オルガ

第二十三話 苦い果実

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「嫌ぁ・・・やめて、ひどい・・・! こんなの、嫌ぁ・・・」
 木製のお仕置き台に、オリガはお尻だけを丸出しにされた姿で拘束されて泣いていた。
 ワイラーが特注で作らせたお仕置き台は、上半身を俯せに寝そべらせたアイロン台程度の幅の木板にクッションを張らせ、腰の部分を革のベルトで固定できるようにしてある。
 ちょうどお尻を少し突き出すような形で折れる膝置きにも、足の付け根部分で拘束できるベルトがあり、膝を置く部分にも厚手のクッション。
 折り曲がった膝の裏側にも足を揃えて固定できるベルトが配置してあるので、上半身や膝から下は暴れられるが、剥き出しにされたお尻は逃げられないようにしてある。
 肌として見えている部分は顔と手。それにドロワーズをずり下げられたお尻のみだ。
 晒されるお尻は、フォスターが来訪する今日まで叩かずにおいてやった。
 その方が、より本来の白いお尻が強調されて、あの男の苛立ちを増長させること間違いないのだから。
「そこで、そうして待っていなさい、オリガ。フォスター卿の前で、たっぷりとお仕置きしてやろう。今日はケインもパドルも準備しているからね。うんと痛いお仕置きになるよ」
「嫌ぁ! 痛いのは嫌ぁ!」
 泣き顔をお仕置き台に埋めるオリガを見て、ワイラーは腹の底から沸き起こる笑いを抑えられなかった。
 さあ、フォスター。
 どんな顔をするだろう。
 イザベルの時のように、簡単にはオリガを渡さない。
 お尻を打ち据えられて泣きじゃくるオリガを眼前に、どんな顔を見せてくれるのだろう。
 こんな高揚する気持ちは、久しぶりだった。



 やってきたフォスターを待たせていた応接間。
 ワイラーは笑いを抑えるのに必死だった。
 ソファに掛けていたフォスターが、ワイラーの姿を認めて立ち上がり、丁寧にお辞儀した。
「ワイラー卿、この度は謁見願いを快く受諾して頂き、恐悦至極に存じます」
「何。君とは少なからぬ縁を感じるのでね。聞いたところによると、今我が家に身を置く娘は、君の大学時代の初恋の人だそうではないか」
 さあ、一手差した。フォスターはどう返す?
「・・・お恥ずかしい限りに存じます・・・」
 ほお? 消極的一手に出たか。
 だが、油断はならない。
 この青二才は趣味の殿堂をあっさり掠め取り、あまつさえ、ワイラー邸の使用人に時間をかけた聞き込みを部下に行わせ、ワイラーの飽きた頃合を見計らってイザベルを取り戻す交渉を仕掛けてきた男だ。
「で? 今日は何用かね?」
「よろしければ・・・オリガと話をさせていただきたいのです」
「残念! それはできんな」
 要求を突っぱねられての、いつもの慇懃無礼な反論を待ち構える。
 あの小生意気で整然とした論法を吐かせた上で、オリガのお仕置きを見せつけてやれば、この品行方正を絵に描いたような伯爵は、どれほどの屈辱を味わうのだろう。
「・・・左様でございますか。ならば致し方ありませんね・・・。では・・・」
 待て。
「では? ではとは何だ」
「私は、これにて失礼致します・・・」
「ま、待ちたまえ」
 実にあっさりと席を立ったフォスターを、思わず呼び止める。
「それだけか?」
「・・・はい。貴重なお時間を割いて頂き、申し訳ありませんでした」
 これも? これも手の内なのか?
 そうは思えど、焦る。
 フォスターは本当にドアに向かって歩を進め始めるではないか。
「待て! 待ちたまえ! オリガに会いに来たのだろう!? そんなにあっさり諦めて帰るのかね!?」
「・・・ワイラー卿が会わせられないとおっしゃるなら・・・致し方ございませんし・・・」
「いや! 言ったが! 違うだろう!? ここは二度三度頭を下げても、良いのではないかね!?」
「・・・はあ。ですが、頭を下げてお願いする程のことでもないかと・・・」
 こ。
 これは、フォスターの戦略なのか?
 しかし、彼の顔に覇気がまったく見受けられない。
 放っておいたら、本当に帰ってしまいそうだ。
「いいから、来たまえ! 会わせてやる!」
 何故だ。
 思っていた展開と、違う。



 いやいや。
 巻き返しはここからだ。
 この扉を開けば、フォスターの顔色は一変しよう。
 それこそ見たかった瞬間であり、ここへの道程など序章に過ぎないのだから、気に病むことはない。
 そして、開かれた扉。
「~~~フォスター様ぁ!!」
 お仕置き台の上で丸出しのお尻を晒されている、泣き顔のオリガ。
 これを見て、あのフォスターが歯ぎしりせぬわけはない。
 小躍りしそうな気分を必死で堪え、ワイラーはフォスターを振り返った。ところが、フォスターは顔色ひとつ変えない。
 それどころか、惨めなオリガの姿を白けた表情で眺めている。
「・・・オリガ・・・」
「ああ、フォスター様! 信じておりました! このような仕打ちから救い出してくださるのは、あなた様だけだと・・・!」
 ワイラーは呆れて額を掻く。
 この娘、ワイラーが課すお仕置きの最中、フォスターへの恨み言も呪文のように唱えていたくせに、よく言う・・・。
「・・・オリガ、君に聞きたいことがあって来た」
「フォスター様ならわかってくださいますわよね!? 昔から、一番お優しかったのだもの!」
「・・・君はオルガに謝る気はあるかね?」
「やはり私にはあなた様しかおりませぬこと、よくわかりました!」
「今の君が辛いなら、ヴォルフ邸でオルガがどれほど辛かったのか、わかるよね」
「またあの頃のようにお世話させてくださいまし。あの時が一番幸せでしたもの」
「少しでも、オルガに申し訳ないことをしたという気持ちは、生まれないだろうか」
「早く私をここから連れ出してくださいまし!」
 二人のやり取りを聞くワイラーは、目を瞬く。
 何だ、これは。会話がまるで噛み合っていないではないか。
 フォスターもそれはわかっているらしく、小さく吐息をついた。
「・・・わかった」
「ああ、ありがとうございます! フォスター様!」
「ここが、君の居場所だ」
 ふいと踵を返したフォスターの背中に、オリガが目を剥いた。
「ちょっと! 私が不幸になったのはアンタのせいなのよ! それを無責任に突き放すの!? この偽善者!」
 罵倒を背中に受けながら、フォスターは黙って歩き始めた。
「おい、フォスター卿!?」
 何故こうなる?
 思っていた方向からどんどんと逸れていく展開に、ワイラーはガリガリと頭を掻いた。
 仕方あるまい、最後の手段だ。
「懲罰塔員達をここへ! オリガに台上のままの時間割のお仕置きを始めさせろ」
 ワイラーは控えていた執事に、フォスターにも届く大きな声で指示を出す。
 自分が据えてやるつもりだったが、フォスターも伝え聞いているであろう、より残酷なお仕置きに切り替える。
 けれど、フォスターは何ら反応を示すことなく、部屋を出て行ってしまった。
「ああ、もう! 待て! 待ちたまえ! フォスター卿!」
「旦那様、懲罰塔員に時間割は何時限と伝えれば・・・」
 フォスターを追おうとしたワイラーは、思わず執事を睨んだ。
「知るか! 私が戻るまでだ!」
 投げつけるように言って、ワイラーは廊下まで駆け出した。
 趣味のお仕置きに対して雑な指示を出す主人も、走る主人も見たことがない執事は、唖然として彼の後ろ姿を見送っていた。



「待ちたまえ! 待てというのに! こら、待たんか!」
 スタスタと歩く若いフォスターを追うのは骨が折れる。
 伸ばした手がようやくフォスターの腕を掴むことに成功し、ワイラーはホッとして額の汗を拭う。
「一体、どうしたんだ。君らしくもない・・・」
 よくよく考えれば、公爵の呼び止めに応じない辺り、十分この男らしいが。
「・・・私らしい・・・?」
「あれだよ! 高位者に果敢に向かってくる、慇懃無礼なあの態度だ!」
「・・・私は、そんな失礼でしたか? それは、大変申し訳ありませんでした・・・」
 苦笑を浮かべる物静かなフォスターに、ワイラーは髪を掻き回した。
 そう、こうやって萎れて謝罪するフォスターが見たかったのだ。
 それなのに、これは違う。
「いいから来たまえ。話を聞こう」
「・・・取り立ててお話するようなこともございませんが・・・」
 結局そうやっていちいち反抗する。
 しょぼくれている割に、慇懃無礼は変わっていないではないか。
「いいから。来たまえ」
 フォスターを応接間に引き入れて、差し向かいに座ったワイラーは、大仰な溜息をついた。
「私の指示が聞こえていたかね?」
「・・・はい」
「私は仕置き館懲罰塔に在籍していた職員を呼んだのだぞ」
「・・・はい」
「時間割のお仕置きを命じた。時間割のお仕置きというのを、知っているかね?」
「・・・はい。ヴィクトリアから、聞き及びました」
「あれは懲罰塔でなく仕置き館内で行っていたものだが、最高刑だ」
「・・・はい」
「今はまだいい。幼子に課す程度に平手でお尻を叩かれ始めただけだ。だが、それが延々続く。受刑者はずっと変わらぬのに、お仕置きを課す者は入れ替わり、常に一定の力でお尻に平手が据えられる」
「・・・はい」
「止まらぬ時計の振り子に合わせて、ひたすら据えられる平手」
「・・・はい」
「受刑者はまるで子供のように泣く。いつ終わるか知れない恐怖と痛みに、繰り返し、繰り返し、「許して」「もう嫌」「ごめんなさい」とね」
「・・・はい」
「・・・私の話を聞いているかね?」
「聞いております。初めてヴィクトリアから聞かされた時も、よくもそのような品性下劣なお仕置きを思いつくものだと、驚愕した覚えがございます・・・」
「・・・・・・」
「ああ、失礼しました。これを考案なさったのは、ワイラー卿でございましたね・・・」
 何やら萎れてはいるが、丁寧に無礼な本音を吐くのはいつも通り。
 この青年が伯爵でなければ、間違いなくお尻を引っ叩いてやるのに。
「・・・見たところ、君はすでにオリガへの気持ちは冷めているのだろう? それなのに、何をそんなに落ち込んでいるのだね」
 フォスターは黙ったまま手慰みにネクタイの先をいじっていたが、やがて俯いたまま呟くように言った。
「・・・私がオリガに恋などしなければ、彼女はあんな風にならなかったと思うと・・・」
「はぁ? 何を言っているのだね、君は」
「オリガが言っていたのです。伯爵家の跡継ぎに見初められ、自分の未来に夢を見たから、こうなったと。夢を見せた私のせいだと・・・」
 ワイラーは呆れて頭を掻くと、ティーテーブルの上の呼び鈴を鳴らす。
 確かに、お尻を叩かれて泣くオリガは、愚図ってそんなことを言っていたが。
「馬鹿馬鹿しい。十三歳の娘が夢を抱いて当然の状況だとは思うが、ずっと君が囲っていたわけでもなし、その後はオリガの問題だろう。君が責任を感じる必要がどこにある」
「ですが、私はきっかけを与えた」
「きっかけを得て進む道を選ぶのも決めるのも自分。違うかね?」
 何をくだらないことをグズグズ言っているのだ、この男は。
 大体、それくらいのことを理解できない男ではあるまいに・・・。
「ん? ははぁ、なるほど。そういうことか」
「・・・何ですか」
「君は責任を感じているんじゃない。責任を感じていたいんだ」
「・・・は?」
「初恋は随分苦い果実だった。それを選んだのは君だ。だから、果実が苦くなったのは自分のせいだと言って、自分の見損ないをなかったことにしようとしている」
 顔を真っ赤にしてフォスターが立ち上がった時、従僕がお茶を運んできた。
「座り給えよ。お茶でも飲んで、頭を冷やすといい」
 フォスターもさすがに他家の使用人の前で荒ぶるわけにもいかないと考えたか、黙ってソファに戻った。
「君はね、実に公明正大な人物だ。だからといって、一点の曇りもない生涯など、歩めるはずあるまいよ。曇りは経験だ。磨いて消してしまっては、もったいないよ」
 黙りこくってお茶を口に運んでいたフォスターが、ふとワイラーを見た。
「何だね、その目は」
「いえ・・・ワイラー卿のお言葉でも、感じ入れるものだなと思い・・・」
 こ。
 この男は・・・。
 思わず拳を握ったが、力が抜ける。
 まあいい。これがフォスターという男なのだから。
「感じ入ってくれたなら、いつまでも愚図らないでほしいね。そもそも、初恋などは誰しも苦いか酸っぱいかだ。色んな経験を積んで、見る目は養われていく。そう、君も良い目に育っているじゃないか」
「そう、でしょうか?」
「あの娘、オルガだったかな。あの子は良い。暴君ヴォルフが改心したくなる気持ちも、わからんでもないね」
「・・・改心、ですか?」
「先日、三人で会った折にね、私にはそう見えたが」
 しばらく考え込んでいたフォスターが、シュガーポットから角砂糖を摘んで口に運んだのを見て、ワイラーは目を丸くした。
「ワイラー卿、同じ罪を犯した者は同じ処遇であらねばならないと思われますか?」
「うん? まあ、それが平等というものだねぇ。ただ・・・」
 フォスターがまたシュガーポットに手を伸ばそうとしたのを見咎めて、ワイラーは彼の手を叩いた。
「反省する者としていない者の処遇が同じというのは、不平等かな」
 叩かれた手を擦るフォスターの表情に、ワイラーは笑ってしまった。
 見たかった顔とは違うが、こんな拗ねた子供のような顔も、存外悪くない。



つづく





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