オルガ

第十五話 初恋の結末

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 出納帳と幾枚もの借用書を入念に照らし合わせた結果、使途不明の借り入れは、およそ三年前から始まっていた。
「こちらが使途不明金の借用書の推移でございます」
 モートンが作成した推移表に目を通し、フォスターは顎を撫でた。
「・・・これらはヴォルフ家執事が当主名代として銀行から借りつけたものに、間違いはないのかね?」
「はい、銀行側にも確認致しました」
「ふむ・・・。モートン、先程の歴代執事名簿を」
 差し出された名簿には彼らがヴォルフ家に雇い入れられてから辞めるまでの、細かな年数も記されていた。
 その中から、使途不明借用金が発生している期間の執事の名前にチェックを入れていく。
「ああ、もう。本当に目まぐるしく入れ替わっているな」
「わずか三年の間に、五名。二ヶ月もたなかった者もおります故」
「それまでは皆、最低でも一年は続いていたというのに・・・あ」
 三年という期間に、思い当たること。
「おそらく、そういうことではなかろうかと思われます」
 モートンも同意見らしい。
 三年とは、オルガがヴォルフの屋敷で無体な生活を強要されていた頃。
「見るに堪えない・・・という理由で辞めていったのであれば、横領犯達は至極まっとうな感覚の持ち主ということになるな」
 少々皮肉めいた言い様になるのは、サロンで初めてオルガを見た記憶がさせるのだから、致し方ないこと。
「横領犯達・・・。ふむ、『達』なぁ」
 何かが不自然だった。
 フォスターは推移表と執事名簿を見比べて、ガリガリと頭を掻いた。
「やはり、おかしい。使途不明金の借用者は複数。だが、この借入金の推移には、単体の心理変遷しか見えてこない」
「旦那様も、そう思われますか?」
 フォスターは頷くと、推移表の数字を順に指さした。
「最初の額。言ってはなんだが、下級使用人一人分月収ほどの、微々たる金額だ。そして、二度目も同じく。借り入れた期間も、三ヶ月程空いている。そして三度目」
「はい。期間は同じく三ヶ月開きますが、額が上がっております」
 ここに人の心理を感じる。
 初めて試みた。しばらく、様子を見る。バレた気配はない。
 もう一度、試す。やはりバレない。今度は額を上げてみる。
「額を上げても露見する様子がないとわかったから、次は期間が短くなり額も更に上がる。安心感が見える。ここから、加速度的に借入額が大きく増大している」
「もはや、上級使用人の年俸と同等の額でございますな」
「やはり妙だ。最初の様子見は、あって当たり前の心理だと思う。それが、執事が入れ替わっても、借入額と頻度は変わらずに増加の一途」
「はい。横領犯が変わったように思えませぬ」
「むしろ、執事が変わった途端に、借入額が一気に増大する」
 無意識にテーブルのシュガーポットに伸びた手をモートンに叩かれ、フォスターは顔をしかめて手の甲を擦った。
「その癖はお直しくださいと、何度も申し上げておりましょう」
 考え事を始めると甘いものが無性に欲しくなり、手近にお菓子がないと角砂糖をかじる癖。
 放っておくとシュガーポットがカラになるまで食べてしまうので、モートンにいつも叱られる。
「お行儀が悪い上にお体に触ります。いい加減になさいませ。まもなく三十の声も聞こうというのに・・・」
「お説教は後にしてくれよ。考えがまとまらない・・・」
「焼き菓子なり、用意して頂きましょう」
 壁に据え付けられた呼び出しベルを鳴らそうとしたモートンだったが、ヴォルフやオルガを起こしてしまう可能性を考慮したか、自ら使用人を呼びに部屋を出て行った。
 その隙に、角砂糖を一つ口に放り込む。
「可能性としては・・・窃盗団か?」
 新しく雇い入れた複数の使用人たちが窃盗団で、数ヶ月の間にめぼしい財産類を盗み出された貴族も多い。
 入れ替わり立ち替わりする執事がプロの窃盗団一味で、裏で繋がっていたとすれば、辻褄は合うが・・・。
「旦那様、後ほど焼き菓子が届きます。まずはお茶でご辛抱ください」
 モートンがティーポットを運んで戻ってきた。
「なあ、モートン、この執事たちの現状と関係性の有無を調べてくれまいか」
「かしこまりました、直ちに。今夜は戻りませぬが、他にお言いつけは」
「そうだな・・・、執事以外で辞めた使用人にも、聞き込みを」
「承知致しました。ところで、旦那様。シュガーポットの中身が、随分減っておりますが?」
 癖とは怖い。
 一つ摘んだだけのつもりだったのに、無意識に続けて口にしていたらしい。



「モートンめ、素直にお尻を向けたのに、あんなにぶつことないじゃないか・・・」
 ヒリヒリするお尻を擦りながら、フォスターは苦情めいた呟きを漏らして借用書の束を見直していた。
 使途不明金の総額は、すでにヴォルフ家の領地純収益一年分を軽く上回っている。
 もしあの天災がなければ発覚は遅れ、横領額はまだまだ膨らみ続けたのだろう。
 ヴォルフは大きな代償を支払いはしたが、天はチャンスを与えたように思う。
 発覚が後数年遅ければ、国王の提示した案でも返済は不能となり、領地を失った上に借金を背負うことになっただろうことは間違いない。
「焼き菓子をお持ちしました」
 正直、遅いなと思った。
 これがフォスター家であれば、ゲストの要望数分後には幾種類もの菓子がテーブルを埋め尽くしていただろう。
 訓育の行き届いた家風は、単(ひとえ)にモートンの手腕の賜物だろう。そう思うと、お尻が少々痛くとも、文句が言えなくなる。
「どうぞ、入りたまえ」
「失礼致します」
 声が高かったので小姓かと思っていたら、メイド姿のオリガではないか。
 フォスターが目を丸くしていると、オリガが苦笑した。
「申し訳ございません。紳士のゲストにメイドが給仕に出るなど、貴族様のお屋敷では有り得ないこと、存じてはおりますが・・・何分、このお屋敷は使用人の定着が悪く、高位のゲストに給仕できるのは、メイド頭の私くらいで・・・」
「あ、ああ、そのようだね。君が悪いわけじゃない。かまわんよ、さっそく頂こうか」
 本当は、角砂糖をポット半分まで減らすくらい食べてしまったので、後から運ばれるお菓子には口をつけるなとモートンにきつく言い渡されていたが、好物の焼き菓子を見るとつい手が伸びる。
「ふふ」
「何?」
「ああ、ごめんあそばせ。本当に昔からお変りありませんのね。甘いお菓子が大好きなんて、子供みたい・・・」
 学生寮にいた頃と変わらないオリガの微笑みに、つい見とれる。
「ヴォルフは、あまりお菓子を食べないかい?」
「そうですわね。旦那様はワインの方がお好きです。とても立派なワインセラーをお持ちですのよ」
「・・・ほお?」
 フォスターの中に、弾けた疑問。
 ワインセラーの管理は、本来、執事が一括して行うもので、メイドが立ち入る場所ではない。
 だが、この屋敷では他家の使用人常識は通用しない。
 メイド頭のオリガがワインセラーの管理に関わっていても、不思議はないのだが・・・。
 なんだろう。違和感。
「・・・君は、あれ以来、ずっとここに勤めていると言っていたね?」
「はい。旦那様のあのご気性に対処できますのは、私だけですので・・・」
 オリガの言動には、自信のようなものが伺えた。
「・・・そう。じゃあ、五年・・・いや、六年かな? 君ほど勤続年数のある使用人は、ほかには?」
「おりませんわ」
「そう・・・。おっと、失礼」
 フォスターは白々しくも使途不明借用書を一枚、床に落として見せた。
 それを拾い上げたオリガの顔色が変わる。
「・・・どうぞ」
「・・・ああ、ありがとう・・・」
 手渡された借用書に目を落としたフォスターは、苦しげに吐息をついた。
「どうしてだ、オリガ?」
「・・・仰っている意味がわかりません。では、失礼致します」
 頭を垂れて部屋を出て行くオリガを見送って、フォスターはつい、テーブルの上の書類の束を薙ぎ払った。
 床に散らばった、証拠。
 何故? 何故? 何故だ、オリガ。
 本当に、好きだった。
 わがまま放題の貴族の子息達の世話など苦痛でしかないだろうに、いつも笑顔を絶やさずに甲斐甲斐しく働く姿に、心を奪われた。
 好きだったから傷つけたくなくて、一人の女性として抱きしめたい気持ちも、自分の物にしてしまいたい気持ちも飲み込んできた。
 上位の自分が身分違いの恋などで彼女に近付けば、それはエゴでしかないと思ったから・・・。
 あの笑顔を、変えてしまいたくなかった。
 それなのに、彼女は変わってしまった。 
 いや、元々、自分が見損なっていたのか?
 そういう女性だと、見抜けずに恋に落ちたのか?
 フォスターは執務室のソファに座したまま、まんじりともせず一夜を明かした。



 小鳥のさえずりが聞こえた。
 執務室のドアの向こうでは、使用人たちがいつもの仕事を各々始めた音。
 その中で、一際シャンとした聞きなれた足音が混ざる。
「・・・思ったより、早かったな・・・」
 床に散らばった書類を元通りにしておこうと思っていたのに、間に合いそうもない。
「・・・まあ、いいか・・・」
 ソファに体を横たえて天井を見据えたまま、フォスターは半ば自暴気味に呟いた。
 ドアが開き、モートンが目を丸くする。
「旦那様、ずっとこちらに?」
「・・・うん」
「ああ、またやりましたね」
 散乱する書類を拾い集めながら、モートンが溜息をついた。
「いい年をして、二日も続けてお仕置きをさせる気ですか?」
「・・・すればいい」
「旦那様」
「いい年をして泣き喚くほど、すればいい。一晩、泣きたくても、泣けなかった・・・」
「・・・旦那様」
 苦笑気味に吐息をついたモートンは、全ての書類を集めきってテーブルに戻すと、ソファに横たわる主の傍らに膝をついた。
「やはり、オリガでございましたか」
 モートンの調査でも、そこに行き着いたらしい。
 フォスターはしばらく口を閉ざしていたが、やがて、ヒラリと片手を振った。
「では、ご報告申し上げます。借り入れを行った執事五名全員、ごく当たり前に、他家の執事として再就職しておりました。誰ひとり、大金を携えて逃走した者はおりませなんだ」
「・・・うん」
「彼らに話を聞けました。当主名代での借り入れは指示を受けて行ったものと、皆口を揃えて申します。その指示は、ヴォルフ侯爵自身ではなく、現状、このお屋敷を仕切る者」
 たった六年とはいえ、こうまで入れ替わりの激しい使用人の中では、執事を上回る権力を誇る、ただ一人の人物。
「彼女がただのメイド頭でないことは、このお屋敷の周知。主と寝屋を共にする彼女の指示は、新参執事にとり、主の指示も同然」
 フォスターが深い息をつき、片手で顔を撫でたので、モートンが口を閉ざした。
「良い。続けろ」
「かしこまりました。各々ヴォルフ家を辞した執事には、なんの繋がりも見受けられませんでした。ほかの元使用人も一当たり致しましたが、隠し金庫のあるワインセラーに執事以外立ち入れるのは、ただ一人」
 自ずと導き出される犯人像。
「・・・モートン」
「はい、旦那様」
「モートン・・・モートン、モートン!」
 モートンが穏やかな表情で両手を広げてくれたので、起こした体を預ける。
 幼い頃からいつでも貰えた温もりが、誘発する涙。
「旦那様。よく一晩も我慢なさいましたね。お辛うございましたでしょう」
 久しく、声を上げて泣いた。
 好きだった。大好きだった。初めての恋だった。
 モートンの腕の中でひとしきり泣きじゃくったフォスターは、しばらくして、ようやく、涙で凝った顔を上げた。
「・・・モートン、警察に、通報を」
「はい。かしこまりました」
「それと、仕置き館への移送手続きを頼む。彼女は、まだ十九だ・・・」
 同じ罪状で収監されるなら、仕置き館であれば、改心次第で早く社会に戻れるのだから。



 フォスターの背後に居並ぶ警官に、オリガは準備していた旅行鞄を取り落とした。
「・・・ふん。意外と早い対応ね。もっと思い悩むと思っていたのに」
「・・・思い悩んださ。昨晩、ずっと」
「ふふ。本当に、お変りありませんのね、生真面目な伯爵様」
 クスクスと笑う彼女に飛びかかろうとする警官たちを、フォスターが遮る。
「・・・オリガ、何故だ?」
「は! 何故? 何故ですって? あんたのせいよ」
含み笑いは哄笑に変わり、フォスターは見たことがないオリガの表情に戸惑う。
「私・・・?」
「そうよ! 品行方正故に、罪な貴族のお坊ちゃん! あなたが最初に私に夢を見せたから、こういうことになったのが、わからないの!?」
「夢・・・?」
「そう。私はあの学生寮に勤め始めて、ただ黙々と働いていたの。それなのに、あなたが私を見染めた。わかる? 十三歳の貧しい庶民の娘が、貴族様に見初められた、天にも上る気持ち! ええ、わからないでしょうねぇ!」
「オリガ・・・」
「ただの使用人で終わるはずの人生に、転がり込んだ原石。もしかして、私は貴族の妻に。いいえ、そんな贅沢でなくとも、側室くらいまでにはなれるかもしれない。そんな妄想を膨らませたのは、あんたよ!」
 オリガの目に揺蕩うのはもはや憎しみの色でしかなく、フォスターは直視できなかった。
「それなのに、一向に手をつけない。夢が萎む! そんな時、ヴォルフ侯爵が私に近付いた。チャンスをくれた! もう誰だって良かった!」
 唇を噛み締めるフォスターに、オリガは更にまくし立てた。
「なのに、あんたが邪魔をする! ヴォルフに私から身を引けと言ったそうね!? あのバカはあんたの言うことを鵜呑みにするから、私はせっかくのチャンスを不意にするところだったのよ!」
「もう良い! 連行したまえ!」
 部屋の外に控えていたモートンの声で、警官がオリガを確保した。けれど、彼女の叫びは止まらない。
「あんた、邪魔なのよ! だからヴォルフをそそのかして、あんたの目の前で陵辱されてやった! そうすれば品行方正なあんたは、ヴォルフと縁を切るだろうからね!」
「その女を黙らせろ!」
 いつになく声を荒げるモートンの指示に、オリガの口を押さえにかかった警官が噛みつかれて悲鳴を上げた。
「何もかも、思い通りに運んでいたのに! あんたは私の邪魔しかしない! あんたもオルガも、邪魔なんだよ! 私をこうしたのは、あんたのせいだ!」
 引き立てられ姿は消えても、いつまでも廊下に響くオリガの声が、フォスターを打ちのめしていた。
 だが、次の瞬間、フォスターの頬に温かな涙が伝う。
「ちがうでしょ! ふぉすたのせい、ちがう! ひとのせいしたらダメって、ふぉすたが教えてくれた!」
 オルガの声。
 救ったつもりの少女に、フォスターは救われていた。



つづく





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