オルガ

第二十話 名の無き幼子

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 オルガのこと、ヴォルフのこと、オリガのこと、そして、ヴィクトリアのこと。
 考えることが多すぎて、フォスターは自分の容量の小ささに嫌気が差しそうだった。
 とりあえず、今はヴォルフか。
 イザベルの話に随分消沈していたようだし、慰めてやらねばなるまい。
 応接室に戻ると、やはりヴォルフはソファに座したまま、じっと何か考え事をしているようだった。
「ヴォルフ」
 呼びかけると、振り返った顔は目が潤んでいる。
「フォスター・・・、ワイラー卿はそのような人物であったのか・・・」
 自分とて人に随分な蛮行を働いてとは思えど、怯えたような様子につい頭を撫でてやる。
「気付かなくて当然だ。私とて、仕置き館絡みの一件がなければ気付かなかった」
「ワイラーは、お前より酷いではないか」
 おい。
「お前だって平気で百叩きする鬼なのに、ワイラーは道具まで使うと言っていた。ワイラーはお前以上の悪鬼だ」
 こら。
 感じ入っていると思っていたが、その的はフォスターが意図する場所から大きく外れた位置にないか?
「・・・心配だ。お前がいつ何時、ワイラー卿のようになりはしないかと・・・」
 待て。
「~~~私がワイラーのようになるはずなかろう」
「でも・・・」
 頼むから、これ以上言葉を紡いでくれるなと、フォスターは切に願った。でないと、先程から体の芯で、何やらグツグツと煮える音がしてならない。
「同好の士なら、そうなってもおかしくあるまい」
 沸点。
「ヴォルフーーー!!!」
 突然の怒号に驚いてソファからずり落ちたヴォルフは、そのまま這うようにフォスターの傍を離れた。
「ま、待て! なんで怒っているんだ!」
「膝の上でゆっくり教えてやる・・・」
「や、やだ! 今朝、あんなに叩いたじゃないか!」
「そうだな。あんなにお仕置きしたのに、まるで効き目がないらしい。そういう子は、道具を使って懲らしめねばなぁ・・・」
 顔色を失ったヴォルフは必死で逃げ出そうとしたが、恐怖のあまり足がもつれて立ち上がることもままならないようだ。
 絨毯の上を這いずる彼を押さえつけたフォスターは、勢いよく振り上げた手を矢継ぎ早にお尻目掛けて振り下ろした。
 いつもの数段きつい平手に、ヴォルフは最初からワンワンと泣きじゃくる。
「モートン! 屋根裏部屋よりケインなりパドルなりをこれへ持て! ええい、両方だ!」
 荒ぶる主人の怒声に、モートンが応接間に飛び込んで来るなり、額を覆い溜息をついた。
「旦那様、おやめくださいまし」
「うるさい! さっさと屋根裏部屋に行って道具を持って来い!」
 モートンの声が耳に入らないフォスターの視界に小さな影が映り、それがヴォルフのお尻に覆いかぶさったのを見て、慌てて振り上げた手を止める。
「え、あ、今日から、だった、な、・・・」
 オルガかと思った影は、小姓のお仕着せを着たファビオだった。
 ようやく我に返った主人に、モートンがやれやれという調子で頭(かぶり)を振る。
「彼に仕事のあらましを説明しながら、お屋敷の中を一通り案内しておりました。旦那様とヴォルフ侯にご挨拶をと、廊下に控えておったところ、この騒ぎ・・・」
 冷静になってふと気付けば、ヴォルフを押さえつけている左手に彼の震えを感じる。
 ヴォルフに覆いかぶさっていたファビオがムクリと起き上がると、彼の正面に廻って顔を覗き込んでいる。
「・・・フォスター卿、こんなに泣いて怯えてるじゃないですか。やり過ぎですよ」
 そう言うと、ファビオはお仕着せのポケットからハンカチを取り出して、ヴォルフの涙を拭う。
「怒りに任せて腕を振れば、加減できなくなる。これって、お仕置きとは言わないんじゃないですかね?」
 たった十二歳の少年の諭すような言葉に、フォスターの頭に上っていた血が降下を始めた。
「手」
 ファビオがヒラヒラと手の甲を振って見せたので、慌ててヴォルフの腰から手をどける。
「・・・セドリック様、部屋に戻りましょう。ほら、立って」
 ファビオに手を引かれて連れられていくヴォルフは、チラチラとフォスターに涙目を向ける仕草まで、まるで小さな子供だ。
 そんな彼らを見送って、モートンが肩をすくめる。
「言葉遣いはなっていない。態度も横柄。・・・が、今回は状況を鑑みて、大目に見ましょう。彼は私が言いたかったことを言ってくれました故」
「・・・その調子で、私のことも大目に見てはくれないものかね」
「は?」
「聞かなかったことにしてくれ・・・」
 モートンがソファを叩いたので、渋々腰を下ろす。
「よろしいですかな?」
「~~~どうぞ」
 執事が自ら差し向かいに座るなど、普通は主人が成人前の教育中くらいだ。
 まもなく三十の声を聞くフォスターには、これだけで十分堪える。
「・・・あ~、フォビオには、ヴォルフをセドリックと呼ばせることにしたのかね?」
 家の中のルールは主でなく使用人の最高責任者が決めることであるので、モートンに一任していたのだ。
「はい、左様でございます。雇い主は旦那様でございますので、ゲストであるヴォルフ侯は、お名前で呼ばせて頂こうかと。何しろ、あの方は公の場ではいざ知らず、お屋敷内では幼いお子様のままでございますれば」
「そうだねぇ。ところで、オルガは? ファビオが来たというのに、姿が見えないじゃないか」
「ファビオとケンカ別れしたままだったのを、気にされていらっしゃるようで。彼を見た途端、どこかに隠れてしまったままでございます」
「そうか・・・オルガの感性も、ちゃんと育っているのだね」
「そのように思われます」
「そういえば、オルガの呼び方はどうするのかね? あの子達は良い友達だし、姫やお嬢様と敬語を使わせるのは、ちと可哀想な気がするね・・・」
「オルガ様がフォスター家と正式に養子縁組を済まされておれば、れっきとしたご令嬢でおわしますが、以前、その手続きの際に生じたごたごたで頓挫しておりますので、オルガ様に関しては今まで通りで黙認致します。オルガ様もその方が馴染みやすいかと存じまして」
「うん、そうだね」
 そんなこともあったと、フォスターは何やら懐かしく感じた。
 まだオルガがフォスター家に来たばかりの頃、夜な夜な伽相手を探して徘徊し、各所で悲鳴が上がる度にフォスターが飛んでいき、お尻に言い聞かせた寝不足の日々。
 フォスター家当主の気質を色濃く反映した使用人たち相手ならそれで済んだが、外部の人間である顧問弁護士はそうはいかず、オルガは久しく性の欲求を満たし・・・そうだ。
 そのお仕置きで倉庫に閉じ込めたことで、オルガと自分はファビオに出会ったのだった。
 あれからまだ半年程なのに、随分と昔の思い出に感じる。
「いくら話を逸らして引き伸ばしても、結果は同じでございますよ、アーサー様」
「~~~」
 そう呼ばれるのを、一番恐れていたのだ。
 フォスターは片手で顔を覆い、指の隙間からモートンの顔を窺った。
 伯爵の称号を継ぐ前の青二才のお坊ちゃまに、まだ従僕だった教育係のモートンが、両親しか呼ばない名前を呼ぶ唯一の存在だった。
 フォスター付きの彼には大切に育ててもらったが、その分、厳しい教育係だったのを、この名を呼ばれると思い出す。
「つい先日、申し上げたばかりでございましょう。普段の旦那様がああならば、ご想像通りの事態になりますことは、お忘れなく・・・と」
 フォスターは頭をガリガリと掻いて、背もたれに体を投げ出した。
「普段通りではない! 私だって色々とあって、苛立ってるんだ!」
「つまり、その苛立ちをヴォルフ侯にぶつけたと」
 その通りであるだけに、返す言葉がない。
「・・・例え、ヴォルフ侯への純粋な叱咜だったとしても、怒りのままにお手を上げれば、その力は感情と正比例致します。それは、その手の平に残る痛みでおわかりですね」
 普段以上に痛みが走る右の指の節を撫でて、フォスターは唇を噛み締めた。
「無論、平手とお尻でございましたら、アーサー様の手の方が痛んでおいででしょうが・・・苛立ちが伝わる分、ヴォルフ侯は心にも痛みを覚えてらっしゃるでしょうね」
 子供の頃と同じ呼び方をされている内に、フォスターは何やら気分まで子供に戻ったように不貞腐れた気分になってきた。
「お前はヴォルフの最初の教育係で執事だ。そりゃあ、あいつの心が心配だろうさ。どうぞ。遠慮せずに、セドリックと呼んだらどうだね?」
 モートンの小さな溜息が聞こえた。
「・・・では、お言葉に甘えて、遠慮なく」
 顔をしかめてそっぽを向いたフォスターに、モートンは更に溜息を深める。
「お心にもないことをおっしゃるものではありませんよ」
「・・・だってお前が、あんまりヴォルフの肩を持つようなことばかり言うから・・・」
 つい言ってしまってから、口を押さえる。
 このセリフは、オルガのことばかり気に掛けると、やっかんで泣いていたヴォルフと同じではないか。
「・・・あいつは、目の前のこの人が、自分を見ていないかもしれないと・・・ずっと、こんな不安を抱えていたのか?」
「・・・あの方が四つの頃にヴォルフ侯爵家に暇を出された私には、想像に過ぎませぬが・・・。あの癇癪も、虚勢も、その産物かに思われます」
 自分を見て欲しい。かまって欲しい。何を言おうがしようが、傍にいて欲しい。
 だから、敢えて人を試すかのように怒りを買う言動を繰り返す内に、いつしかそれが当たり前になってしまった。
 その身分の高さ故、誰もそんな彼を諌めることができなかったから。
「・・・アーサー様。私はあなた様の執事でございます。それは、ご理解頂けますね?」
 フォスターは黙って小さく頷いた。
「私があなた様をアーサー様とお呼びする時は、恐れながら大切な我が子のように、叱らねばと思うからでございます。ですが・・・セドリック様の場合は、違います」
「・・・違う?」
「はい。あの方は・・・セドリック様は、ご両親に名前を呼ばれたことがないのです」
「・・・え?」
「前ヴォルフ侯爵夫妻は、セドリック様を、ルシアンと呼んでおられました」
「ルシアン?」
「お亡くなりになった、セドリック様の兄君のお名前でございます」
 フォスターは言葉を失った。
 目の前のこの人が、自分を見ていないかも知れないという、不安。
 それは、そんな昔から始まっていたのかと、愕然としたのだった。



 カウチソファに俯せに寝そべるヴォルフのお尻を、ファビオはそっと擦り続けていた。
「火照ってるなぁ。濡れタオル、用意してきますね」
 立ち上がったファビオの手を掴み、ヴォルフは自分のお尻の上に引っ張った。
「・・・いらない。そうしていろ」
 ファビオは肩をすくめて、言われた通りにお尻を擦る。
「あのねぇ、セドリック様。そういう時は、せめて『そうしていてくれ』って、言いましょうよ」
「・・・そう言えば、お前はずっと傍にいるのか?」
「そうですねぇ。モノには言い方ってもんがあるし」
「・・・お前、誰だ?」
 ファビオは再び肩をすくめた。
 会ったことがあるのに、この侯爵様には平民の子供を記憶に残す余地はないらしい。
「僕は、フォスター伯爵に雇われた、あなた付きの小姓ですよ。ファビオといいます」
「・・・どうして、私をセドリックと呼ぶ?」
「執事のモートンが、そう呼ぶようにと言ったからです。お気に召さないなら、セドリック様のお好きなように改めますよ」
「・・・セドリックで、良い。昔、私をそう呼んでいた男がいた・・・」
 お尻を擦られて心地良いのか、ヴォルフはうつらうつらと船をこぎながら言うそれは、独り言のようだった。だから、ファビオも黙って聞いていることにする。
「随分昔で・・・顔も名前も覚えていないけれど・・・私が寂しいと泣けば、すぐに飛んできてくれて、抱きしめてくれた。悪さをしたり心配させると、もの凄く怒られたけど・・・とても、優しくて、温かな男だった・・・」
 ヴォルフは瞑りかけていた目をパッと開いて、何かに気付いたという風に、少し楽しそうに頷いた。
「そうだ、あの男は、フォスターに似ていた」
 そのフォスターを育てたのが、ヴォルフの記憶にある男なのだから、似ていて当然かもしれない。
「そういえばあの男にも、フォスターのように膝に乗せられて、お尻を叩かれたことがあった。そしたら・・・母上が・・・」
 それを見咎めモートンを糾弾し、彼はその後、屋敷を追われた。
「彼は突然、私を置いていなくなってしまった。もうどんなに泣いても、飛んできてくれなくなってしまった・・・」
 物心つくかつかずのヴォルフには、大人たちの間で交わされたやり取りがわからぬまま、ただ放逐されたという記憶のみが刻みつけられていた。
「母上も、父上も、私をルシアンと呼んで、とても大切にしてくれた。抱きしめてもくれたし、何でも私の思い通りにしてくれた。なのに・・・一人ぼっちな気がした」
 お尻を擦っていたファビオが、ふと耳を澄ませた。
「大丈夫。セドリック様は、もう一人ぼっちではありませんよ」
「でも・・・フォスター、怒っていた。また、嫌われてしまったかもしれない・・・」
「大丈夫です。ほら、もうすぐそこだ」
 大きな屋敷でゆったりと静かに暮らす貴族と違って、喧騒の中で生きてきたファビオは数段耳がいい。
「さあ、ドアが開きますよ」
 ファビオがそう言った直後、ドアが開いてフォスターが姿を見せた。
「~~~フォスター・・・」
 普段しないような足早な歩調でやって来た為、少々息が上がっているフォスターは、ヴォルフが寝そべるカウチに歩み寄ると、彼の顔の前に膝を折った。
 そっとその場を離れたファビオは、フォスターに付き従ってやってきていたモートンと視線を交わし、肩をすくめる。
「ヴォルフ、ごめん。すまなかった。さっきのは、私が自分の苛立ちをぶつけただけだ」
「・・・だから、あんなに、怖かったの?」
「・・・うん、そうだね、怖かったね。ごめんな、ヴォルフ」
 痛めつけてしまったことを労わるように、フォスターはヴォルフのお尻を擦った。
「・・・言い訳を、させてもらって、良いかな?」
 ヴォルフがコクンと頷いたので、フォスターは言葉をつなぐ。
「私は決めたんだ。もうお前を見放すまい、見捨てまいと。だから一生懸命、お前を躾け直そうと、頑張ってきたつもりだった。それを・・・趣味と言われて、無性に、腹が立って、つい・・・」
「・・・趣味じゃ、ないの?」
 フォスターは苦笑した。やはり、この男は何がフォスターを怒らせたのか、わかっていないのだと。
「あのね、趣味って、楽しむものだよね? 今までお前にお仕置きを据えた私が、楽しそうだったこと、あるかな?」
 しばらく考え込んでいたヴォルフが、やがて首を横に振った。
「わかって、くれないかな? 私だって、お前を叩いてる間、辛いんだよ」
「手、痛い?」
「手もだけど・・・ここが・・・」
 トントンと胸を叩いて見せて、フォスターはヴォルフの頭を撫でた。
「お前、うんと手加減してるのに、すぐに泣くから・・・可哀想で・・・」
 正直言って、オルガの方が手加減されているのを悟って、反省した風を装うことを覚えてきているくらいだ。
「お前が泣くのは、私が叱りつけたら、見放していなくなってしまうと思っているからではないか?」
「・・・だって昔、私のお尻を叩いて叱った男は、突然、いなくなった・・・」
 モートンが胸を押さえた。
 その仕草が視界に入り、フォスターは信頼する執事に手を振ってみせる。
「・・・その男は、ずっと、お前を案じていたよ。自分で離れたんじゃない。暇を出されて、仕方なくお前の元を去っただけだ」
 しばしの沈黙の後、ヴォルフが口を開いた。
「母上も父上も、たくさん抱きしめてくれた。なのに、その男に乗せられた膝の方が、何故だか温かかった記憶がある」
 ふと見れば、モートンが目頭を押さえて天井を仰いでいた。
「お前の膝の上も、同じだった。それは、趣味ではないからか?」
 フォスターはこの同い年の中の幼子に、どうしようもない愛しさを感じて、幾度も髪を指に絡ませていた。
「そう思ってもらえると、嬉しいね」
 頷いたヴォルフに、額を合わす。
「それと、叱られたから見放されてしまうとは、もう考えないで欲しい。絶対に、見放したりしないと、約束したのだから」
「・・・印璽も交わしていないのに?」
「そこは、印璽の重要さを理解できるのだな」
 フォスターは思わず声を上げて笑ってしまった。



つづく

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