オルガ

第九話 少女が懸けた橋

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 錠が回る音がして、ドアが開いた。
「旦那様、ご夕食の準備が整いましてございます」
 つまり、お茶の時間の軽食抜きの罰も加えられたフォスターはお腹を擦りつつ、手にしていたケインとモートンの顔を見比べて、深く息をついた。
「ん」
「なんでございましょう」
 差し出されたケインに、モートンが白々しく首を傾げる。
 主の行動の意味などお見通しのくせに、これはこれで腹が立つ。
「お前が正しかったという結論に達した」
「はて? どういうことか、私めにはとんと見当がつきませぬ」
「~~~」
 何が悪かったのか、言わせようという腹積もりか。
「えい、くそ! 私が悪かった! オリガを見誤っていたのは私で、お前の忠告に腹を立て、口をきかなかった!」
「ほう。それから?」
「それから?」
 思い当たらないが。
 モートンが片手を横に滑らせて見せた。
「あ」
 すっかり忘れていた・・・。
「癇癪で物に当たる行為を、昔もきつく戒めたはずです。もう二度としないと、泣いてお誓いになったでしょう?」
 もうしないという誓いを破って、うんと後悔させられた記憶が蘇る。
「あー・・・、やっぱりやめた」
 モートンからケインを取り上げようとしたが、ヒラリと腕を上げた彼にかわされてしまい、ガリガリと頭を掻いた。
「わかったよ! 言い出したことは完遂しろ、だな!」
「はい。それも幼き頃より、言い聞かせて参ったことです」
 渋々、後ろを向いて両手を頭に組む。
「剥くのは無しだぞ! ズボンの上からだからな!」
「はいはい、かしこまりました」
 珍しく声を出して笑った忠実な執事は、覚悟を決めて固く目をつむった主のお尻に、ケインをあてがった。
 久しくケインのしなりを年齢の数だけ味わったフォスターは、さすがに一声も上げなかったが、数日の間、時折痛むお尻を擦るのが日課になっていた。



「ふぉすた!」
 久しく聞く舌っ足らずの呼びかけに、フォスターは両手を広げて、駆け寄ってきたオルガを抱きしめた。
「オルガ、オルガ、大丈夫かい? 痛い思いや辛い思いをしていないかい?」
「痛くないよ。気持ちいいことだけ」
 無垢な笑顔にフォスターの表情が強張る。
 ヴォルフめ。こんな幼い少女を、まだ性のはけ口にしているのか。
「一緒にね、ねんねするの。ヴォルフね、温かいの」
 嬉しそうに報告されてますます募る苛立ちに、フォスターはモートンに外套を脱がせてもらっているヴォルフを睨めつけた。
「・・・それが、招待客を出迎える顔かね。モートン、君の主人は相変わらず失礼な男だな」
「申し訳ございません。平にご容赦くださいませ」
 モートンに顔をしかめられ、フォスターはどうにか荒げそうになる言葉を飲み込んだ。
 そうだ、こんな時は、オルガの愛らしい顔を見つめてやり過ごそう。
 ささくれ立った気持ちも、和むというものだ・・・と、オルガを抱き上げようとした時、少女はスルリと猫のようにフォスターの腕をすり抜けて、ヴォルフに抱きつきに行ってしまった。
「・・・」
 思わずヴォルフを睨んだが、モートンもさすがに主に同情したのか、見ないふりをしている。
「では、ご案内致します」
 久しぶりに会ったモートンの腰に絡みつくオルガを張り付けたまま、彼は執事としての立ち居振る舞いを粛々とやってのけていた。
 それを眺めつつ、後ろを歩くフォスターとヴォルフ。
 肩を並べて歩くなど、学生時代以来だ。
「・・・さっきアレが言っていたのは、一緒に寝るという意味そのままだ。私は、抱いていないぞ」
「私は何も言っていない」
「だって、怒ってるじゃないか」
妬いているだけだとは、さすがに言えなかった。



 小姓が届けた招待状から始まった、侯爵家では訪問の支度、伯爵家ではお出迎えの準備と、貴族社会の作法に法って今日に至った晩餐会も、オルガにかかればただの楽しい団らんの場だ。
「オルガ、め! 食事中にウロウロしてはダメだろう。ほら、給仕の邪魔になるから、座っていなさい」
 先程から、彼らの席を行ったり来たりしていたオルガは、フォスターに嗜められて、桜色の頬を膨らませ、ヴォルフの隣に戻った。
「ヴォルフ、美味しい?」
「・・・ああ、鴨のロティの火加減が、絶妙だ。ソースの酸味が爽やかで、鴨の脂と相性がいい」
 当然だ、と、フォスターは胸を張った。
 招待客が金に明かせて美食三昧の侯爵と聞いたフォスター家のシェフが、ヴォルフの嗜好を調べ上げ、寝る間も削って組み立てたメニューだ。
「オルガにもちょーだい」
 あーんと口を開けるオルガに、ヴォルフがフォークで鴨肉を運んでやる姿に、嫉妬。
 料理で勝ったところで、それはシェフの功績であり、自分は一体何なのだと思えてきた。
「・・・なぁ、オルガ」
「なぁに、ふぉすた?」
「お前は、その・・・ヴォルフのところに、居たいのかね?」
「うん!」
 満面の笑みで頷かれて、心が折れる。
「ヴォルフとね、ふぉすたと、一緒がいい」
「え」
 折れた心に差し出された添え木に、フォスターは目を丸くする。
 見れば、ヴォルフも目を瞬いていた。
「ね、ふぉすた。ヴォルフね、寂しいの。ヴォルフもね、ふぉすたの仲良しがいいの」
「いや、あのね、オルガ。私とヴォルフは、仲良しというのでなく、立場上の付き合いというヤツで・・・」
 やおら立ち上がったヴォルフが、オルガを突き飛ばした。
「おい!」
 床に転がったオルガを抱き起こしてヴォルフを睨む。
「・・・もう、いい、帰る」
「ヴォルフ」
「オルガは置いていく! もう関わらない。お前とは、終わりだ。それでいいんだろ!」
 何が逆鱗に触れたかわからないが、これは渡りに船ではなかろうか。
 オルガは自分の手元に戻り、ここまで言い切った以上、ヴォルフも二度とはフォスターに絡むまい。
「やん! ヴォルフ、ダメ!」
 出ていこうとするヴォルフに、必死でしがみつくオルガ。
 それを振り払おうと躍起になる彼は唇を噛んで震えていて、まるで、今にも泣きそうな子供のようだった。
 彼のこんな顔を、昔はよく目にした。
 学友の中、唯一彼に遠慮のないフォスターの言動に戸惑い、うろたえ、こうして震えて、結局わんわんと泣きじゃくるのだ。
 そして、あの時も。
 オリガを陵辱したヴォルフに、フォスターはこれ以上ないくらいの侮蔑の目を向けて言い放った。
「これで終わりだ、ヴォルフ。僕はもう、君と関わりたくない」
 あの時の彼も、こんな顔で震えていた。
「ええい、離せ! 邪魔だ、この雌犬!」
「めすいぬ違うの! オルガでしょ! ふぉすた、優しいよ! ごめんなさいしたら、許してくれるよ! ねぇ、ヴォルフ!」
「うるさい! あの時だって、謝った! なのに、許してはくれなかった!」
 え? いつ?
 フォスターは唖然としつつも、当時の記憶を反芻した。
 あの場で謝罪は一切なかった。
 その後は、ただ遠巻きに自分を見ているヴォルフの記憶しかないが。
 謝罪されたからと許せる行為ではないにしろ、チャンスなら与えられた。
 それが自分の記憶から抜け落ちているのなら、非は認めざるを得ない。
「・・・ヴォルフ、すまないが、お前が謝った記憶がないんだが」
 今度こそ、ヴォルフはボロボロと涙をこぼしてフォスターを睨んだ。
「謝ったじゃないか! ちゃんと、あの時!」
「あの時?」
「勘違いするなって! 女が自分で了承したんだって、私はちゃんと言った!」
「・・・・・・は?」
 なるほど。それは確かに聞いた記憶がある。
 いや、しかし。
 それのどこが謝罪なのだ。
 自分を見つめるヴォルフの目に、見覚えがある。
 それは学生時代などの昔ではなく、もっと最近。
 そうだ、これは、フォスター家に来たばかりの、オルガの目と同じ、ガラス玉。
 なんてことだと、フォスターは床にヘタり込んだ。
 学問もフォスターより優秀で、教え込まれた作法も当たり前のようにこなし、その蛮行愚行を差し引けば、優の評定を受けられるだろう侯爵様は、オルガと同じ何も知らないお人形なのだと、初めて気付いた。
 何が良くて、何がいけない。
 そんな根本的なことがわからないから、平気で蝶の羽をもぐ。
 もいで良いと言われたからやった行いを責められたから、もいで良いと言われたことを伝えれば、自分は悪くないと理解してもらえると考える。
 謝罪とは、自分の行為の正当性を主張すること。彼はそう思い込んでいる。
「ふぉすた! ヴォルフを助けて! ねぇ、オルガのお願い!」
「いや・・・助けてと言われても・・・」
「オルガにはしてくれたでしょ! ヴォルフにも!」
 してくれた? 何を? 人としての、教育を? それを? 侯爵に?
「いや、オルガ。彼は、私より高位の候爵で・・・」
「どうして!? こうしゃくはにんげんじゃないの!? 寂しいままでも、いいの!?」
「いや、いや、あのね、オルガ・・・」
「どうして!? ふぉすたはヴォルフが嫌いなの!? ヴォルフがふぉすたを大好きなのに!?」
 ああ、嫌いだ。
 初恋の女性を蹂躙してフォスターに見せつけ、大人になってもオルガのような少女を汚し、それをわざわざ見せびらかそうと、招待状を送りつけてくるヴォルフが、嫌いだ。
 だが、それは単(ひとえ)に、フォスターの気を引きたくて起こされた行動。
 子供の頃から、フォスターが嫌がることを学び取り、わざとそういう行動を起こして怒られて、嬉しそうに笑っていた。
 オリガの時だって、彼は、まさか見捨てられるとは思わなかったのだと気付く。
 いつものように、怒られるだけだと考えていたのだろう。
 何故なら、彼はやって良いことと悪いことの区別がつかない、貴族社会が生み出した稚拙な化物。
 姿形も立ち居振る舞いも完璧だが、心の何かが欠如した、子供。
 そして、彼が唯一心を開いたのが、フォスター。
 欠けた何かを埋めるべく、彼はずっとフォスターに付きまとっていたのだと、ようやく理解できた。
 だからと言って・・・。
 顔を一撫でして、床を見つめて佇んでいるヴォルフを見上げる。
「皆様、どうぞお席に。お口直しのグラニテでございます」
 モートンの助け舟で、フォスターはホッと息をついて床から立ち上がり、ホストとして、ヴォルフに着席を促した。



 モートンの淹れたお茶を味わう。
 ようやく、静かに考え事ができる時間がきた。
 ヴォルフが帰り、オルガもまた彼と共に戻ってしまったが、またわぁわぁと「ヴォルフはどうしてダメなの!?」と騒がれては、落ち着いて思考がまとまらないので、ちょうど良かった。
「また、招待に応じてくれるか」
 見送りの際にそう聞いたら、ヴォルフはコクンと頷いた。
 おそらく、彼はこれを違えたりしないと確信できたし、オルガを連れてもくるだろう。
 あの子が二人の懸け橋になっているのは、ヴォルフとて理解しているようだった。
「なぁ、モートン。私は、何を悩んでいると思う?」
 自分でもわからないので、常に主を見透かす執事に問うてみる。
「さあ? 私めには、とんと」
 お茶のおかわりを注ぐモートンに、恨みがましい視線を送ってしまった。
「ただ、私が申し上げられるのは・・・オルガ様の言い分は、筋が通っておられるということだけです」
「筋?」
「はい。何故、オルガ様にならできて、ヴォルフ侯爵にはお出来にならぬのかと」
「それは・・・!」
 オルガは幼い少女。ヴォルフは同い年の元学友で侯爵。
「旦那様がオルガ様に男女間の特別な感情をお持ちというのであれば、この筋は瓦解いたしますが」
「馬鹿を言え! 私はただ、あの子をまっとうな人間に戻してやりたいと思っただけだ。無論、可愛いし、愛おしいし、大切だと思っているが、それは妹のように想うだけのことで、そういう類のものではない」
「でしたら、オルガ様の言い分が正しゅうございますね」
「・・・よく言う。爵位の上下を重んじろと私に教育したのは、君だろう」
「はい。学校から帰られると、坊ちゃまが口になさるのはヴォルフ侯爵御子息のことばかり。何やら対立なさっている気配を察し、随分とヒヤヒヤ致しました」
「そう、だったかな」
「ええ。しかし、時を追うごと、対立というより、ヴォルフ侯爵家御子息の先行きを心配なさる坊ちゃまの言動に、何やら安心いたした覚えもございます」
「・・・あいつは、いつだって私を怒らせることばかりするくせに、離れようとせず、甘えたことばかり言うようになったからな・・」
「爵位など関係なく、ご友人であられるなら、私は上下関係など黙認した方が良いのだろうと思いました。そもそも坊ちゃまは、状況に応じた立ち居振る舞いがお出来になる成長を遂げられておりましたので、私は、安心して見守ることができましたし」
「・・・・・・なあ、モートン」
「はい」
「君、さっきから、私を坊ちゃまと呼んでいないか?」
「さあ? 旦那様のお聞き間違いでは?」
 フォスターは肩をすくめて、砂糖菓子をひとつ口に放り込んだ。



つづく





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