オルガ

第十一話 許しの心

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 ヴォルフはぼんやりと執務室の天井を眺めていた。
 足元に裸のオルガがコロコロと転がっていたのでチョンと足でつついてみると、きゃっきゃっと笑うオルガの声が心地いい。
 先のことなど何も考えず、ずっとこんな時間の中にいられたらいいのにと思うのに、ノックの音に邪魔されて、ヴォルフは眉をしかめた。
「何だ、うるさいぞ」
「旦那様、フォスター伯爵がお見えになりました」
 その名を聞いて、オルガはぴょこんと執務机の下に潜り込む。
「フォスター?」
 謁見願いもなく来訪するような男ではない名前に、他にフォスターという名の知人がいたかどうか、考えてしまった。
「・・・通せ」
 ドアを潜って姿を見せたのは、果たしてフォスターであった。
「・・・やはり失礼な男だな。伯爵ごときが侯爵に謁見するのに、何の連絡もなしとは」
 本当は嬉しいのに、つい憎まれ口をきいてしまうのは、フォスターはそんなことを意に介さないと、知っているから。
「そんな悠長な手順を踏んでいる事態ではないと思ってね。本当はもっと早く来たかったのだが、こちらも手当てに忙しくてな。うちは収穫前の農作物を根こそぎやられた。ヴォルフ領は?」
 ヴォルフは黙ったまま、両手を広げた。
「・・・そうか」
「援助金を賄うのに資金をすべて使い果たしたが、まるで足りなかった。それに、今回のことで、我が侯爵家には多額の借金があったことが発覚してな」
「借金?」
「今まで辞めていった執事たちが、我が家名を使ってせしめていたらしい。今まで、領地の収穫で利息だけ支払われていたそうだが、今回の領地の被災を知った銀行の頭取たちが、元金を取り戻そうと一斉に押し寄せてきたよ」
「・・・・・・」
「ふふ。自業自得だという顔だな」
「・・・それが事実だしな」
「ふん、ズケズケと物を言う。まあ、毒を食らわば皿までと思ってね。その場で、更に領地への援助金を賄える借り入れをしてやった。返済は、領地を丸ごと売り払っても完済できるかわからん額だ。この屋敷も売却せんとな・・・」
 ヴォルフはふと口を閉ざした。
 そっと差し出されたフォスターの手が、頭を撫でたからだ。
「そこまでしても、ちゃんと領地に援助できて、偉かったな」
 子供扱いするなと言いたかったが、撫でてもらえる嬉しさが若干勝る。
「・・・だって、領民を大切にしないと、お前、怒るじゃないか・・・」
「え?」
「痛いのも、嫌だけど・・・お前が言っていたことの意味、わかったから・・・。この前、被害にあった領地に行ってみたら、領民が、嬉しそうに、笑うんだ」
 フォスターは彼の言葉を黙って聞いた。
「収穫前の作物、めちゃくちゃになってて・・・それを、みんなで片付けていて・・・すごく辛そうだったのに、私が行ったら、ありがとうございますって、皆、笑うんだ・・・」
 破顔一笑。フォスターの浮かべた表情は、まさしくそれだった。
「そうか、うん、偉い偉い、うん」
「子供扱いするなってば! 本当に失礼なヤツだな!」
 更に力強くクシャクシャと頭を撫でられて、ヴォルフは耳朶を赤く染めて抵抗した。



 話は遡り、災害から一か月前。
 ヴォルフ家への招待状を届けるのが、週に一度の定例になり始めた頃、フォスターが言った。
「来月から三ヶ月ほど留守にするから」
「え?」
 声を上げたのはヴォルフとオルガの二人。
 オルガはともかく、何故ヴォルフまで驚くのか、フォスターは首を傾げる。
「なんで?」
「どうして?」
「いっぱい、おでかけなの?」
「どこへ行くんだ、そんなに」
 質問は矢継ぎ早だが、内容は同じではないか。
「オルガ、私はお仕事があるからね、我慢しておくれ」
「仕事って、どこへ行くんだよ。なんでそんなに長い間いない」
 オルガに言い聞かせているのに、何故かヴォルフが不平を鳴らす。
「どこって・・・そりゃ、領地に決まっているだろう。もうすぐ収穫祭の季節じゃないか」
「収穫祭? そんなものは領民の祭りだろう。どうして、お前が出向く」
 あまりに素朴な疑問として投げかけてくるヴォルフの顔を、フォスターは唖然として見つめた。
「嘘だろう。お前、まさか! 自分の領地の収穫祭に出席していないのか!?」
「だって、領地には父上と母上がいるし、私が出向く必要もないだろう?」
 傍らでお茶の仕度をしていたモートンから、深いため息が聞こえた。
「~~~この、馬鹿者! 先代御領主はあくまで隠居された身で、今はお前が領主だろう!」
 いきなり怒られ、ヴォルフは訳がわからないという風に目を瞬いているのを見て、フォスターは嫌な予感に胸を押さえた。
「・・・一つ聞く。最近、いつ領地に赴いた」
 ヴォルフが天井を仰ぎ指折り数えている様子に、フォスターは頭痛を覚えて頭を振った。
「もう数えなくていい・・・。つまり、記憶に残らない程、足が遠のいているわけだな」
「だって、あんな田舎に行ったって、つまらないじゃないか」
 この男は、悪気なく自分の逆鱗に触れる天才なのかもしれないと、フォスターは眉を引きつらせた。
「王都に住まう領主が領地に滞在することによって、経済が動いて領民が潤うのだ。それも領主の大事な勤めであろうが」
「領民どもは領地の恵みのお陰で、十分潤っているじゃないか」
「~~~」
フォスターは、ニッコリとオルガに微笑みかけた。
「・・・オルガ、ちょーっと、モートンとお庭をお散歩しておいで」
 こういうフォスターの顔色を、オルガはすっかり見抜けるようになっていた。
「ヴォルフのお尻ぺんするの?」
「え!?」
 ああ、もう。オルガの言葉で警戒したヴォルフが、ソファから立ち上がってしまったではないか。
 抵抗する間を与えずに、膝の上においで願おうと思っていたのに。
「可哀想よ。ふぉすたのぺん、痛いもの。ヴォルフ、早くごめんなさいして」
「オルガは優しいねぇ。でもね、何が悪いかもわからずに言うごめんなさいは、ヴォルフに良くないことだからね」
「ふぅん?」
「オルガもそうだよ。叱られる時は、何がいけなかったのか、ちゃんと理解してからのごめんなさいしないとダメだからね」
「はぁい」
「うん、良い子。じゃ、いってらっしゃい」
 後ろ髪を引かれる様子のオルガを、フォスターと目配せしたモートンが連れて出る。
「さて」
 ジロリと見据えられて、ヴォルフはジリジリと後ずさっていく。
「おい、よせ、私はスパンキングなど、するのもされるのも趣味じゃない。そういう趣味はオルガでやれ」
 フォスターは引きつる顔に、どうにか笑顔を滲ませる。
 やはりこの男は、フォスターの逆鱗に触れる天才だ。
「誰が趣味だ。今から領主たる者のあるべき姿を、たっぷりお尻に言い聞かせてやるからな、覚悟しろ」
 詰め寄るフォスターに、とうとう壁際まで追い込まれたヴォルフは、必死で逃げ場を探して視線を走らせていたが、その隙をつかれて腕を掴まれると、あっという間に床に組み敷かれ、腹の下に滑り込んだフォスターの片膝にお尻を持ち上げられてしまった。
「やめ、やめろ、バカ! 無礼者! 離せ!」
 同じ貴族でも、生活習慣が健全なフォスターの方が、圧倒的に力が勝る。
 片手で腰を押さえられたら、どんなにもがいてもヴォルフに勝ち目はなかった。
「領民ども、と言ったな。確かに我らは領主で、その領地の主だ」
 パンッと鋭い音と共に、ヴォルフの頭が跳ね上がった。
「痛いっ! 嫌だ! 離せ!」
「だが、その領地の、田畑を、耕し、恵みを、もたらして、くれて、いるのは、誰だ?」
 言葉を切るのと合わせてお尻に降り注ぐ平手に、ヴォルフは気の毒なほど呻き声を上げてもがく。
 ダメだ、これは。
 おそらく、彼はお尻をぶたれて叱られたことなどない。
 そんなに強く叩いていないのに、痛みと恥ずかしさに翻弄されて、こちらの言っていることが聞こえていないようだ。
 フォスターは溜息をついて、ヴォルフを膝から下ろしてやった。
「痛いじゃないか! 国王陛下に訴えてやるからな!」
「お仕置きを終わらせたわけじゃない。まずちゃんと、言い聞かせるのが先決と判断しただけだ。立ちなさい」
 フォスターはソファに腰を下ろすと、目の前の床を指差して言った。
「侯爵に向かって、命令するな!」
「ここに、立ちなさい」
 毅然としたフォスターの声に、ヴォルフは唇を噛み、渋々ながら彼の前に立った。
「もう一度、言うぞ。確かに我らは領地の主だ。だが、その領地の田畑を耕し、実りをもたらしてくれているのは、誰だ?」
「それは・・・領民、だが・・・。でも、彼らにその土地を与えているのは、領主の我らだ」
「では聞く。その領民が、他の土地がいいと出て行ったら? 漁村の領民が、他の海がいいと出て行ったら?」
「~~~」
「田畑は荒れ、海はただそこにある。領主には、なんの恵みももたらされない。けれど、領民には、どこの土地へ行っても田畑を耕す力と、漁をする技術がある。では。我ら領主には?」
「・・・土地さえあれば、また、別の土地から領民を呼び寄せられる!」
「しかし、領民に何の力も貸さず、自分たちを見下し搾取されるだけとなれば、またその領民は出て行く。領民が定着しない領地には、いずれ誰も近付かなくなるな」
 じっと俯いていたヴォルフは、しばし口を閉ざしたフォスターに上目遣いを向けた。
「・・・私は、領民なしで、あの領地を維持できない・・・」
「そうだな」
 フォスターはゆっくりと丁寧に、何故、自分たちが定期的に領地を訪れる必要があるのかを説いた。
 自分たちが滞在することによって、領地の城に雇用が生まれること。
 領主として贅沢な暮らしを敢えて領地ですることによって、地元の農作物や畜産に出荷以外の消費を生み、彼らの臨時収入が潤うこと。
 労をねぎらい、共に祝宴を上げることで、結束がより固まること。
「わかったかね? 私たちは、土地を与える者と、土地を支える者。五分と五分で成り立っているんだ。彼らがあって、我らがいる。だから、領民は我々を敬ってくれるのと同様、我らも彼らを敬う。先祖代々の土地を守ってきてくれた彼らを守らねばならない」
 ヴォルフはずっと俯いていたが、じっとフォスターの言葉を聞いているのがわかる。
「さて。私が何故怒ったのか、理解できたかね?」
 小さく頷いた彼に、膝を叩いて見せる。
「では、長らく領地を放置した罰。それと、領民を蔑んだ罰。今からお仕置きに、お尻を百叩く」
 ビクリと顔を上げたヴォルフは泣きそうな顔で首を横に振ったが、フォスターはやはり、毅然たる態度を崩さなかった。



 この男に必要なのは、成長過程にあるべきだった、心を育てる教育なのだと思い知る。
 ようやく動き始めた心の成長の為に、大き過ぎる代償を支払ったわけだが、純粋なオルガの目は確かだったようだ。
 あの大学時代に見放さずにいれば、もっと早く彼を化物から人間に成長させてやれたのだろうか。
 いや、それはおこがましい見解であろうと、フォスターは頭をひと振りした。
 大学時代ではフォスターもまた、ただの若輩者であったのだから。
 今も自分が完璧な大人とは思わないが、少なくとも、昔の自分よりは彼にしてやれることがある。
 オルガに課した彼の非道の数々を、許せない気持ちはある。
 けれど、当のオルガが彼を許し救おうとしているのならば、フォスターにできることは少女の思いに応え、もう二度とあんな蛮行愚劣な行為をしない人間に導くことだけだ。
 導くなどと大それたことはできないかもしれないが、もう一度、友人に戻ってみようと思う。
「~~~ちゅんっ」
「・・・ん?」
 今、オルガのくしゃみが聞こえたような・・・。
「オルガ? 居るのか?」
 返事はない。
 ふと見れば、ヴォルフの視線がの執務机の下に。
 ツカツカとヴォルフの背後に回り込み、執務机の下を覗くと、全裸のオルガが蹲っていた。
「オルガ! どうして裸なんだ!? ~~~ヴォルフ?」
 ジロリと睨まれて、ヴォルフが慌てて手を振る。
「ち、違う! 私が命じてさせているわけじゃない! オルガはうちではこうなんだ! 進んで服を着るのは、お前の屋敷に行く時くらいで・・・」
「・・・ほお」
 じーっとオルガを見つめると、視線がどんどん逃げていく。
「オルガ~? お前、私の前とヴォルフの前を、使い分けているね?」
「・・・だって」
「だって?」
「お洋服、動きにくい。着たり脱いだりも、めんどう」
 ちらとフォスターを見上げたオルガは、執務机の下で笑顔を浮かべた。
「いけないことってわかって、ごめんなさいしたら良いって、ふぉすた、言ったよね?」
 なるほど。先日、ヴォルフを叱る前に言ったことか。
 本当に、理解度が日に日に増してきた。
 お人形のようだった頃から、幼子へ。そして今や・・・人の揚げ足を取るまでに。
 これを成長と呼べば呼べるが、褒められることではない。
「私が言ったのは、何がいけないか、わからない時のごめんなさいはダメということだね。お前は服を着ないことを私に叱られるとわかっているから、そうやって隠れていたんだろう? いけないこととわかっている行為をやった上に隠すのは、とてもいけないことだと、以前も教えたね?」
 オルガは素早くヴォルフの足元を掻い潜って執務机の下から飛び出した。
 フォスターの手の届かいないルートを、今のやり取りの間に模索していたであろう逃げっぷりで、あっという間に執務室から駆け出していく。
「こら! 待ちなさい!」
 その後ろ姿に歯ぎしりせんばかりのフォスターが声を上げたが、オルガが戻ってくる気配はなし。
「~~~ああ、まったく! 見つけたら、うんと懲らしめてやらねば」
 ガリガリと頭を掻くフォスターを、執務机に肘をついたヴォルフが見上げた。
「アレが裸でいるのが嫌なら、私が命じてやめさせようか?」
 眩暈。
 心は動き出した。けれど、その事例ひとつひとつを以てして教え込んでいかねばならない辺り、やはり以前のオルガを思い起こさせる。
「命じてやめさせても、意味はないんだよ。そもそも、私が問題にしているのは、いけないことをしている自覚がある行為を隠そうとしたことだ」
「・・・私は何も隠さなかったのに、お前に怒られた」
 ああ、頭痛がする。
 噛み砕いて説明を要する相手が、二人に増えてしまった・・・。
「あー、それは、今度ゆっくりな。今から、モートンをここに呼んでもいいかね? ヴォルフ侯爵家の今後の進退を、三人で話し合いたい。おそらくはお前のところの執事より、彼は力になれると思う」
「・・・良きにはからえ。・・・ああ、こういう時は、礼を言うべきなのか?」
 苦笑。
「まあ、追い追い覚えていけばいい」
「でも、私は、お前のような誠実を絵に描いたような紳士になれる気がしない」
「・・・それは、褒めているのかね?」
「・・・多分」
 フォスターは肩をすくめた。
「ひとつ打ち明けよう。先日、お前を叱りつけた領民に対する姿勢の件。あれは、私が子供の頃に「領民なんか」と言ったのを、モートンに嫌というほど叱られた時の受け売りだ」
 ただしフォスターの場合、ヴォルフをただ立たせてしていたお説教を、壁際に立たされて丸出しにされたお尻を、延々とケインで叩かれながらと聞かされたのだが、そこは伏せる。
「・・・お前が? 叱られた?」
 常に優等生のフォスターしか知らないヴォルフは、信じられないという風に目を見張る。
「そう。私には小さな頃から、厳しく教えを説いてくれる者が傍にいただけのこと。お前は、これからゆっくり学んでいけばいい。・・・付き合ってやるから」
 言っていて、さすがに照れてきたフォスターは、モートンを呼び寄せるためにそそくさと執務室を出て、チラリと中を覗いた。
 ヴォルフは天井を仰いでいた。
 その顔は、学生時代に友人として隣にいた頃と同じに、嬉しそうだった。



つづく



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~ Comment ~

またコメントさせて頂きます。
オルガの続きをわざわざ書いてくださり、感謝感激しております。このお話は、私が最も好きな作品の一つなので嬉しいですが、前の私のコメントで、なにやら無理をさせてしまったような気がしてしまい、心苦しくもあります。

続きがとても気になりますが、何卒お疲れの出ませんようにしてください。私は気長に続きを待っておりますので(笑)

コメントありがとうございます^^

コメントありがとうございます^^

上げている作品の中で、唯一完結させていなかったお話なので
また書き始めて良かったと思っていますので、お気になさらず。
オルガの出番が妙に少ないですが(^^;)

読んで頂けてありがたいです。
ありがとうございますv
  • #25 童 天-わらべ てん- 
  • URL 
  • 2016.09/27 22:23 
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