オルガ

第二十二話 揺れる救いの手

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「旦那様、お夕食のお時間でございます」
 そう言ったモートンに、執務机から顔を上げないままフォスターは手を振った。
「オルガとヴォルフで、先に済ませるように伝えてくれ。私は仕事を終わらせてからいただくよ」
「お時間通りにしていただかねば、使用人たちの食事も遅くなってしまいます」
 しばらく黙っていたフォスターは、やがてペンを置くとモートンの傍らをすり抜けて執務室を出た。
 入れ代わりに中へと入ったモートンが執務机の上に山積する書類を整え直して、ため息。
 あれから、ずっと執務室に籠っていたくせに、ほとんど仕事が進んでいないのが書類の様子でわかるからだ。
 ずっと何か迷っている様子の主人は、食卓でもやはりいつもと違っているのが、長年彼に付き従っているモートンには手に取るようにわかる。
 はしゃぐオルガを嗜めたり、ワイングラス片手に楽しそうに話しているヴォルフに笑顔で受け答えして、まるきり普段通りに見えるが・・・。
 あれは、淡々と与えられた役割をこなす、仕事の時の顔だ。
 モートンもまた、普段通りに給仕をしながら考えていた。
 さて、どのタイミングで、主人の悩みを言葉に引き出す声を掛けたものかと。



 フォスターとて、モートンが声掛けのタイミングを窺っていることくらいわかっていた。
 彼が幼い頃から仕えていた執事なら、フォスターだって長年共に生活してきたのだ。
 迷いを抱えた自分に対するモートンのやり方くらい、心得ている。
 だから、距離を取った。
 自分で、答えを出したかった。
 翌日も朝食が済むとすぐに執務室に閉じこもるが、仕事など手につかない。
 ただソファに寝転がり、目を瞑って考えていた。
 無意識にティーテーブルの上に手を伸ばしてまさぐる。
「ん?」
 常備されているはずのシュガーポットがない。
「・・・モートンめ」
 こんな不備はフォスター家に有り得ない。すなわち、考え事をする主人が砂糖をかじらないように取り上げたのと、甘味を所望するであろうフォスターが呼び鈴を鳴らせば、顔を合わせるタイミングができるということ。
「ふん。こちらとて手は打ってある」
 のそのそと起き上がり、飾り棚の引き出しを開ける。
「・・・」
 こういう時の為に隠しておいた飴玉の缶の上に、『一日三粒まで』の貼り紙。
「わかったよ、うるさいなぁ・・・」
 飴玉を口に放り込んで、再びソファに横になる。
 ヴォルフがオルガを虐遇し、奴隷・・・いや、人としてすら扱わなかったことは、承知していた。
 承知した上で、ヴォルフを救いたいというオルガの思いを汲み、彼を受け入れて、彼の幼児性の根源を知り、心から救ってやりたいと思うようになった。
 オルガに対する行為の何が悪かったのか、理解できてすらいないのだと気付いた時、むしろ、守り、育て、導いて、守ってやらねばとすら考えるようになる。
 だが。
 オリガも同じ罪を犯していた。
 彼女がオルガをヴォルフに買い与え、虐げ、オルガの人格を捻じ曲げることに加担した。
 彼らは、共犯だ。それなのに、片や守られ、片や懲罰の門の向こう側。
 おかしくはないか?
 彼らは共犯として、等しい処遇であるべきではないのか?
 心が幼子のまま時間が止まってしまったヴォルフを、どうにか助けてやりたい気持ちは変わらない。
 ならば、オリガをワイラーの魔手より救い出して同じく手元に置いて・・・と考えたのだが。
「どうしてだ」
 フォスターは顔を撫でた。
 イザベラに直言を受けた、偽善の伯爵が、顔を出さないのだ。
 モートンに真相を知らされるまでは、何とか救い出してやりたいと思っていたのに。
 オルガへの彼女の仕打ちを聞いた途端、開いていた扉が冷たく閉ざされてしまった。
 モートンが言うように、これは天の裁き。
 彼女が好んで選んだ道の先にあった、罰。
 いや・・・、そんな大仰な気持ちではない。
 自分の手でオリガを救いたいという思いが、『なくなった』。
 自分がこれほど狭量な男だとは、思いもしなかった。
 むしろ、残酷な心すら巡る。
 思い知ればいい。これは、因果応報だ・・・と。
 そう思うからこそ、思い浮かぶのはヴォルフのこと。
 オリガを救う気になれない。
 ならばヴォルフを救うのは筋違いではないのか。
 共犯は、同じく放逐するが筋ではないだろうか・・・。



「ふぉすた!」
 執務室に駆け込んできて、一直線にソファに寝転ぶフォスターの胸に飛び込んできたオルガに、めッと顔をしかめて見せる。
「こら。お部屋に入る時はノックしなさいと、何度も言っているだろう?」
「だってね! だってね!」
 嬉しそうに足をパタパタさせるオルガのお尻を、ピシャンと叩く。
「こーら、ごめんなさいは?」
「・・・はぁい、ごめんなさい」
 拗ねたように言うオルガが愛おしい。
「はい、いい子。それで? どうしたのかな?」
「ヴォルフ! これね、くれたの!」
 差し出されたのは、シャボン液の小瓶とストロー。
 ヴォルフは出仕で宮廷に出向いていたのだが、まさか宮中にこんなものがあるわけもなし、わざわざ帰りに買ってきたのだろう。
「・・・そうか。良かったね」
「ねぇ、ふぉすた、これ、やって。ふわふわキラキラするの、出てくるの。オルガ、上手できない」
「ヴォルフは?」
「こくおうさまのお仕事あるから、いそがしいって」
 まったく。また与えるだけで済まそうなどと。
 仕事は優先すべきとは思うが、それならそれで、後で一緒に遊んでやるという選択肢があるだろうに。
 後でお説教のひとつでも・・・という思いはあるが、それをする躊躇いがある。
「・・・じゃ、お庭でやろうか」
「うん!」
 嬉しそうなオルガの手を引いて、フォスターは今日、初めて太陽の下に出た。



「きらきら! ふわふわ! きれい!」
「シャボン玉だよ。しゃ・ぼ・ん・だ・ま」
 中庭の木の幹にもたれて座るフォスターが、シャボン玉を見上げて言った。
「しゃぼんだま?」
「そう、シャボン玉」
「しゃぼんだま!」
 フォスターが吹くたびに舞い上がるシャボン玉を追いかけて、はしゃぐオルガ。
 ・・・可哀想に。
 その無垢な姿がフォスターの胸を締めつける。
 十三歳の娘。
 本来なら、シャボン玉と戯れて笑う年齢ではない。
 貴族の姫君たちなら、お化粧だのドレスだの装飾品だのに夢中な年頃だ。
 平民の娘のことはよく知らないが、恋のひとつもしてもおかしくないのは、姫君たちと変わらないだろう。
 オルガの時間は、強制的に止められてしまった。
「あん。なくなっちゃった。ふぉすた、もっと!」
「教えてあげるから、自分でやってごらん? おいで」
 オルガを膝の上に座らせて、シャボン液の小瓶とストローを持たせてやる。
「この瓶にね、ストローを入れて・・・、ちょこっとでいいよ。チョンチョンて」
「こう?」
「そうそう、上手。それから、ストローをお口に咥えて・・・こらこら、噛んじゃダメ。そっとね」
「ん」
「そう。吸っちゃダメだよ、苦いからね。ふーって、してごらん?」
「ふー」
「はは、声じゃなくてね。息。ふーって」
 ストローを吹く要領で、オルガの髪に息を吹きかけてやる。
 それを真似たオルガの咥えるストローから、小さいながらいくつかのシャボン玉が飛び出た。
「できた!」
「上手い上手い。今度はもっと、そーっと、ふーってしてごらん」
「瓶にチョンチョンてしてから?」
 微笑んで頷いたフォスターに、オルガが微笑み返した。
「あ」
「おお」
 加減がわかったのか、ストローからふわふわとシャボン玉が舞い上がる。
「ふぉすたのと一緒!」
「うん、できたね。一緒。上手だよ、オルガ」
 膝の上でキャッキャとはしゃぐオルガの、何と愛おしいこと。
「・・・なあ、オルガ」
「なぁに?」
「・・・ヴォルフのこと、好きか?」
「うん! オルガね、ヴォルフ大好き!」
 オルガが満面の笑みで頷いた。
「・・・どうして? ヴォルフはずっと、お前に酷いことをしてきたのに」
 オルガには難しい質問だろうとわかっていたが、つい、口をついた。
 フォスターの胸にもたれていたオルガが、首をねじ向けて彼を見上げた。
「だって、ヴォルフ、抱っこしてくれたもの」
 その、『抱っこ』の意味が計りかねるのだ。
「・・・抱っこって?」
「えーとね、痛かった、後」
 それもわからない。
 痛かったと言われても、あのサロンでの痛々しい姿を思い出すと、『痛い』が何を指しているのかが判別できないのだから。
「ヴォルフね、すぐ怒るの。お顔真っ赤になって、怖い顔で。痛い棒で、オルガいっぱい叩くの」
 シャボン液の小瓶とストローを持ったままの手で、オルガは自分を抱きしめるように背中を擦った。
 オルガがまだフォスター家に来たばかりの頃、叱ると背中を差し出してきた記憶がまざまざと蘇り、思わず抱きしめる。
「痛くて、オルガ、泣いちゃうの。そしたら、ヴォルフ、抱っこしてくれるの。ふぉすたみたいに」
「~~~こうやって?」
「うん。・・・ううん。ヴォルフは、震えてた。痛くて、怖かったオルガみたいに、震えてた」
「・・・じゃあ・・・オリガは?」
 フォスターの腕の中で温もりを味わうようにしていたオルガの体が、硬直した。
「・・・おぼえて、ない」
 搾り出すように呟いたオルガ。
 フォスターには、『思い出したくない』という言葉に聞こえた。



「どうして、どうして私ばかり・・・、ひどい、どうして私がこんな目に・・・」
 膝の上に腹這いにさせたオリガがしくしくと泣き濡れるのを見下ろして、ワイラーは肩をすくめた。
 彼女がヴォルフの手紙を携えて訪ねてきて、一週間。
 初日は貴族の姫君の気分を満喫させてやった。
 その方が、自分がお仕置きを受ける運命にあると知った時の、彼女の反応が楽しめるからだ。
 それと、理由探し。
 横領の罪。
 逃亡の罪。
 ハッキリとした名目はあれど、ハッキリしているからこそ謝罪の言葉は簡単に飛び出すであろうし、同じ理由で幾日も責め立てるのも興が冷める。
 そう思っていたのに。
 もちろん、ワイラーが横領の件に対するお仕置きを告げた時のオリガの愕然とした顔は、予想通り見物だった。
 青冷める彼女を今のように膝の上に腹ばいに組み敷き、ドレスの裾を捲り、ドロワーズを足の付け根まで下ろした時の羞恥の悲鳴は実に心地良かったし、若々しい丸みを帯びた張りのあるお尻は、ワイラーの想像以上に形の良いもので、良い獲物を手に入れたという充実感でいっぱいだった。
 だが、そこからの違和感。
 ピシャリ、ピシャリとお尻に据えられるワイラーの平手に必死で逃げ惑うお尻も、痛みにジタバタともがく手足も、ワイラーの好みにガッチリと見合った仕草であるし、ひぃひぃと泣きじゃくる声も、大袈裟過ぎず子供のようで可愛らしいのだが・・・。
 違和感。
 それは、悲鳴と泣き声の合間合間に溢れ出る言葉であった。
「どうして・・・どうして私がこんな目に・・・。ひどい、ひどい・・・」
 繰り返し聞こえるのは、そんな恨み言のような言葉ばかりなのだ。
 どうしても何も、家の金を横領して警察沙汰にまでなったではないか。
「ヴォルフに嵌められた・・・許さない、あの男・・・許さない・・・」
 嵌められたも何も、ヴォルフ侯が彼女に持たせた手紙は、呆れるほどつまらないものだった。
 横領の件は彼女の献身を鑑みて不問に処したいとの旨。
 彼女が横領に手を染めたのは、自分の印璽管理が甘かった為であると。
 長らく自分に添ってくれていた彼女を、傍に置いてやってほしいと・・・。
 今、その手紙の内容を思い出すと、ヴォルフが哀れにすらなってくる。
「ああ、あいつのせいでこんな・・・。こんなのは嫌よ・・・。どうしてお分かりくださらないの、ワイラー様! そもそも、大切な印璽の在り処を私などに教えたヴォルフが悪いのです。私のせいじゃない・・・私のせいではないのです・・・!」
「・・・例え、目の前に金の成る実が置かれたとしても、誘惑に打ち勝つ努力をするものではないかね?」
 まあ、ワイラーとて、目の前に叩く理由のあるお尻があれば、すぐさま膝に乗せるが。
「ひどい・・・どうして。ヴォルフのせいなのに・・・。いいえ、フォスターよ、フォスターのせいよ・・・」
 毎日こうしてお尻をぶっても、オリガはこうして恨み言を並べて泣くだけだ。
 これでは、反省した証拠に自分でお尻を出せとも言い出せず、自分が何をしたか思い知らせる罰として道具に移行するお仕置きにも転じにくい。
 正直、参っている・・・。
「旦那様、フォスター伯爵より、書簡が届いておりまする」
 書斎にやってきた執事が差し出した手紙に、オリガを膝に乗せていたことも忘れてワイラーは立ち上がり、彼女は床に転げ落ちた。
「やっとか! フォスターめ、遅いではないか!」
 執事から受け取った書簡を開封し、中を改めたワイラーの口に笑みがなぞる。
「オリガ、良かったな。フォスター伯爵が、君を救いにくるぞ」
 赤く染まったお尻を泣き濡れて撫で擦っていたオリガの目が輝く。
 書簡はフォスターからの謁見願い。
 ワイラーは声高らかに笑った。
 いい気味だ。
 初恋の君を救わんと訪れる品行方正で小生意気な伯爵に、無念の憤りを思い知らせてやろう。
 歯ぎしりする顔を存分に拝める、またとない機会を手中にしているのだから・・・。



つづく





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