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オルガ

第十六話 リンゴ会談

 ←第十五話 初恋の結末 →第十七話 仕置き館主宰とグランドマザー


 執務室のデスクでペンを走らせているヴォルフを監視がてら、ソファに掛けていたフォスターは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
 その傍らで字の練習をしていたオルガが、ノートを手にフォスターの膝に座る。
「ふぉすた、見て」
 拙い字の上にインクも滲み、スペルが間違っていたりするので文章としての解読は困難なれど、字として成立するようになってきている。
「うん、上手。えーと・・・? ふぉすた・・・」
「ふぉすた、だいすきってかいたのよ」
「~~~ありがとう、オルガ。私もお前が大好きだ」
 インクで汚れた顔に浮かぶ愛らしい笑顔が、フォスターはたまらなく愛おしくて抱きしめる。
 すると、じっとりとした視線を感じて、溜息。
「オルガ、お顔も手もインクまみれだね、洗っておいで。それから、隣のお部屋にモートンがいるからね、新しい単語を教わってこようか」
「はぁい」
 ピョンとフォスターの膝から降りたオルガは、ノートを抱きかかえたまま執務室を出て行った。
「・・・ヴォルフ、手が止まっているぞ」
「こっちのことは上の空のくせに」
 やっぱり拗ねている。
「ペンの音くらい聞いている。今日こそは全員分の紹介状を書き終わってもらうからな。でないと屋敷の売却スケジュールに間に合わん」
 ヴォルフはうんざりと執務机に頬杖をついた。
「九十通も書けって? 勘弁してくれ」
「残り九十六通だ。お前がサボったツケだろう。予定通りに毎日十通書けば、昨日終わっていた」
 それを一日二、三通で飽きてやめてしまうか、まるきり手をつけない日もありで、総勢百十四名の再就職先が確定しないまま今日まできてしまった。
 使用人の再就職先は即ち住み込み先であるから、彼らはまだここに住むしかないわけで、屋敷の売却交渉が進められないのだ。
「で、何通書けた? 書き上がった者から順に紹介先に出向かせるから・・・」
 執務机をのぞき込んで、唖然とする。
 ペンの音はしていたが、便箋には手慰みの落書きが書きなぐられているだけではないか。
「もう二時間は経つのだぞ・・・」
「四通も書いたよ。同じ文面ばかり書かされて飽きた」
 頭痛がする・・・。
 書かされてとは何事か。
 自分の屋敷の使用人が、印璽(いんじ)管理の甘かった主人の落ち度で職を失うというのに、彼らの先行きに対する責任をまるで感じていないのだから。
 本当なら、今すぐにでもお尻を引っ叩いてやりたいが、今度はお尻が痛くて座っていられないから書けないだのと言い出すに決まっているから、グッと堪えているのだ。
「いいから早く書きなさい」
「そんなに早く欲しいなら、お前が書けばいいじゃないか」
 何故。
 ひきつる頬を揉み解し、どうにか平静を保つ。
「ダメ。彼らの主はお前だろう。責任を果たしなさい」
「あ。良いことを考えたぞ。ここではなく、お前の屋敷を売ればいい」
「・・・・・・は?」
 だから、何故。
「だって、屋敷を売った金を返済にあてるんだろう。なら、どっちを売っても同じだ」
 何故だ。何故この男は、こんな訳のわからない提案を、さも名案かのように堂々とのたまっているのだ。
「あのな・・・屋敷を売るのは、人件費の削減でもあるのだが」
「だから、お前のところの使用人を転職させればいい。お前の使用人なのだから、お前が紹介状を書く。ほら、万事解決だ」
「・・・・・・」
「あ、無理か。お前の屋敷はうちより遥かに小さいし、使用人も少ないものな。うちの代わりにはならんか」
 ああ、そうか、自分の沸点はこの辺りなのだな・・・と、フォスターは認識することができた。
「ヴォルフ~~~~!!!」
 いきなりの激怒にヴォルフが椅子からひっくり返った時、フォスターの怒声を聞きつけたモートンが控えの間である続き部屋のドアから執務室に飛び込んできた。
「・・・旦那様・・・」
 逃げ惑うヴォルフを追い掛け回すフォスターの姿に、モートンは溜息をついて額を押さえた。
「おにごっこ」
 そんな彼らを指さしたオルガにそう評されて、モートンの嘆息がますます深まる。
「旦那様、いい加減になさいませ」
「だって、モートン・・・!」
「だってではございません。ちょっとおいでなさい」
 そう言い残してサッサと隣室に戻ってしまったモートンの背中は、明らかにお説教をして差し上げましょうという空気に満ち満ちていて、フォスターは少々ふてくされた気分だ。
 そもそも悪いのはヴォルフなのに・・・とは思うが、モートンの着眼点はフォスターの冷静さを欠いた態度の方であろうから、言い訳はしないが。
 言い訳などしようものなら、お説教で済まなくなること間違いないのだから。
「旦那様」
 隣室からもう一度呼び声がしたので仕方なく、気鬱な足取りを隣室に向ける。
 ドアをくぐる際にヴォルフを睨んでやると、彼はしょぼくれた子犬さながらの上目遣いを見せて、執務机に戻ってペンを取った。
 執務室と隣室をつなぐドアを閉じると、モートンがお茶の用意をしていた。
「旦那様、お茶を飲まれたら、気晴らしに少々お出かけください」
 彼の声は先程までのものと違っていた。
「え、いや、しかし・・・」
「ヴォルフ侯は私が目を光らせておきます故、ご安心くださいませ」
「・・・てっきり叱られると思って、覚悟してきたのだがね」
「ご自分のせいで旦那様が叱られるとお思いになられた方が、効果的かと存じまして」
 ああ・・・それでヴォルフはペンを取ったのか。
「無論、普段の旦那様がああならば、ご想像通りの事態になりますことは、お忘れなく」
 結局は嗜められて、フォスターは苦笑して差し出されたお茶を受け取った。
「昨日の今日でございますから、致し方ございませんでしょう」
 昨日のオリガ逮捕の後は、警察への詳しい事情説明や証拠資料の提出などで丸一日忙殺されて、何も考えないで過ごせたのだが、今日は一転、ずっとオリガの慟哭のような喚き声が脳裏に響いて離れないのだ。
「・・・そうだな。このままでは、苛立ちを交えてヴォルフをぶってしまいそうだ。出かけてくるよ。少し、頭を冷やしてこよう」



「美味しそうなリンゴだね」
「ああ! すっごく美味しいよ! 何しろ名産地フォスター地方が見舞われた豪雨に負けずに収穫された・・・」
 ご機嫌で謳い文句を並べていたファビオは、見上げた客がフォスターだったことに、急に口を閉ざして帽子を目深に被り直した。
 お陰で彼の目がヒサシで見えなくなって、フォスターは苦笑する。
「悪かったよ。自治領があの悪天候で難儀していてね、バタバタしていたんだ」
「け。何が悪天候だ。今の口上で思いついた言い訳か?」
「本当だよ。信じてくれないかな。決して、オルガの小さなナイトをないがしろにしていたわけではないんだ」
 ツンとそっぽを向いたままのファビオに視線を合わせるべく、屈んでリンゴを手に取る。
「いくら?」
「・・・六センズ」
「じゃあ、これで」
 渡された紙幣に、ファビオの顔が真っ赤に染まる。
「バカ、店を丸ごと買う気か! こんな大金の釣り銭が、この店にあるわけないだろ! これだからお貴族様は!」
 フォスターとしては、手持ちの一番小さな紙幣を出したつもりだったのに。
「ごめん・・・、買い物とか、自分でしたことなくて・・・」
「もういい! ・・・奢ってやるから、代わりに配達手伝え」
「え?」
「・・・買い物の仕方もロクに知らない貴族様が、わざわざ会いに来てくれたんだろ」
 押し付けられたリンゴを手に、フォスターは笑顔を浮かべた。
 この優しい小さなナイトは、自分を許してくれたらしい・・・。



「おい、役立たず。次で最後の配達先だぞ」
 重たい野菜入りの木箱をいくつも各宅へ運ばされて、自家用車の後部座席にグッタリと体を預けているフォスターに、ファビオが助手席から声を掛けた。
「あ~~~、君の働く店には、トラックがないと言っていたが・・・いつもはどうやって運んでいるんだい?」
「は? 決まってるだろ。荷車に乗せて運ぶんだよ。今度引かせてやろうか?」
「~~~恐れ入りました・・・」
 今日はフォスター家の車に積めるだけ積んで、各宅の裏門につけた位置から運び入れるだけでも重労働だったというのに。
「さて、最後の配達先は仕置き館だ。たまに泣き声やら悲鳴が聞こえてくるけど、ビビって野菜を落とすなよ」
「はあ・・・」
 そう言うファビオの方が、その泣き声や悲鳴にビビって・・・いやいや、少々勇気がいるらしい口振りに、フォスターは苦笑を浮かべた。
 これは、自分がそこの主宰だなどと言わない方が良さそうだ。
「それで最後なら、仕置き館で解放していただいても良いかな? そこ・・・の辺りに、所用があってね。市場までは車で送らせるから」
「まあ、リンゴ一個分の働きくらいはしたし、許してやらぁ」
「はは、どうも・・・」
 なかなか大変なリンゴをご馳走になってしまったものだ。
「なあ」
「うん?」
「本当に、大丈夫なのか? その侯爵様は」
「・・・わからん。だが、オルガがそう望むなら、叶えてやりたいと思うじゃないか」
「それはそうだけど・・・!」
 やはり優しい少年だと、フォスターは思った。
 オルガの気持ちは汲んでやりたい。けれど、オルガのことが心配。
 あんな別れ方をして放置されていたというのに、まだそういう風に考えてくれている。
 今日、成り行きとは言えファビオの働きぶりを観察していたが、配達先での礼儀も心得ているし、支払いに対する釣り銭の計算も早い。何より釣り銭用の店の金を預かっているという責任感が強い。
 そもそも、怖いもの知らずとはいえ、侯爵に平気で食ってかかったあの態度。
 普通の貴族相手ならあれではまずいが、ヴォルフのようなタイプには、こういう人柄の方が案外合っているかもしれない。
「な、なんだよ。ジロジロ見るな」
「・・・オルガのこと、心配してくれているのだよね?」
「そ、そりゃあ・・・! あんな世間知らず、心配して当然だろ」
「では、ひとつ提案というか、お願いがあるのだが」
「な、何だよ、改まって・・・」
「小姓に就職しないかい?」
 しばらくキョトンとしていたファビオの表情が、見る見る怒りに満ちていく。
「俺を召使いにしようってのか!?」
「結果的にはそういうことになるが、貴族の使用人の賃金は、君もある程度知っているだろう? 小姓でも、今の重労働で得られる賃金の数倍だ」
「賃金の問題じゃねぇ!」
「教育も受けられる。マナーも身につき、手に職もつく」
「お前ら貴族にペコペコする教育なんかいらねぇよ!」
「何より、傍でオルガを守って欲しい」
 これにはファビオも口をつぐんだ。
「さっき言ったように、ヴォルフは当家で生活を共にすることになった。私が彼を徹底的に教育し直す為だ。だが、まだまだ突如の癇癪は散見される。私や執事のモートンの目の届くところならいいが、私たちもやるべき仕事があって、始終目を光らせてはいられない」
 反論は見られないので、フォスターは続けた。
「私たちがいない時、オルガを守ってくれるナイトは必要だ。オルガの親友でありナイトたれる人物は、君を置いて他にないと思っている」
 ファビオが顔を赤く染めて俯いた。
「その為には君がうちで働き、ヴォルフ付きの小姓となってもらうのが一番なんだ。そもそも、彼が私やモートンにだけ心を開くというのでは、意味がない。もっと広い視野で、彼には人間らしい心に育ってもらいたい。それが何よりオルガの為と、私は考える」
「え!? あの侯爵の世話・・・!?」
 フォスターが頷くと、ファビオは手にしていた帽子を意味もなく丸めたり広げたりしながら黙りこくっていた。
「・・・あの暴君侯爵様の中身はね、はっきり言って、今の君よりずっと幼い。君のようなハッキリとモノが言える少年が傍にいることでの化学反応を、私は期待しているんだよ」
「・・・実験に付き合わせる気か」
「そういうことになる」
「け。どうとでも誤魔化して言いくるめりゃいいのに、バカ正直だよな、アンタ」
「・・・返事は急がない。無論、君の母上のところにも、同様のお願いをしに伺うつもりだが、決めるのは君だ」
「・・・この場合、俺の所在はどっちだよ。ヴォルフ侯爵家の使用人? それとも、フォスター伯爵家の使用人?」
 なるほど、確かにそれはそうだ。
 同じ屋根の下と思っていたのでそこまで深く考えていなかったが、侯爵家と伯爵家の使用人では、世間の扱いが違ってくる。
「あー・・・侯爵家小姓の方が、賃金も待遇も圧倒的に有利だが・・・」
「俺が選んでいいんなら、フォスター家がいいな。俺、フォスター地方の野菜や果物、美味いから一番好きなんだ。どうせ名乗るなら、同じ名前がいい」
 これは、おそらく承諾という意味なのだろうと察したフォスターは、感謝を込めて彼の頭を撫でた。
「ありがとう、ナイト・ファビオ。それに我が領地の作物をそんなに褒めてくれるなら、領民もきっとお前を好きになる」
「え?」
 照れ臭そうにしていたファビオの目が丸くなる。
「ん?」
 ファビオが何に驚いたのかが、フォスターにはわからない。
「え? 何?」
「ん? 何が?」
「我が領地?」
「うん、我が領地」
「フォスター地方?」
「うん、フォスター領」
「同じ名前・・・」
「そりゃ、貴族が名乗るのは領地名だから。フォスター地方は私の土地だよ」
「え・・・えぇえーーーーー!?」
 こんなに驚かれるとは思わなかった。
 てっきり、知っているものだとばかり・・・。
 この後、モートンにこの話をしたら、「やはり旦那様も根っからの貴族なのですねぇ」と、呆れられてしまった。
 平民は貴族という地位は当然知っていても、何を以てしてその地位にいるのかを知らないものが大多数であるのだと教わる。
 ただただ遊んで暮らしているのが貴族だという認識だと知らされて、少なからずショックを受けたフォスターであった。



つづく





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