ラ・ヴィアン・ローズ&朱雀の章 番外編

Another8~朱雀の章・番外編~

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「どうしたもんかな・・・」
 勢いで逃げ出したはいいが、帰るに帰れないではないか。
 窓からそっと中を覗うと、氷のうを頬に当てた高城が、クロスと話しているのが見えた。
 時々、顔をしかめて口端を指で撫でている。
「~~~えい、クソ!」
 午前中に嫌というほど苦い薬を処方されたばかりなので、あの巨体の薬剤師には近付きたくないのだが、医者の本分が疼くのだ。
 窓から戻ってきたアイフェンを、クロスがため息交じりに肩をすくめて眺める。
「こういうところが、姫さまとの差だな」
「あんなじゃじゃ馬やんちゃ姫と一緒にするな。高城、診せてみろ」
 ベッドに腰掛けている高城の顎を些か乱暴に掴み、アイフェンは自分が殴りつけた頬の診察を開始した。
「うん、これなら来週までに痣は引くな。後、口端の傷・・・クロス、消毒は?」
「ああ、済んでる」
「じゃ、ワセリンを取ってきてくれ。薬品棚の3段目右。後、冷却シート、薬品棚のとなりの冷暗庫。箱ごとな」
 診療室からクロスが取ってきたワセリンを口端の傷に塗ってやる。
「これで話していても痛みは和らぐ。冷却シートと一緒に数日分出しておくから。・・・何を笑ってる」
 拳で口元を隠してはいたが、高城の肩が揺れているのを見たアイフェンが、ムッとして睨んだ。
「いや、可愛い年長者もいたものだと思って」
「はぁ!?」
「謝罪のつもりなんだろ? 気にしなくていい、俺は別に怒ってないし」
「~~~もう一発、ぶん殴ってやろうか?」
「よせよせ。俺は怒ってないが、保護者殿が睨んでるぞ」
 言葉に詰まったアイフェンは、恐る恐る背後を覗うと、苦い薬しか処方しない薬剤師が、ジッとアイフェンを見据えている。
「さて、俺はそろそろ帰るとするよ」
「あ!」
 立ち上がった高城の腕を、思わず掴む。
「・・・これ以上引っ張ると、ますます薬が苦くなるだけだと思うぞ」
 クロスと二人きりにされたくない思いを見抜かれたらしい。
 渋々、腕を離したアイフェンは、高城の背中を恨めしげに見送った。
「さて」
 クロスの咳払いで、すでにお尻がヒリヒリしてきたアイフェンであった。



「昨夜の礼は言わない、気にかけてくれた高城をぶん殴る、挙げ句に謝りもせず逃げ出すなど、朝のお仕置きではまるで足りなかったようだな」
 ベッドに掛けたクロスの膝の上で、例によって腹ばいにされるという屈辱的な格好をさせられた上、とうとうズボンごと下着を下げられてお尻を晒されたアイフェンは、降り注ぐクロスの平手にシーツを握り締めてもがくしか手立てがなかった。
「痛いって! もう勘弁してくれ!」
 吹き出る汗にマスクはグッショリ濡れて、堪らず自分で剥ぎ取る。
「高城は怒ってないと言っていただろ!? それを、なんでアンタが・・・痛い!」
「高城は言っていただろ。俺がお前の保護者だからさ」
「保護者って、あのなぁ! 何度も言うが、俺を幾つだと思ってる!」
「いい年をして、そういうことをしているから、こうやって叱られているんだろうが」
 今までになく強めの平手に、アイフェンは飛び上がらんばかりに仰け反った。
「さて、インターバルだ。夕食の支度に掛かるか」
 やっと膝の上から解放されて、安堵の息をついたアイフェンは、ふと引っかかる言葉に気づいて慌ててズボンを引き上げた。
「おい、インターバルってなんだよ、インターバルって!」
「そんなに腫れてちゃ、続けたって痛くないだろ。朝昼晩、苦い薬を処方してやるからな」
「冗談・・・!」
「の、つもりはない。お前が高城にちゃんと詫びるまで、毎日だって続けるからな、そのつもりで」
 この男、本気ではないか。
「わかったよ! 今すぐ、高城のとこに行って謝る! 謝るから!」
「残念。高城は姫さまとステイツへ日本食の材料を買い出しにがてら観光旅行。明日の昼間で戻らん」
 見る見る血の気が引いていくアイフェンの表情に、クロスが鼻で笑った。
「さっさと謝らないからだ。こういうのを、後悔先に立たずというんだよ。」



「悪かった・・・、もう、お前に絡んだりしない。約束する」
 言葉は愁傷だが、白い仮面の下が不貞腐れているのが手に取るようにわかって、高城が苦笑した。
「相当こってりやられたようだな」
 アイフェンはお尻を擦ってそっぽを向いた。
 マジェスティー邸のキッチンで、高城と共に食事の支度をしていた朱煌が、肩を震わせている。
「クッ・・・あ、もうダメ! あは、あはは!」
 ついに堪えきれなくなったらしい朱煌が、腹を抱えて笑い出したものだから、アイフェンは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「こら、朱煌。やめなさい」
「は、ははは! だってぇ・・・」
「・・・久々に、お前もお仕置きしてやろうか?」
 ピタリと笑いを納めた朱煌が、黙々と野菜の皮を剥き始める。
 高城は肩をすくめて息をつくと、アイフェンの肩を叩いた。
「前も言ったが、俺は別に怒っちゃいない。アンタがすっきりしたなら、それでいい」
「・・・頬、痛むか?」
「いいや、処置が適切だったお陰で、痛みはほとんどない。そうだ、手伝ってくれないか?」
「え?」
 まな板の前に押し出されて、戸惑う。
 朱煌がまた笑った。
「無理無理。そいつはメスで人を切るのは得意だけど、料理はからきしだから」
「~~~姫さま、人をマッドサイエンティストのように仰らないで頂けますか?」
「だってお前の体の構成物質は、ほとんどTVディナーじゃないか」
 高城は肩をすくめて、アイフェンにまな板の前からご退場願う。
「ウケないと思うよ~、日本食」
「いいんだよ、俺が食べたいだけなんだから。朱煌、お前はジェスたちが食べられるもの、担当してくれるか?」
「いいけど、匂いで胸焼け起こさないでよ」
 キッチンに立つ二人の背中。
 他愛ない会話。
 アイフェンは手近な椅子に腰を下ろし、二人を眺めていた。
 トントンとまな板を踊る包丁の音。
 コトコトと沸く、鍋の音。
 じっと耳を澄ます。
 なんて・・・なんて幸せな時間の音。
 母が笑っている。
 父が笑っている。
 ああ、なんて、なんて幸せな時間の音。
 ずっと、ずっと、聞いていたい音。
 アイフェンは仮面が涙に濡れていることに気付いた。
「・・・涙もろくなったな、我ながら。年、かな・・・」
 天井を仰ぎ見て、アイフェンは仮面の上からまぶたを押さえた。



 クロスはようやくホッとできた。
 高城と朱煌の手料理を囲む食卓。
 アイフェンは相変わらず黙って食事をしているが、これは寡黙なだけのいつもの彼だ。
 飛び交う会話に、時折微笑んだりもしている。
 マジェスティーもそれを感じ取っているらしく、ご機嫌だった。
「器まで買ってきたのか、善積」
「他はともかく、飯碗と汁椀だけは譲れん。味噌汁をスプーンで飲むなんざ、味気ないからな」
 味噌汁の器を口に運ぶ高城を見て、レーヌは目を丸くした。
「まあ、器を手に持つのですか?」
「器を手に持って食べるのは先進国じゃ日本くらいでしょうが、これは我が国のマナーですよ。持って良い器と持ってはいけない器があります」
 マナーと言われると、レーヌは弱い。
 思い切って椀を手にして口に運んだレーヌは、少し頬を赤らめた。
「おかしな気持ち。ですが、このスープはとても美味しいですわ。何かしら、薄ら、魚の風味が・・・」
「鰹の出汁ですよ」
「お野菜がたくさん」
 朱煌がレーヌに肩をすくめて見せた。
「本当なら、善積さんは豆腐とワカメの味噌汁が好みなんだけどね。ワカメは外国人ウケが悪いって、ロス市警に研修出張に行った時に、思い知ったんだってさ」
「ワカメって、なんですの?」
「こっちで言うところの、海のゴミ」
「まあ!」
「ちなみに、日本人はタコも食う」
「えぇ!?」
 レーヌの過剰反応が面白いらしく、朱煌は次々に日本食の話を聞かせている。
「この肉料理、美味いな。これ、ジンジャー?」
「ああ、豚の生姜焼き。これはロスでもウケたなぁと思って」
「うん、美味い。ライスが甘いから、よく合う」
「そうだろうとも」
 得意げにマジェスティーに腕を組んで見せる高城に、アイフェンが笑っていた。
 久しく訪れた、平和な食卓。
 食後のしばしの談笑の後、マジェスティー邸を後にしたクロスとアイフェンは、静かな林道を歩いていた。
「さて、俺は3日ぶりに、我が家へ帰るとするよ」
 分かれ道で立ち止まったクロスを、アイフェンが振り返る。
「やっと監視から解放か。ありがたいことだ」
「・・・もう、大丈夫だな?」
 黙って夜空を見上げたアイフェンはマスクを外し、朱煌瓜二つの顔を晒して、もう一度クロスを見つめた。
「大丈夫、ではないな。今も辛い」
「アイフェン・・・」
「アンタだから、少しだけ、『言えない』ことを言うよ。俺が、本当に憎むべきは、マジェスティー・C・アースルーラー・・・」
「アイフェン」
 クロスはつい彼に歩み寄ろうとしたが、足を止めた。
 アイフェンの金色の瞳が、とても静かだったからだ。
「でもさぁ、もうずっと昔から、あいつを憎むなんてできなくなってさ。高城に、代わりを務めてもらった」
「・・・」
「アンタが叱ってくれてなきゃ、俺は、高城を殺していたかもな」
 そっと目をつむったアイフェンを、クロスは黙って見つめていた。
 正直、アイフェンの中には、今だ渦巻くものがある。
 マジェスティーを殺しても、もう時は止まらない。
 けれど、高城を殺せば、歴史は変わる。
 自分やマジェスティーの消失と共に・・・。
 だが、そうなった時、辿る朱煌の運命が見えない。
 ラ・ヴィアン・ローズの発足はなく、愛を教えてくれたラ・ヴィアン・ローズの人々にも出会えず、一体、どんな人生を、母が歩むのかわからない。
 それが、アイフェンの唯一の歯止めだった。
「・・・アイフェン。もう、大丈夫だと、信じていいな?」
 夜空の星をつかもうとするように、アイフェンは体いっぱいに伸びをして、朱煌と同じ顔に笑顔を浮かべた。
「・・・わからん」



「なんでも率なくこなすな、お前は」
 お披露目当日。
 頬の痣は治ったが、口端の傷だけはドーランで隠した高城の立ち居振る舞いに、ラ・ヴィアン・ローズ総領として礼装を纏ったマジェスティーが囁いた。
「兄の躾のお陰でね。それがこんな形で役に立つとは、思いも寄らなかったがな」
 そっと肩をすくめた高城に前に、次から次へと各国要人が詰めかける。
「驚いた。本当に、瓜二つだな」
「そうして並んでいると、双子のようだよ」
「あの冷酷非情な紅蓮朱雀が、まさかファザーコンプレックスだったとはね」
 高城の作り笑いが一際際立つこのセリフに、マジェスティーは苦笑を禁じ得ない。
 おそらく彼は、「朱煌がもともと愛していたのは、この俺が先だ!」と叫びたいに違いないのだから。
「ほお、こういう格好をすると、紅蓮朱雀もプリンセス煌と見紛う華やかさだねぇ。いや、実に可愛らしい」
 高城の隣に並ぶ朱煌は、幾人からこれを言われただろう。
 紅蓮朱雀と煌姫を、姉妹と勘違いして別人だと思い込んでいる招待客たちに、さらに苦笑が深まるマジェスティー。
 もはや何を言っても無駄なのは承知しているので、沈黙を守ってはいるが・・・。
 ひとしきり挨拶を終えた頃合を見計らい、マジェスティーがアイフェンに頷いて見せた。
「善積、いい加減、社交辞令ばかりの祝辞にも飽きただろう。本当の祝辞をくれる友人を、アイフェンが呼んでくれているぞ」
「え?」
 アイフェンに伴われて現れたのは、周防 成子(すおう なりこ)と虎丸(とらまる)夫妻だった。
「彼らは姫を救ってくれた、あのデモ騒動の協力者だからね。礼も兼ねて招待したんだが・・・、アイフェン、黒荻(くろおぎ)は?」
 同じく招待したはずの黒荻の姿がないことに、マジェスティーは首を傾げる。
「はい、着替えは済まされたのですが、ちょっと寄りたいところがあるそうで。レーヌ様が案内されています」
「寄りたいところ?」
 本陣に一度来たことがあるだけの黒荻に、そんなところがあるとは思えないが・・・。
「あ・・・」
 レーヌが案内についた・・・という点に、思い当たる節がある。
 それは高城と朱煌も同様らしく、少し塞いだような朱煌の肩を、高城がそっと抱き寄せていた。
 このお披露目会場は、レーヌが来賓用に作らせた彼女の私邸であるが、今ここにはもう一人暮らしている。
 お披露目会場の準備を、いつも遠くから眺めていた彼女は、結局、朱煌にも高城にも会おうとしないまま、招待も断って、2階のゲストルームに籠っている。
 朱煌の実の母親、瞳子(とうこ)。
 精神科医によって神経症と診断されて以来、同じ娘の母としてレーヌが心を砕いて接し、調子のいい時は朱煌とも楽しそうに居られるようになっていたが、高城が本陣に来てから塞ぎがちだった。
 高城も無理をさせない方が良いと判断し、強引に接触を図ろうとしないまま、今日まできたのだが・・・。
「いや、しかし、どうして黒荻が?」
 合点がいかない様子だったマジェスティーが、ふと得心いったように呟いた。
「そうだった。彼は昔、瞳子女史と同棲していたっけな」
 傍らにいたアイフェンの瞳が、白い仮面の下でピクリと震えた。
 アイフェンすら、知らなかった事実だ。
 マジェスティーが朱煌を引き取ってすぐ、母親・瞳子の調査をさせていたのは知っているし、自分も調査報告書にはすべて目を通している。
 その調査はあくまでも瞳子の公判を追ったものであり、彼女の細かな過去まで調べさせてはいなかった。
 今のは、高城善積だった頃の記憶だ。
 アイフェンの動揺を尻目に、当のマジェスティーは成子夫妻を交えた歓談で、楽しそうに笑っている。
 自分が口にした記憶の不自然さに、気付いてはいないようだ。
 ほんの少しほつれた縫い目から、こぼれた記憶。
 アイフェンは彼らに気取られぬように、そっと場を離れた。
 廊下に出て、人気のない窓辺に体を預ける。
 鼓動が激しく彼の胸を叩いていた。
 ほんの少しほつれた縫い目は・・・しまい込まれた記憶の重さに、どこまで耐えてくれるのだろうか・・・。




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