オルガ

第二十四話 幼き侯爵

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 帰りの車中、フォスターは窓の淵に肘を付き、じっと流れる景色を眺めていた。
 よもや、あのワイラーに諭されることになるとは・・・。
 自分の見損ないをなかったことにしようとしていると指摘された時は、本当に腹が立ったが、腹が立ったのは、それが事実だからだ。
 自嘲。
 オルガを手元に置くようになって以来、ヴォルフまでも引き受けることになり、淡々とこなしてきた生活が一変し、何やら自分を見つめ直す機会が増えてしまった。
「・・・存外、未熟者だったのだな、私は・・・」
 それを支えてくれたモートンがいたから、どうにか一人前のフリをしてこられたのだと、痛感する。
 見えてきた我が家の門扉に、襟を正した。
 さあ、オルガやヴォルフにとって、自分はそんな人間になってやれるのだろうか。
 主人の帰宅に、立番の守衛が門を開ける。
「ん?」
 フォスターは我が目を疑った。
 車が門をくぐるのと同時に、中から馬が駆け抜けていったのだ。
「え? アロー号? え? 何?」
 脱柵かと思ったが、振り返って見れば角を曲がって消えていくアロー号の背中には、一瞬だったが騎手の姿が見えた。
 フォスター家で当主以外に、あれ程の乗馬技術を持っているのはヴォルフだけだ。
 車に後を追わせようかとも考えたが、無理だ。
 車道を疾走する馬を車で追ったところで、ほかの車を巻き込んだ大事故に繋がりかねない。
 とにかく玄関ポーチまで車をつけさせたが、出迎えの使用人の中にモートンの姿がない。
 これは、何かあった。
 ため息混じりに髪を掻き回した時、泣いているオルガを連れたモートンがやってきた。
「旦那様、おかえりなさいませ。申し訳ございません、実はヴォルフ侯のお姿がなく、オルガ様はお泣きになるばかりで、・・・」
「先程、アロー号で市街に出るのと擦れ違ったよ。オルガ? 何があったのかな?」
 わんわんと泣きじゃくっているオルガを抱き上げて、あやすように背中を擦りながら問いかける。
「ファビオが! お顔! 血!」
 モートンが吐息を漏らす。
「この通り、要領を得ず・・・。申し訳ございません、お留守を預かっておきながら・・・」
「やむを得まい、お前は忙しい身だ。オルガたちに四六時中張り付いているわけにいかんだろう。・・・アロー号か。馬丁(ばてい)が何か知っているかもしれないな」
「かしこまりました。急ぎ確認いたします」



 遠巻きではあったが、やはり馬丁は見ていた。
 事の仔細はこうだ。
 ヴォルフがオルガと厩舎に訪れた。無論、ヴォルフ付きの小姓、ファビオも共に。
 主人よりも高位のゲストが乗馬をしたいといえば、当然、馬丁は言うとおり準備した。
 ようやく泣き止んだオルガに聞いてみると、やはり、オルガが馬に乗ってみたいとヴォルフにせがんだらしい。
 サーカスしかり、シャボン玉しかり、ヴォルフがオルガの望むままを叶えてやろうという姿勢が窺える。
 おそらく、それが彼の贖罪の気持ちの現れなのだ。
 話に聞いただけではあるが、彼の両親は何もかも彼の思うままにすることで、愛情を示した。
 そうして育ったヴォルフは与えるということでしか、気持ちの表現方法を知らない。
 自分が跨る馬に乗せてやり喜ぶオルガの顔を、ヴォルフはそれ以上に嬉しそうに見下ろしていたと、馬丁は言っていた。
 オルガを下ろしたヴォルフが、自分の乗馬技術を披露すると、一層オルガがはしゃいでいたそうだ。
 大きな馬が軽々と障害を飛び越える姿にオルガの歓声が上がる度、ヴォルフはとても満足そうだったという。
 それがどうしてそうなったのか、遠巻きに見ていた馬丁にはわからないらしい。
 馬を下りて言葉を交わしていたオルガとヴォルフ。
すると、突如ヴォルフの怒声が響き、高々と振り上げられた乗馬鞭がオルガ目掛けて振り下ろされた。
 刹那、間に割って入ったファビオの顔が、鮮血で塗れたという。
 オルガが悲鳴を上げ、馬丁が駆け寄ろうとした直後、ヴォルフはファビオを抱えてアロー号に飛び乗ると、正門に一直線に駆け始めた。
 オルガが上手く説明できないので、この辺りはヴォルフとファビオに尋ねるしかない。
 アロー号が到着した先から連絡が入ったので、車で迎えに出た。
 主人専用の高級車に助手席とはいえ乗ることになった馬丁は、恐縮しきりで小さくなっていた。
アロー号が到着した先。それは病院だった。


 同行させた馬丁にアロー号を託し、連絡をくれた医師の名前を受付に告げる。
 お抱え医師がいる貴族が街の病院にやってくることなどないので、受付がにわかに色めき立った時、その老医師が診察室から顔を出した。
「フォスター伯爵ですね、お待ちしていました。どうぞ、こちらですよ」
 若い受付と違って、年の功か、老医師は落ち着いたものだった。
「いやぁ、参りました。往診に向かうところだったのですが、いきなり馬が駆けてきて、馬上から、『お前はこれを治せるか!』ってね」
 病室に案内してくれる老医師に、フォスターは幾度も頭を下げた。
「本当に、申し訳なかった。往診は行けず終いで?」
「知り合いの医者に変わってもらいました。急患が入れば、いつものことですよ。しかしまあ、馬上から物申されることも久しかったので、そちらに驚きましたね」
「はあ・・・、誠に、申し訳ない・・・」
 昨今、大通りを往来するのはほとんど車で、せいぜい荷馬車がのんびりと車の邪魔をしてクラクションが鳴らされるくらいのものを、疾走する馬にどれほどの人が目を丸くしただろうと考えると、頭が痛い。
「ファビオというお小姓の傷はご心配はいりません。切れたのが額だったので出血が多かっただけで深くはありませんし、縫合跡も子供の代謝ですから、いずれ消えます」
「ありがとうございます。抜糸まで、彼のことも往診リストに加えて頂けるとありがたいのですが・・・」
「それはもちろん。また馬で駆けつけられる途中に怪我人でも増やされては、かないませんからね」
「~~~申し訳ない・・・」
「さて、こちらです」
 老医師が病室のドアを開けると、ベッドに横たわるファビオが、床に跪いて彼にしがみつくヴォルフの頭を撫でていた。
「ああ、旦那様」
 入ってきたフォスターを認めたファビオが口を開くと、ヴォルフがビクリと身をすくめて、ベッドの下に潜り込んでしまった。
 思わず苦笑が滲む。本当に、幼い子供のようなのだから・・・。
「ファビオ、大丈夫かい?」
「平気ですよ。怪我より、麻酔もなしで縫われた方が痛かった」
 老医師が肩をすくめて出て行った。
「一体、何があったんだね?」
「あー、えーと・・・」
 ファビオが天井を仰いで頬を掻いていると、ドンと音がしてベッドが小さく揺れた。
 ヴォルフが言うなという意思表示で、ベッドの下で拳を振ったのがわかる。
 ベッドの下を覗き込んで見ると、ヴォルフが慌てて床に顔を埋めた。
 やれやれと頭を掻いたフォスターは、ベッドの端に腰を下ろした。
「いいから、教えなさい、ファビオ。ヴォルフは街中で馬を駆るような危険を仕出かして、既にお仕置きと決まっているんだ」
 ベッドの下でヴォルフが浮かべた表情は想像できる。
「後は、情状酌量の余地が君の証言にあるかどうかだけだよ」
「・・・なら、少しは温情をかけて上げてくださいね。セドリック様が馬で市街に出たのは、僕の為なので・・・」
 ファビオの話す経緯はこうだった。
 オルガを乗せて馬で中庭を一周した頃、少女が言った。
「ふぉすたの写真みたい、できるの?」
 それはフォスターの書斎に飾ってあった、学生時代の馬術大会での写真である。
「できるさ」
 そう言ってヴォルフが障害を飛んで見せる。
 オルガはすごい、すごいとはしゃいでいた。
 ひとしきり自分の技術を見せつけて胸を張って馬を降りたヴォルフに、オルガが言う。
「写真のふぉすた、もっと高いの飛んでたよ? ヴォルフとふぉすた、どっちすごいの?」
「私だって、ここに高い障害があれば飛べる」
「じゃあ、ヴォルフとふぉすた、どっちがお馬さん早く走れるの?」
 ヴォルフが唇を噛んで乗馬鞭を強く握り締めたのを見たファビオは、これはまずいと思ったそうだ。
「うるさい! お前は、ふぉすた、ふぉすたと! 私とフォスターの、どっちがいいんだ!?」
 ヴォルフの怒鳴り声には慣れっこのオルガは、きょとんと首を傾げていた。
「どっちもよ。どっちも好き」
「お前は私の物だ!」
 そうして乗馬鞭が振られ、間に入ったファビオの額に。
 ファビオの額が切れて鮮血が流れたのを見て、オルガが泣き始め、ヴォルフが呆然とした。
「・・・ヤキモチでタガが外れた癇癪、か」
「みたいですね」
 流血に我に返り、更に、我を忘れた。
 ファビオを医者にと街中で馬を駆り、今に至るというわけか。
「わかった。ありがとう、ナイト・ファビオ。ちゃんとオルガを守ってくれたのだね」
 頭を撫でると、ファビオが照れ臭そうに笑った。そして、フッと表情を引き締める。
「あまり、厳しく叱らないでやってくださいね。ずっと、泣いていたんです。ごめんって。もうしないから、居なくならないでって・・・」
「・・・お前は、優しいね、ファビオ」
「話に聞いていただけの時は、本当になんて野郎だと、大嫌いだったんですけどね。一緒にいるとなんかこう、大人なのに子供みたいで、可愛くて・・・」
 ファビオはベッドのマットレスを幾度か叩いて続けた。
「セドリック様、聞いていますか。僕は居なくなったりしませんよ。ずっとあなたの傍にお仕えしていきますから。約束ですよ。もう、オルガに鞭を振るってはいけません。わかりましたか?」
 ゴソゴソと音がして、ヴォルフがベッドの下から這い出てきた。
 おやおや・・・。
 フォスターはオルガのナイトを雇ったつもりだったのに、どうやら、ヴォルフの小さな教育係を同時に雇っていたらしい。
「~~~お前、意地悪だ。さっきまで、全然答えてくれなかったくせに、フォスターがいる時に言うなんて、ずるい・・・」
「でないと、フォスター卿がお迎えに来た時、出てこなくなるでしょ?」
 床に座ってファビオに拗ねた上目遣いを向けていたヴォルフは、そろそろと傍らに腰掛けているフォスターを見上げた。
「お尻百叩き」
 そう言ったフォスターに、ビクリと首を竦めて再びベッドの下に逃げ込もうとしたヴォルフの上着を捕まえる。
「・・・の、つもりだったが、ファビオに免じて・・・年の数」
「~~~多い!」
「ゴチャゴチャ言わないの。ほら、おいで」
「ここで!?」
「だってお前、家に帰ったらオルガがしがみついて離れないのは容易に想像できるし。そうなると、翌日に持ち越し。それも嫌だろう?」
「~~~」
 渋々といった面持ちで、のそのそと膝の上に這い上がってきたヴォルフに苦笑。
 ズボンの腰に指を引っ掛けると、ヴォルフが悲鳴を上げた。
「嫌だ! せめてこのまま・・・!」
「尻革を当てた乗馬パンツの上から? そこまで甘やかせないな」
「痛っ・・・!」
 丸出しにされたお尻に据えられた平手に、ファビオも我が事のように首をすくめている。
「どうしてオルガに簡単に鞭を振るう?」
「だって・・・あいつは鞭を据えても離れていかないから・・・痛い!」
「オルガの優しさに甘えてばかりいるんじゃない」
「いっ! ・・・痛い~~~」
「今回だって、大事には至らなかっただけだ。もし目にでも当たっていたらどうする」
「痛いっ、ごめ・・・ごめんなさいぃ・・・!」
「もうしないと、ファビオに約束したんだね?」
「痛い! した! 約束したぁ!」
「では、私にも約束してもらおうか」
「ひぃ! 痛いぃ・・・する! 約束するぅ! もうしない! もうしません!」
「約束を違えたら・・・」
「~~~痛っ、痛いぃーーー!!」
 二発続けての一際鋭いしなりを加えた平手に、ヴォルフの顔と足が跳ね上がった。
「今ので百叩きだからな。よく覚えておきなさい」
 幾度も頷くヴォルフを見下ろしながら、フォスターは痛み始めた手の平を揉みほぐす。
「さて。後二十か・・・」
 呟いたフォスターに泣きべそをねじ向けて、ヴォルフが必死で首を横に振った。
「もうやだ・・・お尻ヒリヒリする・・・」
「ダメ、許しません。ここからが年の数に決めた理由だからね」
 密かに膝の上から逃げようとしている腰を、ガッチリと押さえ込む。
「ファビオに怪我をさせて、医者に診てもらおうとしたのはいい。だがね、何故モートンにお抱え医師を呼ばせなかった? 馬に車道を疾走させるなど、事故になったらどうする? その程度の判断がつかぬ年でもあるまい」
 ゆっくりと振り上がった平手に、ファビオは見ていられないとばかりにシーツを被ってしまった。
「ご、ごめんなさい! もうしません! もうしません! ごめんなさいーーー!!」
 そう繰り返し喚くヴォルフの泣き声とパンパンと響く続けざまにお尻を張る音に、病室前では消毒に訪れていた看護師が入室できずに困り果てていたのだった。



 ヴォルフとファビオを連れて戻ったフォスターに事の次第を聞いたモートンは、深い溜息をついた。
「ファビオは思いのほか、ヴォルフ侯の教育に向いておりまするな。初めて会った時に、旦那様から庇ってもらって懐いたようですが・・・」
 フォスターは苦笑を浮かべて頭を掻いた。
 ヴォルフとファビオはあの時が初めてではないし、そもそも、侯爵に対して「懐いた」という表現をモートンすら使ってしまう辺り、彼の幼児性は根深いということだ。
「ファビオはヴォルフ侯の扱いが上手い。先日も、このようなことがありまして・・・」
 曰く。
 本来、高位の貴族が自分で服を着る必要はないが、いつ何時没落するかわからない昨今、せめて自分で身支度くらいできるように指導していたのだが、ボタンが上手くはめられずにいつもの癇癪を起こして部屋に戻ってしまったヴォルフ。
 そのヴォルフが小半時程して、自分で着たのだと自慢げにモートンに身支度を見せに来た。
 その傍らに控えていたファビオに、そっと経緯を聞くと・・・。
「大したことじゃありません。僕と競争してみようと言っただけです」
 何でも、実家の近所の四歳児にそう持ちかけたら、せっせと自分で服を着て見せたので、それを転用しただけだと言う。
「はは・・・十二歳のファビオには、ヴォルフは四歳児並ということか・・・」
「・・・とは言え」
 モートンの吐息が深い。
「今回のような事態を未然に防ぐのは、ファビオには荷が重いかと・・・」
「・・・そうだなぁ。やはり、大人が常に傍についていないといかんか・・・。ファビオが成長するまでの間なり、執事をつけねばならんなぁ」
 そうは言えども、あのヴォルフを御し得る執事など心当たりが一つしかないフォスターが、不機嫌そうに髪をかき上げる。
「旦那様。私とて、手のかかるご主人様に手一杯でございますよ」
「・・・お前ね、そういう言い方はないんじゃないかね?」
 そう言いつつ、少し嬉しそうなフォスターに、モートンが微笑む。
「しかし、となると・・・だ」
 片手で顔を覆ったフォスターが呻く。
「・・・この家に、また、彼を? 嫌だなぁ・・・」
「私とて嫌です」
 珍しく本音を吐いたモートンと目を合わせ、二人は頷いた。
 ヴォルフ付きの執事の件は、保留。
 少しずるい大人の見解が一致した。


つづく





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