オルガ

第十八話 執事と独身貴族

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「おかえりなさいませ、旦那様。先程、警察より連絡がございまして・・・」
 気晴らしに出かけさせたつもりの主人が、より落ち込んで帰ってきたことに、モートンは言葉を切って目を丸くした。
「どうなさったのです、そのように消沈なさって・・・」
「・・・ああ、うん、ちょっと・・・」
 帰りの車の中で己が行動を振り返り、どんどん情けなくなってきたのである。
 私としたことが、なんという事を・・・という思いが駆け巡り、ため息ばかりついていたら、運転手にまで心配されてしまった。
 女性に向かってあんな大声を上げて、あまつさえ泣かせてしまうなど、男の風上にも置けない行為ではないか。
 自分にあんな側面があったのかと気付かされて、気が滅入る一方だった。
「ご気分が優れないのですか? お休みになられては・・・」
 モートンが常に主人の気持ちを見透かせるのは、小さな頃から育ててきた経験値がものを言うからであり、よもやフォスターがそのような非道に及ぶとは夢々思わない今、彼の気鬱な表情を心配するしかできない。
「いや、体調が悪いわけではないから・・・。ところで、いやに静かだね」
 そういえば、いつもの嬉しそうなオルガのお出迎えもない。
「ヴォルフ侯とオルガ様は、お出かけになりましたよ」
 フォスターが目を瞬く。
「お出かけ? 紹介状は?」
「お茶の時間までには、すべて書き終えられました。ですので、使用人もすべて紹介先へと出払っております」
 だからこの広いヴォルフ邸が、やけに閑散としているのかと納得する。
「やればできるのではないか、ヴォルフの奴」
 まあ、能力があるから国王の覚えもめでたく、貴族議員会の中枢を担っているわけだが。
「私がいくら口を酸っぱくして言ってものらりくらりとかわしていたくせに、お前が監視になった途端とは・・・躾け直しに自信がなくなるよ、まったく」
「いえいえ、単(ひとえ)に旦那様の功でございますれば」
 執務室へと歩を進めるフォスターに付き従って歩くモートンは、ニコリと笑みを浮かべた。
「私はただ、旦那様がお帰りになるまでに書き切れなかった紹介状の数だけ、旦那様にお仕置きされてしましますねと、申し上げただけですので」
「・・・ああ」
 なるほど、その手があったかと、フォスターは苦笑した。
 サボって溜めた枚数が枚数だけに、そりゃあ必死になって書き上げるはずだ。
「それで、書き上げたご褒美に外出? 飴と鞭の使い方が上手いね、お前は」
「恐れ入ります」
 恭しく頭(こうべ)を垂れたモートンに苦笑。
 執務室でいつものソファに腰を下ろしたフォスターは、モートンの淹れたお茶の香りを味わいながら、天井を見上げた。
 何度見ても、豪奢な造作だ。
 簡素な設えを好むフォスターには、些か目が痛い。
 しかし、だからこそ、最近突出した商人たちに売りに出せば、こぞって高値をつけてくるだろう。
 オリガがこの三年の間にこしらえた借入金の元金が、相殺されるのは間違いない。
 そうなれば、後の資金繰りはすべてヴォルフ領に回せる。
「・・・しかし、オルガも一緒に外出とは、大丈夫だろうか?」
 ヴォルフの不安定な心の暴発の矛先は、大抵オルガだ。
 それがヤキモチの産物というのは先日わかったが、ヤキモチなどという可愛らしい言葉で片付けられない行為に及ぶことがあるので、気が気ではない。
「当家の従僕を二人、随行させております。ご安心ください」
 フォスター伯爵家自慢の家令の薫陶(くんとう)を受ける従僕であれば、確かに心配なさそうだ。
「ああ、そうだ。モートン、お前に育てて欲しい執事候補を一人、スカウトしてきた」
「ほお?」
「ファビオだよ。彼に、ヴォルフ付きの小姓を頼んできた」
「・・・なるほど。良い人選かと思われます」
 幾度かフォスター家にも遊びにきていたファビオを知っているモートンは、その時を思い出すように幾度か頷いた。
「おそらくはお母上の教育の賜物でしょう、あの物怖じせず快活な人柄。気安い言葉遣いを改めさせる必要がございますが・・・ふむ。よろしいかと存じます」
 ブツブツと独りごちながら、彼の頭の中にファビオの教育計画が、サラサラと書き記されていくのが見て取れる。
 下男の修行と並行し小姓を勤めさせて後、近侍に。それから従僕とさせて部下を持たせて統括を学ばせ、いずれは執事に・・・。
 フォスターはついファビオを思って苦笑気味に頭を掻いた。
 主にすら時として手厳しいこの家令の部下教育は、大体想像がつく。
 そういうことに根を上げないと思ったから、ファビオに小姓への就職を勧めたのだが・・・この先、彼のお尻が幾度赤くなるのだろうと思うと、些か気の毒になってきた。
「旦那様、幼いから、知己であるからと庇い立てなさるのは、彼の成長の妨げになりますことは、お心にお止めおきくださいませ」
 やはり見透かされたかと、フォスターは苦笑いを浮かべてお茶をすすった。
「お前に一任するんだ、口は差し挟まないと約束するよ」
「なれば結構」
「ただ・・・」
「ただ?」
「お前のお仕置きは、加減されているとわかっていても痛いという自覚はあるかな?」
「旦那様、そういうのを、口を挟むと言うのですよ」
 ジロリと睨まれて、フォスターは目線を泳がせた。
「そもそも、私めはちゃんと年齢に応じた加減をしております。事実、幼い頃と最近のお仕置きで感じる痛みは、同じくらいでございましょう?」
「ははは・・・そうだねぇ」
 まさか、間もなく三十路を迎えようとする年齢にもなって、お尻をぶたれる羽目になるとは、子供の頃は思いもしなかったが。
「・・・・・・そういえば、今、この屋敷には私とお前の二人きりだったね」
「はい、左様でございますが」
「・・・・・・正直、こんな頼みをしたくはないのだが」
「はい?」
「・・・・・・お仕置きを」
 言いかけて、口を閉ざす。
 やはりやめておこう。
 久しいケインの痛みに猛烈な後悔をした記憶も新しい。
「旦那様、ご自分からお仕置きを願い出られるなどと、一体、外出先で何があったのですか」
 フォスターは思わずお尻に手を回したが、自分が口に出したわけでなく、これはあくまでモートンが心を見透かした故の発言で、自分に完遂の義務はないと頭を掻く。
「・・・・・・ご婦人を、泣かせてしまった」
「は? オリガのことでございますか?」
「違う。仕置き館グランドマザーの、ヴィクトリアだよ」
「はあ・・・」
 そうなるに至った経緯を説明し、フォスターはガリガリと頭を掻いた。
「それで、言い合いになってね・・・つい、声を荒らげてしまった・・・」
 信じられないという風に、モートンが目を瞬く。
「旦那様が? ご婦人と? 言い合い? おまけに、声を荒げられた?」
「そうだよ! 頼むから、改めて繰り返さないでくれないか。何故あんなことをしてしまったのか、自分でもわからずに後悔しているんだ・・・」
「はあ・・・だから、ご自分への罰にお仕置きをと・・・」
「いや、私は言い終わっていないからな。完遂の義務は生じないぞ」
 そっぽを向くフォスターを眺めやり、モートンの肩が小刻みに揺れ始める。
「ほお。旦那様が。ご婦人に。大声。なるほど。泣かせておしまいになったと」
「あのな、改めて繰り返さないでくれと、言わなかったかね?」
「ああ、そうでございましたね。これは大変失礼を・・・」
 どう見ても笑いを噛み殺している様子の方が、遥かに失礼だ。
「・・・モートン・・・」
「いえ、これは誠に失礼を・・・。いやはや、ああ、申し訳ございません。なんとまあ・・・、ああ、すいません」
 笑いを咬み殺す? 
 何が。
 もはや、完全に声を押し殺して笑っているではないか。涙まで浮かべて。
「モートン!」
「は、ははは! 申し訳ございません。どうかお許しを」
 これはもう、声を掛ければ掛けるほど笑いが止まらぬようで、フォスターはしばし膨れ面を浮かべて、執事が落ち着くのを待つことにした。
 大変不愉快だが、致し方ない。
「ああ・・・ああ、可笑しい」
「・・・モートン」
 ソファの肘掛を爪でコツコツと叩く。
 ようやく笑いを収めたモートンが涙を拭って溜息をつくと、深々とフォスターに頭を下げた。
「いつぞやは、女性を見る目がないなどと申しましたこと、深くお詫びいたします」
「・・・本当のことだ」
「初恋など、誰しも苦い想いをするものです」
「・・・いや、いくら何でも、初恋の相手が警察に縛を打たれることは、ままあるまいよ」
 自分で言ってみて情けなくなる。
「それはそうですが」
 擁護もなしかと、フォスターは不貞腐れて頬杖をついた。
「・・・旦那様は、大変お優しいお人柄でございます。私めは、それが女性の付け込む隙となるやもと、昔から案じておったのですが・・・」
「おい。また笑っているぞ」
「はは、これは失礼致しました。いや、しかし・・・案じずとも、心許した女性には口論をなさるほど、お気持ちを押し出せるように成長なさっておられたのですねぇ」
 モートンが何を言っているのかわからない。
 声を荒らげて女性を泣かすなど、きつく叱りつけられて当然なのに。
「・・・お前の教育に、一貫性を見い出せないのだが」
「その辺りは、ご自分でお考え下さいませ。これは教育云々で解決する問題ではございませぬ故。無論、感情を剥き出しに女性を泣かせるなど、言語道断。旦那様がご自分からお仕置きを望まれるのは、当然でございます」
「~~~最後まで言っていないからな! 完遂義務はないぞ!」
「はいはい」
 今、鼻で笑われたような気がするが・・・。
「今後は二度とそのような行為はなさいませんように。ただ、何故ご自分が荒げる声を抑えられなかったのか、そちらを思い悩む方が建設的であると、私めは愚考致します」
 恭しい一礼を見せてから、モートンは深く長い吐息をついた。
「左様でございますか。神の妻であられる方を・・・ああ、致し方ございませんね。私はもう、旦那様が生涯独身であられる覚悟を決め申しました」
「は?」
「フォスター家存続の為にご養子をお探しするのが、私に課せられた役目のようでございますね」
「モートン、お前ね、私はまだ三十路前だぞ。いくらなんでも、見限るのが早過ぎやしないかね?」
 あれほどまで鬱陶しいと思っていた結婚をせっつかれるお説教が、恋しくなるほどの見放され方ではないか。
「ああ、もう結構でございます。フォスター家の未来は私めが必ずお守り致します故、旦那様は今を存分にお楽しみくださいませ」
「・・・・・・」
 なんだろう。
 子供の頃のように彼の膝の上で、丸出しにされたお尻を引っ叩かれるような情けない姿にされる方が、マシのような気がしてきた・・・。
「そう言えばモートン、先程、警察がどうとか言っていなかったかね。余計な気を回す前に、職務を遂行したまえよ」
 つい刺々しい口調になるくらい、フォスターはすっかり不貞腐れていた。
 苦笑を浮かべたモートンは、しばし思いを巡らせるように真面目くさった面持ちで黙り込んでいる。
「? モートン、一体何事だね」
「今をお楽しみくださいと申し上げた矢先でございますので、お耳に入れるのは些かはばかられるのですが・・・実は、オリガが拘置所への移送中、逃亡したとのこと」
 フォスターの手から滑り落ちたカップを、モートンが拾い上げる。
 深く息をつき、両手で顔を覆い俯いてしまったフォスターに、さすがのモートンもかける言葉がみつからないようで、テーブルに新しいカップを用意するとお茶を注いで執務室を出て行った。
 苦い初恋の味は、一体どこまでフォスターを苦しませるのだろう・・・。



「ゾウさん! こーーーんな、大きいの! お鼻ね、長かったのよ! オルガね、リンゴあげたの! お鼻でね、上手にお口に運ぶのよ!」
 サーカスに連れて行ってもらったのだと興奮気味に喋るオルガの頭を撫でて、フォスターは幾度も頷いた。
「ぶらんこ! ピョンって! すごく高いとこ、飛ぶのよ!」
「うん、うん」
「でね! 綺麗な色のボールの上に、ピエロ! 転ばないの! ボールが転がるのに!」
「そうか、そうか」
 急激にボキャブラリーが増えたように思う。単語はもちろん、接続詞。
 外に連れ出して色々なものを見せるというのは、どうも大変効果的らしい。 
「良かったねぇ。ピエロとか、ヴォルフが教えてくれたのかな?」
「ヴォルフ? ううん、像とかピエロとか、教えてくれたのは、じゅうぼくの人。ヴォルフは遠くでずっと、おじちゃまとお話してた」
 思わずヴォルフを睨むと、彼は慌てて両手を振った。
「オルガはサーカスに夢中だったんだ。私がいなくても大丈夫だった」
「与えておけばそれでいいという問題じゃない」
「いいじゃないか、お前のところの従僕が二人も一緒にいたのだから」
「そういう問題ではないというのに・・・。大体、誰と会っていたんだ」
「・・・なんでそこまでお前に報告しなきゃならない」
 それはそうだが・・・。
「どうせ一人にするなら、どうしてオルガを連れて行ったりした」
「だって・・・オルガを見たいと仰るから・・・」
 フォスターの眉間にシワが寄った。
 この侯爵様が「仰る」などとへりくだった言葉を使うとなると、同格侯爵の中では頂点のヴォルフ以上は公爵。
 七つある公爵家の内、オルガと「会いたい」ではなく、オルガを「見たい」などという言い草をする公爵を、フォスターは一人しか知らない。
 フォスターに睨み据えられて、すっかり小さくなっていたヴォルフにオルガが抱きついた。
「さーかすの前は、ちゃんと一緒いてくれたの。ふぉすた、ヴォルフにめってしないで」
 フォスターは溜息をついた。
 この二人、見てくれも年齢もヴォルフの方が上だが、中身は成長途中のオルガの方がお姉さんのような気がする。
 この成り行きは、親に叱られそうな弟を庇う姉といったところか。
 そもそもオルガがヴォルフとフォスターを仲直りさせようとしたのだって、自分では守れないから、フォスターに助けを求めたのだろうし。
「わいらーおじちゃまとヴォルフとね、ケーキたべたの。おいしかったよ」
 やっぱりワイラーか。
 イザベルの言っていた通り、フォスターの身辺が気になって仕方ないらしい。
「ヴォルフ、まさかワイラー卿にオルガを渡す気ではあるまいな」
「欲しいとは仰ったが・・・」
 自分に張り付くオルガを見つめ、ヴォルフが少女の黒髪に指を絡ませた。
 それを合図のように、オルガが彼に口付ける。
「これは私のだから差し上げられぬと、お断りしてきた」
「~~~」
 なんだろう。褒めてやりたいが、腹が立つ。



つづく





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