこか子供の部分はオルガと並列。
 今日は宮廷に出仕の日で、朝から支度に忙しかったフォスターとヴォルフに、オルガがずっと駄々をこねていたのだ。
 一緒に行きたい。どうして、駄目なのか。お留守番は嫌。
 一番の言い分はこれだ。
「だってファビオは行くのに!」
 ファビオとしてはオルガの気持ちもわからなくない。
 ついこの間まで下町で一緒に遊んでいた子供同士が、片や同行、片やお留守番では、そりゃあ面白くないだろう。
 宮廷など堅苦しいばかりで面白い場所でも何でもないが、実際体験させてやるわけにもいかないから、フォスターも説得に一苦労していた。
 モートンが主に助け舟を出したものの、結局、オルガはプイと姿を消してしまったし。
 ヴォルフはフォスターと同い年であるし、オルガは十三歳。
 一番年少の自分がしっかりしなければならない状況に、溜息が漏れるファビオだった。



「やあ」
「・・・これはワイラー卿、先日はどうも・・・」
 車を降りてかち合ったワイラーに、フォスターは些か戸惑う。
 皮肉の応酬を繰り広げていた間柄だけに、迷いを払拭してくれた彼にどう接して良いものか悩むところだ。
「おや、そちらもかね。奇遇だねぇ」
「は?」
 ふと見れば、ワイラーに伴っている奥方がお尻をさすっている。
 そして、フォスターの後ろに立つヴォルフも同じく。
「~~~」
 何が奇遇か。趣味のスパンキングと一緒にしないで欲しい。
「はて、奇遇かどうか・・・。そちらの奥方様が、ワイラー卿のお手を煩わせるようにはとても見えませんが」
「何。今夜のパーティーにと仕立て屋を呼んだはいいが、一度に何着も作らせるような無駄遣いをするのでね。ちと懲らしめてやった」
「・・・・・・」
 理由まで被り気味で、少々頭痛がする。
「しかしまあ、君の無礼もいっそ清々しいね。侯爵に仕置きとはねぇ」
「そうです! もっと言ってやってください、ワイラー卿! この男の無礼に、私はいつも泣かされているのですよ」
 ヴォルフめ、調子に乗ってきたな。
「ほお、いつもねぇ。この公明正大な男が訳も無く仕置に至るとは思えんし、君も相当おいたをしているようだ」
 ニヤニヤとするワイラーに、ヴォルフは頬を紅潮させた。
「そんなにフォスター卿のところが嫌なら、私のところに来るかね? 国王陛下にもう一度請願してあげようか」
 ヴォルフは顔を真っ青にして首を横に振った。
 どうやら、イザベルに聞いた折檻地獄を思い出したらしい。
「ヴォルフ卿の御身は私が国王陛下にお預かりする許可を頂いております故、ご遠慮いたします。ただし、一晩二晩であれば、ワイラー卿のご指導を仰ぐのもよろしゅうございますなぁ」
 いよいよ顔色を失ったヴォルフが必死でしがみついてきたので、頭を撫でてやる。
「冗談ですよ、ヴォルフ卿。ワイラー卿、この方は私の大切な友人でもありますれば、どうかご容赦を」
「そうか、そうか。残念だ。では参ろうかね、ヴォルフ卿」 
 侯爵以上は控え間が違うので、ワイラーの後ろをトボトボとついていくヴォルフを見送る。
「痛い!」
 やおらお尻をつねられてフォスターは驚いて下を見ると、ファビオがジットリと睨み上げていた。
「冗談でも、あれはいけませんよ。反省してくださいね」
 そう言い残し、ヴォルフの後を追って駆け出した少年の後ろ姿に頭を掻く。
「・・・はい、すいません。以後気をつけます・・・」
 ヴォルフが見放されることを極端に恐れているのを知りながら、確かにあれはまずかった。
 調子に乗ったのは自分の方であったかと、フォスターはファビオの指摘に反省しつつ、案内人に誘われて控えの間に歩き始めた。



 活気ある議会。
 上座に座るヴォルフが澱みない弁舌で改正法案の主導権を握っている。
 内容はフォスターが提案したものだが、中枢部の議員であるヴォルフの論調に誰もが耳を傾けていた。
 フォスターが下ごしらえし、ヴォルフが調理する。
 スパイスを効かせたワイラーの投げかける質問が、議会の内容に更に深みを増す。
 この体制が整い始めてから、国王も満足気に議会で黙っていることが増えた。
 国王の独壇場であった議会が全員参加の討論場となっており、議会終了時には、誰もが生き生きと会議室を後にするようになっていた。
「フォスター卿」
 国王に呼び止められて、フォスターは深く一礼した。
「実に有意義な時間であった。君がヴォルフ卿と結んだことは、我が国に万遍ない明かりを灯しそうだね」
「勿体無きお言葉、恐れ入りましてございます」
「ワイラーが褒めていたよ」
「・・・は?」
「正義感だけの堅物の若造かと思っていたら、人間らしい葛藤を抱えた面白味もある青年であったと」
 あのワイラーに褒められても複雑な気分だ。
「ヴォルフ侯爵のご乱行もナリを潜めたようだしね、我が治世は磐石となりそうで、嬉しい限りだ」
「・・・痛み入ります」
「ところで、今日は私への献上品に生き物を持ってきたのかね?」
 唐突な質問に目を瞬く。
「いえ。己が提案のある議会に献上品など・・・」
「で、あろうなぁ。君が賄賂のような真似をするとは思えんし」
「あの・・・何分察しの悪い若輩者でございますれば、どういうことか見当がつかないのでございますが・・・」
「いや、衛兵たちが騒いでいてね。フォスター家の使用人車両の荷を降ろそうとトランクを開けたら、何やら生き物が飛び出してきたと」
「・・・は?」
「黒い巻き毛をたなびかせたそれは植え込みに姿を隠して、今も見つからないそうだ」
 フォスターは言葉を失って額を押さえた。
「も、申し訳ございませんが、御前、失礼仕ります」
 どうにかギリギリ礼を失することなく国王の前を去ったフォスターは、走りたくとも走れない宮廷の回廊を足早に歩いていた。
 フォスター家の車のトランクに忍んだ黒い巻き毛など、思い当たるのは一人しかいない。
 ふと見れば、すでに噂になっているらしいそれを聞きつけたか、顔色を変えたヴォルフがフォスターを見つけ、こちらもまた足早に歩を進めてくる。
「聞いたか!?」
「ああ、今、陛下から・・・」
「嘘だろう、あいつ・・・! 宮廷に忍び込むなど、下手をすれば・・・!」
 その場で射殺されても、文句は言えない。
「とにかく、探そう。パーティーまでまだ時間がある。ファビオは?」
「すでに捜索に向かわせた。同じくらいの体つきなら、潜んでいそうな場所もわかりやすかろうと思ってな」
「良い判断だ。王宮兵士に見つかる前に、何としてでも探し出さねば。私は外苑周辺を探す。お前は・・・」
「内苑だな。私の方が動ける範囲が多い。連絡場所は談話室で」
 互いに頷きあった二人は、各々の担当箇所に向かった。
 オルガ。
 ここにきて、こんな形で、失いたくない。
 やんちゃでも、駄々をこねる姿でもいい。
 傍に。
 ずっと傍に。
 この時、二人の思いは初めてひとつとなっていた。



つづく






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