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オルガ

第十四話 縁と歩む道

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「ふぉすた! ヴォルフ! おかえりなさぁい!」
 モートンの隣から駆け出す、この嬉しさが溢れ出るようなお出迎えは、毎回癒される。
 ただ、走ってきて抱きつく相手は、ほぼヴォルフなのが切ないが・・・。
 やはり今日も、オルガが一直線に向かったのはヴォルフである。
 傍らを素通りしていく姿にフォスターの溜息が漏れた時、背後でバシンと音がして驚いて振り返ると、ヴォルフに頬をぶたれてよろめくオルガ。
 咄嗟に伸ばした手が、どうにか床に叩きつけられる寸でのオルガを抱きとめることに成功し、ひとまずは安堵したが、見れば頬が真っ赤になっていた。
「―――ヴォル・・・!」
「ヴォルフ卿! このようなことをなさってはいけません」
 彼らの間に立ちはだかったモートンに先を越されてしまい、頭に上った血が下りていくのを感じた。
 まったく、うちの執事は主人の扱いに長けている・・・。
「うるさい! この雌犬が飛びついてくるからだ!」
「オルガ様ですよ、ヴォルフ卿」
「そんな雌犬に、名などいらぬわ!」
「ヴォルフ卿、そのようなことを仰ってはいけませんよ」
「黙れ! そいつに触れられたくなどないのに! 触れてきたから悪い! 私は悪くない!」
「ヴォルフ卿」
「うるさい! うるさい! うるさい!」
「セドリック様!」
 モートンに鋭い呼びかけに、ヴォルフはビクリと身を竦めた。
 そんな彼の肩にモートンがそっと手を添えたことに、フォスターは驚く。
 常に執事の分をわきまえた彼が他家の貴族の体に触れるなど、考えられない行為である。
「大きく、息を吸って・・・吐いて。もう一度。そう、お上手ですよ」
 ゆっくりと深呼吸をさせながら、その息に合わせて肩を擦るモートンは、ヴォルフの顔を覗き込んだ。
「怖がらなくても大丈夫です。フォスター伯は、もうあなた様を見放したりなさいません」
「~~~でも、だって・・・フォスターが、怖い顔をしている。あの時と同じだ」
「それは、あなた様がいけないことをなさったからです。叱られるかもしれませんが、見放しはなさいません」
「嫌だ・・・叱られるのも、怖い・・・」
「では、やってしまったいけないことを、謝りましょうね? どなたにいけないことをしましたか?」
 ヴォルフの視線がオドオドとフォスターを捉え、やがて、彼の腕の中で心配そうに様子を見つめるオルガに届いた。
「・・・オルガ・・・」
 その呼びかけにオルガが腕から抜け出そうとするのを、フォスターは思わず遮る。しかし、振り返ったモートンが首を横に振ったので、仕方なく手を離した。
 オルガが両手を伸ばすと、その手の平を自分の頬に添わせるように、ヴォルフが屈む。
「・・・オルガ、ごめん・・・」
「だいじょぶ。ちょこっとびっくり。でも、だいじょぶよ」
 そんな二人を見つめ、フォスターは隣に立ったモートンに苦笑を向けた。
「参ったな。私は出る幕なしだ」
「何を仰います。旦那様の役目は、ここからでございますよ」
「え? いや、しかし・・・ヴォルフはすっかり落ち着いたじゃないか」
「それはご自分でお考えくださいませ。私めはオルガ様のお相手を致しておりますので・・・」
 つまり、ヴォルフを連れて行けということだろうが・・・弱った。
 これ以上の手当ては必要ないように思うが。
 まあ、とりあえず初心貫徹か。
「あー、モートン。濡れタオルを準備してくれないか」



 ヴォルフを連れて、彼の寝室へ。
 後をついてくるヴォルフは、明らかにしょぼくれていた。
「ほら、ベッドに俯せに寝て。お尻を出しなさい」
 俯き加減だったヴォルフの顔が跳ね上がり、涙目で首を横に振る。
「もう、叩いたら嫌だ・・・。まだ痛い・・・」
 こんなに怯えさせるまでぶってしまったとは、些か厳しくし過ぎたかと、フォスターは反省の吐息をこぼした。
「ぶたないよ。お前はちゃんとオルガに謝れたからね。お尻、痛いんだろう? 冷やしてやるから、ほら、横になって」
 ベッドを叩いて見せると、ヴォルフはおずおずと歩を進め、枕を抱えるように俯せになった。
 サスペンダーを外してズボンと下着を捲ると、ヴォルフの体が竦む。
「信用してくれよ、本当にぶったりしないから」
 苦笑いでお尻に濡れタオルを乗せてやり、ヴォルフと視線が合うように、床に胡座をかく。
「怖いくらい痛かったのか? ごめんな。やり過ぎてしまったようだ、悪かった」
 枕に埋めるようにした顔をフォスターに向けて、じっと見つめてくるヴォルフ。
 本当に、子供のような男だとつくづく思う。
 先程の突如爆発するような癇癪だって、まるで幼児のそれだ。
「・・・どうして、お前が謝る? やっぱり、私は悪くなかったのか?」
 ~~~やっぱりって。
「いいや、お前はいけない子だったよ。オルガのせいにばかりするし、ちっとも謝らないし。謝らないから、ついたくさん叩いてしまったが・・・やったこと自体には、見合う罰ではなかったという意味だ」
「・・・謝っていたら、あんなに叩かなかった?」
「そうだよ。ただし、本当に悪いって思って謝ったらの話」
 ダメだ。この目は理解できていない。
「だからね、お尻を叩かれたくないから謝って終わらせようというんじゃダメってこと。これはわかるか?」
しばらく考えていたヴォルフが、コクンと頷いたので、頭を撫でてやる。
「えーとね、全部オルガのせいにしたのを、いけないことだって、わかって謝ったら、ちゃんとすぐに許してもらえたの。これは? わかるか?」
 ヴォルフが枕に顔を押し付けて隠してしまった。
「・・・から」
 何か言っているようだが、枕に塞がれてくぐもった声が聞き取れない。
「何? もう一度言ってごらん」
「・・・のこと、・・・から・・・」
「聞こえないって。ほら、ちゃんと顔をこっちに向けて」
 軽く耳を摘むと、ようやく顔を上げたヴォルフの目は、涙ですっかり凝っていた。
「ヴォルフ、どうした。何を泣いてる」
「だって! お前が! 怒ってる間、ずっとオルガ、オルガってばっかり言うから・・・!」
「え?」
「オルガのせいにしてって! オルガが可哀想だろうって! オルガは何もわからないで言いなりになるから、お前がちゃんとしなさいって! オルガ、オルガ、オルガ! オルガのことばっかり・・・!」
 確かに、宮殿で叱りつけている間、人のせいにしようとする態度を反省させたくて、その相手がオルガであったから、そう言い続けた。
 もしやヴォルフはそれが気に入らなくて、謝ろうとしなかったのか?
 子供のように泣きじゃくるほど痛かったくせに、それで意地を張っていたのか?
 フォスターがオルガばかりを気にかけていることに、妬いていた?
「え? もしかして、お前がさっきオルガをぶったのは・・・」
「だって! あいつばっかり、ずるい! 触られたくなくなった!」
「~~~」
 フォスターは両手で顔を覆うと、しばらく言葉を失っていた。
 この男が。この幼馴染の学友が。この侯爵が。
 心のどこかが欠けた子供だということは、わかっていた。
 その欠けた部分を埋めようとするように、フォスターについてくることも。
 だが、そのフォスターの言葉が、彼にここまで影響があるとまで、考えていなかった。
 友人として、あるいは兄代わりとして、ただ添ってやれば良いと思っていたのに。
 フォスターの彼への影響力は、母親と幼児同然ではないか。
 気付かされた責任の重さに、フォスターは幾度も覆った手で顔を擦った。
 モートンが言った役目とは、このことだったか。
 彼が何故あんな癇癪を起こし、オルガに当たったのか。
 それを理解しろということ。
 どこまで優秀な執事なのか。
 ・・・いや。優秀? そんな言葉で片付けられない気がする。
 そういえば、さっきモートンはヴォルフを「セドリック」と呼んだ。
 セドリックは確かヴォルフの名前だ。家名はガーネット。そうだ、セドリック・ガーネット家のヴォルフ侯爵。
 爵位を継ぐ者は領地と継ぐべき爵位で呼ばれるし、署名もすべて領地名。
 貴族にとって姓と名は生まれたことを示す記号に過ぎず、フォスターとて、咄嗟には自分の姓名を名乗れない程、遠い記憶。
 王家の記録簿にしかない侯爵の名前を、他家の執事が知る由もないはず。
 それなのに、モートンは「セドリック様」と呼んだのだ。
「・・・・・・フォスター」
 不安そうなヴォルフの声に、我に返る。
 いけない、またやってしまった。
 この同い年の幼子の心と向き合っている最中に、他事に気を向けてはならない。
 それが、自分に課せられた役目。
「ヴォルフ、心配しなくていいから。オルガのことばかりじゃないからな。お前を叱るのだって、もうお前を見放さないって決めたからだよ」
「・・・叱られるのは、嫌だ。お尻痛い・・・」
「私だって嫌だよ。可哀想になるし、手も痛いからな」
「じゃあ、叩くな」
「そうできればいいんだけどねぇ。手が掛かるお坊ちゃんだからなぁ」
「・・・なぁ」
「うん?」
「もう、言わないか? 本当に、もう、終わりって、言わないか? 関わりたくないって、言わないか?」
 ヴォルフの髪に指を絡ませるように撫でて、微笑んで見せる。
「言わないよ。約束だ」
 まるで重たい十字架を背負わされた気分ではあるが。



「旦那様、オルガ様はもう寝かしつけました故」
「ああ、ヴォルフも寝たよ」
 まるで父親と母親の会話だなと苦笑しつつ、すっかり居場所となってしまったヴォルフ邸の執務室のソファに掛けたフォスター。
 モートンの淹れたお茶を味わいつつ、今日の宮殿での国王の提案を話す。
「なるほど。それは良い。さっそく、各商家に当ってみましょう。ヴォルフ領がそのまま残るなら、領民も前ご領主御夫妻も、安泰でございますね」
 ふとモートンを見つめたフォスター。
「隠していたわけではございませんよ。私はすでに旦那様の執事でございますから、取り立てて言うことでもなかっただけのこと」
 お茶のおかわりを注ぎながら言ったモートンに、フォスターは肩をすくめた。
「君は実に優秀だが、時には会話に趣を添えた方が良いね。見透かされるばかりでは、私も立つ瀬がない」
「これは、失礼を致しました」
 思わずといった様子で微笑んだモートンは、サイドボードから書類の束を手に取り、フォスターの前に並べた。
「横領の件を調査しておりました。さて、私のことも、ここに載っておりますよ」
 一番上の報告書には、ヴォルフが生まれてからの執事たちの名前が順に並んでいる。
「・・・君が、ヴォルフの最初の執事?」
「はい。最初に、ヴォルフ家を解雇された執事でございます。私は従僕から初めて執事に昇格させていただいたばかりの、若輩者でございました」
 よくよく報告書を読むと、ヴォルフには十歳年長の兄がいたとある。
 本来、ヴォルフ侯爵を継ぐはずだったその兄は、ヴォルフが生まれてわずか一年後に、当時のヴォルフ家執事と共に事故で亡くなったとあった。
 結果、ヴォルフ侯爵の継承権は、セドリックという赤子に引き継がれる。
「兄君と一緒に事故死された執事に代わり、当時従僕だった私が、セドリック坊ちゃまの教育係も兼ねて執事に昇格いたしました」
「モートン、掛けたまえ。ゆっくり聞きたい」
「恐れ入ります」
 恭しく頭を垂れたモートンは、主の差し向かいに腰を下ろした。
「あの頃、一心に愛情を注いでこられた長子を突然失われた前侯爵御夫妻は、セドリック坊ちゃまを顧みられない程に、お心を痛めておられました・・・」
 長子の死から立ち直れない両親に代わり、赤ん坊だったヴォルフを乳母と共に世話をする日々が続く。
「どんなに泣いても、ご両親には届かない声。広い子供部屋の小さなベビーベッドで、温もりを求めて泣きじゃくるセドリック様の姿は、本当に切ないものでございました・・・」
 泣けば抱きしめ、抱きしめれば笑い、愛おしさばかりが募る。
 この小さな主を、どうにか立派に成人させてやりたいと、心から思った。
「ただ、私めも、まだほんの若輩者で・・・」
 苦笑を滲ませるモートンを、フォスターは黙って見つめた。
「どこに出しても恥ずかしくない後継者に、侯爵にと、気持ちばかりが先に立ち、いたずら盛りの四つになられたセドリック坊ちゃまを、随分厳しく躾ておったのですが」
 ある日、いつものように叱りつけていると、偶然それを見かけたヴォルフの母親が激怒した。
 叱られて泣きじゃくる我が子を抱きしめて、無礼者と半狂乱に糾弾された。
 皮肉にも、それまで我が子を顧みなかった母親は、悪さで他人に叱られる息子の姿を見て、彼を庇い溺愛するようになったのだ。
 モートンはもちろん、乳母も誰も、ヴォルフを叱れなくなった。
 それでもモートンは教育係としての姿勢を貫こうとして・・・解雇された。
 それからしばらくしてフォスター家の執事に拾われて、従僕として雇用され、フォスターの教育係となったのである。
「それが現在、ご領地でお父上とお母上の執事をなさっていらっしゃる方ですが、その方に、叱り方や導き方を徹底的に仕込まれました」
「ああ・・・あれも、本当に有能な執事だものな」
「はい、我が師と仰ぐ方でございます。そして、旦那様をお育て申し上げ、初等科へとご就学なされた後、セドリック様の当時を私は知ることとなります」
「さぞや、気を揉んだだろうね」
「そりゃぁもう・・・。あなた様から聞き及ぶセドリック様のことは、気が気ではありませんでした。甘やかされて、何者をも恐れず・・・」
 モートンが苦笑を滲ませた。
「あなた様がご友人でいてくださるなら、きっと大丈夫。そう、思っておりました」
「とんだ見込み違いだったかな」
「いいえ。あの出来事をなかったことにしてしまえるような方に、お育てしたつもりはございません。仕方ないとは思いながらも・・・」
「そうだね。お前はどうにか私たちの仲を修復しようと、招待状が来るたびに、しつこく出向くように勧めた」
「旦那様に私めの尻拭いを押し付けているようで、気が咎めはしたのですが・・・」
「・・・私ならばと、思ってくれたのだろう?」
 深々と頭を垂れるモートンに、フォスターは天井を仰ぎ見た。
 結果、あの可愛いオルガを得た。
 そして、ヴォルフの心の奥底を垣間見た。
 縁(えにし)。
 そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
 ガラス玉の瞳に、徐々に宿っていく息吹。
 実に重たい役目ではあるが、この褒美には代え難いものがあると、フォスターは思う。
「・・・独身の内から、幼子二人を抱えることになるとはな。これでは、執事に独身を嘆かれても仕方ないな」
「それとこれとは話が別です」
 途端に声を厳しくしたモートンに、フォスターはヒラヒラと手を振った。
「それで? 横領の件、報告を聞こうか」
 いつもの誤魔化し口調に、モートンは溜息をついて報告書をめくったのだった。



つづく




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