オルガ

第十七話 仕置き館主宰とグランドマザー

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 ファビオを乗せた車を見送って、フォスターは仕置き館の門扉を振り返った。
 裁判所よりの移送者を運ぶ車を迎え入れる鉄格子。
 その先には更に分厚い鉄の門。
 その後に控えるのは、やはり重厚で大きな木の扉の向こうに、ようやく仕置き館の中庭が広がるのだ。
 もともと古い女子修道院に手を加えて、婦女子更生施設として姿を変えたそこは、中の建物すら見えないほど高い塀に囲まれている。
 これでは、ファビオが怖がっても無理はない。
 この中の声が漏れ聞こえるはずもないのだが、この外観と施設の役割が相俟って、周囲の想像力を掻き立てるのだろう。
 毎夜泣き叫ぶ少女の声が哀れに響くだの、剥き出しにされたお尻をケインで無慈悲に打ち据え続ける音がするだの、お仕置きを宣告された少女が必死で許しを請う泣き声がこだまする等など・・・噂話は事欠かない。
 ワイラー公爵がこの仕置き館の主宰であった当時ならば、この噂の何分の一くらいは該当する内容であったかもしれないが、主宰の座をフォスターが占めた今、その運営方法はグランドマザーと呼ばれる仕置き館主席マザーのヴィクトリアに一任しているのだから、そのような無体な実態であろうはずもない。
「この外観が良くないのだろうな。もう少し、少女の更生施設に相応しい健康的な建物に改装せんといかんなぁ・・・」
 呟いてはみたが、我に返る。
 いけない、ヴォルフ家のことが言えないくらい、フォスター家だって現状の台所事情は厳しいのだった。
 ヴィクトリアには申し訳ないが、しばらくはこの状態で置いておくしかない。
 外観より、内部に住まう者の快適さを優先させた方が良いし、そういう不具合が生じた時に出せる資金を残しておかねばならない。
 気を取り直し、フォスターは最初の門の傍らにある守衛室をのぞいた。
「おや、フォスター卿。何の前触れもなくおいでとは、珍しいですね」
「うん、ちょっと近くまで来たものだからね」
「そういえば、さっき裏門の守衛がおかしなことを言っておりましたよ。フォスター卿が野菜の配達に来たと」
 まさかそれが本当にフォスターだとは夢にも思わない守衛が笑う。
「ははは・・・。えーと。通用門を開けてもらえまいか?」
「ああ、これは失礼。どうぞ、お入りください」
 重厚な三重門を開閉するのは、収監者を迎え入れる時だけだ。
 でないと、古い作りの門ひとつ開けるだけでも、十数分待たされる。
 それが、移送されてこの門をくぐる少女がこの先に待ち受ける生活を恐れ、恐怖し、犯した過ちを後悔するのに、絶大な効果を発揮するのである。



「あら、フォスター卿じゃないの。ご無沙汰ね」
 館の廊下を歩いていたフォスターにヒラヒラと手を振ったのは、小間使いのお仕着せを着たモップ片手のイザベルだった。
「やあ、イザベル。ちゃんと真面目に働いているかい?」
「もちろんよ。でないとヴィクトリアに酷い目に合わされるもの」
 大仰なため息をつくイザベルに、フォスターは苦笑した。
「酷い目って・・・お仕置きされるだけだろ」
「他人事だと思って! ヴィクトリアのお仕置きがどんなに厳しいか、味わったことないからそんな風に言えるのよ」
「そりゃあ君が、懲りもせずに厳しいお仕置きをされるようなことばかり・・・」
 言い終えぬ内に、廊下に響いた泣き声。
「いやぁ! 許して! もうしません! 言いつけは守ります! ですから、グランドマザーのお仕置きだけはいや! いや! いやあぁぁあ!」
 見れば二人のマザーに引きずられていく収監服の少女が、あの噂さながらに哀れな泣き声を上げながら、どうにか先に進むまいと身をよじって抵抗している姿。
「ね?」
 モップの柄に顎を乗せて、イザベルが肩をすくめる。
「ははは・・・」
 ヴィクトリアは確かに無体な真似はしないが、規律には大変厳しい人柄であったのを思い出す。
「で、今日は? 愛しいヴィクトリアに何の御用?」
 フォスターの頬がにわかに赤く染まる。
「愛しいって、君ねぇ・・・」
「だって、高位の公爵家に歯向かってまで、窮地のヴィクトリアを救い出したのだもの。そういうことでしょ?」
「違う! 目の前に虐げられた女性がいれば、救って当然だろう。君が今ここにいるのだって、そうだろう」
「あー、そういや、オルガもあの暴君ヴォルフ侯から救い出したんだっけねぇ」
「そういうことだ」
「偽善もそこまでくれば立派なもんね」
「~~~偽善って、君ね・・・」
「あら、褒めてるのよ。偽善だけで塗り固めれば、それはもう偽善とは言わないもの」
 コロコロと笑うイザベルに、フォスターは静かに微笑んだ。
 オリガをあんな風にしてしまったのは、自分が気持ちを気付かせておきながら距離を取り続けた、『彼女の為』という偽善の振る舞いだったのではないだろうかと、ずっと考えていたのだ。
 彼女が傍で笑っていてくれるだけで幸せだなどと、自分本位の偽善を押し付けていただけではないのか・・・と。
「何よ、元気がないじゃない。いつもならクソ真面目なお説教を垂れ流し始めるくせに」
「・・・うん、いや・・・来てよかったと思って」
「やだ、アンタってばホントに、横領犯の初恋の女のことで落ち込んでんの!?」
「な・・・!」
 今度こそ顔を真っ赤にして、フォスターはイザベルを見つめた。
「な、何故・・・、どうしてそんなことを知ってる!」
「今日届いたワイラーの手紙に書いてあったのよ。彼ってば、もう大喜びみたいで、文字も文章も浮かれていたわよ」
 ワイラー? というか、何故ワイラーがそんなことを知っている? というか、手紙? 何故、ワイラーの折檻地獄から救い出したイザベルが、そのワイラーと手紙のやりとりなど・・・。
 疑問が乱舞しすぎて、言葉が出てこない。
「気をつけた方がいいわよ、アンタ。ワイラーはこの仕置き館を乗っ取ったアンタに、どうにか腹いせしてやろうと、探偵まで雇って常日頃アンタのことを嗅ぎまわってるんだから」
「~~~」
「ただ、アンタは絵に描いたような品行方正伯爵さまだから、ずっと空振り続きでワイラーも悶々としてたんだけどね。ところが、今回のこの初恋の女の逮捕劇」
「イザベル・・・」
「まあ、アンタの足元をすくうまではいかない事柄だけれど、彼にはたまらなく愉快だったみたいよ。昨日の今日で報告の手紙を書いてくるくらいだものねぇ」
「イザベル・・・」
「お仕置きの話以外で、あんな楽しそうな手紙、初めて見たわ」
「イ・ザ・ベ・ル」
「何よ?」
 ようやくフォスターを見上げたイザベルは、彼の眉間に深いシワが刻まれていることに目を瞬いた。
「な、何? 何を怒ってるのよ! 人が親切にワイラーに動向を探られてること、教えてあげたってのに」
「それはどうもありがとう。今後は十二分に気をつけるとしてだ・・・」
 眉間のシワが消えないまま浮かぶ微笑は、さすがにイザベルの肝を冷やす。
「ちょっと! 顔、怖いんだけど!」
「あのねぇ、君・・・。さっきから、ワイラーの手紙、ワイラーの手紙と言っているけれど、それはどういうことかな?」
「・・・え? ・・・あッ」
 手で口を塞いだ表情は、明らかに失言であることを意味している。
「ここに配達される手紙の差出人は、すべてマザー達がチェックしている。中身まで検閲しないのは、ヴィクトリアの優しさだ」
 逃げていくイザベルの視線に、フォスターが顔を近付ける。
「ワイラーという差出人があれば、さすがにヴィクトリアに報告が行き、それは私も耳にも届くね?」
「あら、そう?」
「つまり、偽名を使っての秘密のやり取りというわけだ」
「あらやだ、秘密だなんて、淫靡な響きね」
「そもそも君は、ワイラーが趣味とするスパンキングを受ける日々に泣き暮らしていたんだったよね?」
「あー、そんな時もあったかしらねぇ・・・」
「それを不憫に思ったヴィクトリアから、どうにか君をワイラーの手から救い出して欲しいと言われて、私は手を尽くして君をここに連れてくることに成功した」
「ああ、うん、まあ、タイミングの問題よね。彼、私をスパンキングするのに、飽きてきていたし」
「で? それが何故、手紙のやりとりに発展するのか、お聞かせ願いたいのだか?」
 イザベルが背にする壁に手をついて退路を絶ったフォスターに、彼女が小首を傾げて笑顔を浮かべた。
「あん、怒らないでよぉ。なんて言うの? お互い、得がたい同好の士というか・・・」
「ほう、同好の士ねぇ」
「彼ね、借金を作ってここをアンタに乗っ取られた憎い私からでも、ここの状況が知りたいのよぉ」
「状況?」
「だからぁ、お仕置き通信?」
「・・・は?」
「私が覗き見したお仕置きの細かな状況を、手紙に書いてお知らせする訳。実際に見て楽しむのもいいけど、これもまた一興って、喜ぶのよねぇ」
「~~~だから、ヴィクトリアにどれだけ叱られても、お仕置きの覗き見をやめないのかね、君は?」
「だって、私も覗くの楽しいし? それを書き綴るのも楽しいし? それを読んで喜ぶワイラーの感想を読むのも楽しいし? 仕方ないじゃなーい。こういう嗜好なんだもの」
「イザベル!」
「私はワイラー同様お仕置きする方が好きな性質(たち)だから、される方は勘弁ね」
「~~~そういう問題かね!?」
「やぁん、怖い顔しないの」
 壁に追い詰めていたイザベルにいきなり抱きつかれてキスされたフォスターは、しばしその唇の温もりに、呆然と身を任せてしまった。
 直後、背中に感じた突き刺さるような視線に、冷や汗。
「・・・・・・・フォスター卿、こちらは婦女子更生施設でございますので、どうか、そのような行為はお控え願えますでしょうか」
 先程の娘のお仕置きを終えて部屋を出てきたヴィクトリアが、冷え切った視線を投げかけていた。



「どうか、ご機嫌を直してくださいませんか、ヴィクトリア。あれは事故というか、一方的に追突されたというか・・・」
 今だ引かない冷や汗を拭いながら、フォスターは応接室で必死に言葉を紡いでいた。
「あら、そうですの。私、てっきりお邪魔してしまったと思っておりましたわ」
「ですから! 違うんです、あれは・・・」
 事実、イザベルに仕掛けられたのではあるが、女性のせいにして言い訳を並べ立てるのも躊躇われて、つい口ごもる。
「別に遠慮なさらなくてもよろしくてよ、フォスター卿。イザベルは仕置き館の収監者ではなく、ただの小間使いなのですから。いつでも連れておいでになれますわ」
「わ、私は彼女にそのような気持ちはありません」
「まぁあ! 気持ちもない女性と口づけを交わされるなど、私、あなた様をすっかり見損なっておりました」
「私の言うことを聞いていっしゃらないのですか。あれは一方的なもので、私が好んで唇を重ねたわけではないのです」
「ひどい方。女性のせいになさるだなんて、あんまりですわ」
 だから、こういう言い方をしたくなかったのに・・・、ヴィクトリアが聞いてくれないので仕方なしに言葉にしたらしたで、これだ。
「お願いです、信じてください」
「信じるも何も・・・別に、あなたがどなたと口づけをなさろうがされようが、私には関係ございません」
 胸に走った痛み。
 いや、むしろ、怒り。
 オリガに罵倒された時は、心が痛いと感じたが、怒りはなかった。
 それなのに、この女性に「関係ない」と言い放たれて、ひどく苛立つ。
「ヴィクトリア!」
「大きな声を出さないでくださいまし。それに、名前で呼ぶのはやめていただけませんか? 私のことは、グランドマザーとお呼び下さい。それが私の役職です」
 必死で言い訳していたフォスターの表情が、一変した。
 不機嫌さを全面に押し出した、しかめ面となる。
「今更? ずっとヴィクトリアと呼んでおりましたし、それをあなたは一度も咎めなかったのに、何故急にそんな風に仰るのです」
 大体、いつも「フォスターさま」と親しげに呼んでくれていたのに、先程から「フォスター卿」と、よそよそしい呼び方しかしないではないか。
「ああ、そうでしたかしら? 覚えていませんけれど・・・もしそうなら、簡単に女性にキスするような不潔な殿方に、名前を呼んで頂きたくないのでしょうね」
「簡単!? 不潔!?」
「大きな声を出さないでくださいと、申し上げていますでしょう!?」
「君だって声を上げているじゃないか!」
「あなたが大きな声を出すからです!」
「私だって、声高に君と論じたいわけじゃない!」
「では何故そんな大声を出されるの!?」
 男性の張り上げる声など、おそらくは聞いたことがないであろうヴィクトリアに涙目で問われ、フォスターは我に返った。
「え? えーと? ・・・・・・どうして、でしょう・・・? あの、すいません、ヴィクトリア・・・泣かないでください・・・」
 額を押さえ、オロオロとしてさえ見えるフォスターを見て、ヴィクトリアもまた両頬に手を添えてうろたえた。
 その様子をドアの隙間から覗き見ていたイザベルが、呆れ果てて肩をすくめる。
「バッカみたい」
 せっかく面白そうな成り行きだったので、ワイラーに報告してやろうと覗いていたのに、とんだ茶番を見せつけられた気分だ。
 いい年をした男女が、初々しいにも程がある・・・。



「では、どうかよろしくお願い致します。彼女が無事に更生致しました後は、我がフォスター家のメイドとして雇い入れますので・・・」
 礼儀正しいフォスターの一礼に、ヴィクトリアもまた軽く裾を摘んだ丁寧なお辞儀を返した。
「お任せ下さいませ。オリガという女性が必ずやあなた様の元にたどり着けますよう、仕置き館グランドマザーとして、道を示すお手伝いを致しましょう」
「はい。あなたの元にあれば安心して待っていられます」
 しばらくの沈黙の後、二人は同時に顔を上げた。
「あの・・・!」
 この発声も同時で、二人は苦笑を交わす。
「・・・失礼ながら、私からよろしいでしょうか?」
 フォスターが口を開いた。
「これからも、ヴィクトリアと呼んでも、よろしいでしょうか・・・」
 ヴィクトリアが苦笑めいて静かに頷く。
「はい、フォスターさま。是非・・・」
 更に二人は礼儀正しい挨拶を交わし、見送り、見送られ・・・。
 馬鹿馬鹿しくて、とっくに場を離れたイザベルがまだ見ていたら、こう言うだろう。
「バッカみたい」



つづく





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