SEED

SEED6

 ←SEED5 →SEED7~最終話~


 アメティオス王国は、人口わずか四万人弱の小さな国である。
 この国に大きな内戦が勃発する引き金となったのは、豊富な鉱物資源の発見であった。
 国の利権をめぐり、以前から微妙な均衡を保っていた王宮側と、王太子の後見人である将軍家の対立が完全に表面化し、外遊中の王太子夫妻が何者かによって暗殺されたことで将軍家を仰ぐ軍部を刺激。
国王が故・王太子の幼い一人息子を王太子としたものの、後見人の将軍家でなく、王族ゆかりの後見人をもつ第二王子を摂政に擁立したことで、遂に激発。
 争いは王宮を飛び出し、広く市街にまで及ぶ惨事となったのだ。
「王太子殿下、お逃げください・・・。どうか・・・」
 離宮から自分を連れ出した兵士が、そう絞り出すように言って事切れた。
 この死体が、ついさっきまで生きていた。
 生きて、自分を掻き抱き、必死で地下水路を走っていた。
 背後から銃声を聞いてがむしゃらに走る続けていた兵士は不意につんのめるように倒れ、抱いている自分が投げ出されないように腕に力を込め、下敷きにならないように半身を下に滑り込ませたのが、小さな王太子にはわかった。
「あ・・・、あ・・・」
 自分は今、死体に抱かれている。
 必死に兵士の腕を体から遠ざけ、這い出る。
 兵士の背中は血まみれだった。
 あの銃声がした時、弾は確かに彼の体に喰らい込んだのだろう。
 それでも兵士は走り続けていたのだと、ようやくわかる。
 王太子はハッと耳を澄ました。
 地下水路に、大勢の足音。
 震える足を引きずるように、横に伸びる小さな水管に体を潜り込ませた。
 五歳の王太子が、なんとか身動きできる幅。
 王太子は必死にその中を這いずって進む。
 管を伝って足音が死んだ兵士の傍に到達したのに気付き、少し息をひそめて止まる。
「誘拐犯は死んだ! 王太子殿下を探せ!」
 そう指示する声が聞き覚えのある近衛長の声だったので、王太子は安堵した。
 いつも優しく遊び相手をしてくれた近衛長が探しに来てくれたなら、この状況から抜け出せる。
 訳も分からず、あの死んだ兵士に離宮から連れ出された挙句、こんなヘドロまみれの水路を這いずらなくてもいい。
 元通り、ふかふかの絨毯の上で、侍女に囲まれ・・・。
「探せ! まだ遠くへは行っていないはずだ! 見つけ次第、殺せ!」
 近衛長の言葉に、王太子の心臓は凍りつきそうになった。
 一体、どういうこと?
 あの優しい近衛長は、何を言った。何を部下に命じた。
 バラバラと散っていく足音。
 兵士の死体の傍に、まだ近衛長と数人の部下がいる気配。
「この男が王太子を連れ出してくれたおかげで巡ってきた、絶好の機会だ。陛下のご意向通り、前王太子の唯一の血縁者は死に絶え、王家の醜聞にもならん」
 王太子にとって、陛下とは即ち、王宮に住まう祖父。
 たまに離宮に来て遊んでくれる、大好きなおじい様。
「将軍家ゆかりの王太子は、王室の禍根である! 後々の憂いを絶ち、陛下に忠誠を尽くせ!!」
 ガタガタと震えだした体が細い水路にほんの少しだけ流れる水を揺らして、微かに発した水音に、王太子はハッと息を飲んだ。
「うん? まさか、ここか・・・?」
 近衛長がしゃがんで、王太子のいる暗い水路を覗き込んでいる。
 王太子は必死で、水路のわずかな窪みに体を押し付けて隠れた。
「殿下、王太子殿下、いらっしゃるのでしたら、出てきてください」
 近衛長が細い水路内に銃口を向けた。
「――――!」
 何発も轟いた銃声。
 王太子の眼前を、縮こめた足すれすれを、銃弾が擦りぬけていく。
「・・・気のせいか」
 王太子は小刻みに震えながら、じっと息を殺していた。
 どれくらいの時間が立ったか、王太子のいる細い水路周辺に人の気配がなくなった。
 そっと水路に這いつくばり、再び奥に向かって進み始める。
 やっと細い水管を這い出ると、そこ川だった。
 ずっと這いずってきて膝も肘も血が滲んでいるし、服もヘドロまみれだ。
「・・・気持ち、悪い・・・」
 込み上げてくる嫌悪感がその汚れた自分への感情ではないことを、王太子は心のほんの片隅で理解していたが、ヘドロにまみれたせいにしたかった。
 川に飛び込んで、必死に体を洗う。
 擦り切れた膝と肘に沁みたが、そんなこと、どうでもよかった。
「ひっ・・・」
 目の前を流れていくものに、王太子が顔をひきつらせた。
 漂うそれは、市街戦で死んだ人間。
 川から這い上がり土手を登った王太子は、目の前に広がる地獄のような光景に息を飲んだ。
 転がる無数の死体。崩れた民家。立ちこめる煙。くすぶる街路樹。 
 それらを眺め呆然と立ち尽くしていた王太子は、ふと焼ける肉の匂いが漂ってくるのを感じ、自分の空腹に気付いた。
 あの死んだ兵士に連れ出されたのは、昼食後すぐだった。
 昼食といっても嫌いな物が入っていたので、ほとんど手をつけなかった。
 侍女に怒っておいたので、夕食は好物ばかり並ぶはずで・・・。
「お腹、すいた・・・」
 焼けた肉の匂いをつい辿るように歩き出した王太子は、それが黒こげになった死体が発していた匂いであることに気付いた。
 黒こげの死体のまぶたが焼け落ちて、真っ白な眼球がこぼれている。
何かの糸が切れたように、王太子は声を上げて泣いた。
 


 週に一度あるかどうかではあるが、クラウンがブリジットのトレーナーとしてキング邸に通うようになって、すでに半年が過ぎた。
 基礎中の基礎である筋トレを重視するクラウンのやり方に当初は不平タラタラのブリジットだったが、その成果が着実に仕事での動きに現れていては、クラウンの実戦目視のメニュー作成を認めざるを得ない。
 自分でもハッキリわかる。
 攻撃の重みが違う。
 なのに体は重くならず、スピードも跳躍力も増した。
 トレーニング後のシャワーから出たブリジットは、ブロンドの髪をタオルで掻きまわしながら、鏡を見た。
 一見、以前と体型は変わらないのに、全体に引き締まり、無駄な部分は一切ない。
 理想的だ。
 独学のトレーニングを今までしていても、ここまでにはならなかっただろう。
 しかし・・・。
 ブリジットは鏡に背を向けて、そっと振り返った。
 白い肌の中、お尻だけがくっきりと赤い。
 まだヒリヒリするし、シャワーした肌より火照っている。
「何よ、バカの一つ覚えみたいに、バシバシバシバシ・・・」
 この前アイザックが買ってくれたスローイングナイフが、昨日仕上がってきたのだ。
 今日は仕上がったばかりのそれを練習したくてたまらず、クラウンに頼み込んだら、メニューを変更してナイフスローイングの練習を許可してくれた。
 一緒に受け取りに行ったアイザックが、メイジンの所で片手の複数投げを教えてくれて、四本まで同時に投げ平均的な命中率を安定させることができるようになっていた。
 教えていたアイザックも見ていたメイジンも感心して褒めてくれて、ブリジットは嬉しかった。
「すごいよ、お嬢ちゃん。こんな短時間でここまでくるとはな~。だが・・・」
「何よ」
「以前も言ったが、ナイフスローイングは、実戦向きじゃない」
「なんでよ」
「わかんない? 敵に鹵獲(ろかく)される可能性が高い武器だからさ。敵に武器を投げ渡しているようなものだからな」
「確実に仕留めれば・・・!」
「敵が複数だったら? そいつで仕留めた敵の仲間は、その死体からナイフを抜いて武器を増やすくらいするだろ」
 ブリジットが以前、船の中で仕留めた敵のマシンガンを我がものにしたのと同じこと。
「あ・・・」
「しかも、弾丸と同じく消費する武器で、弾丸より所持できる数は少ない」
「う・・・ん」
「だから、使う状況と相手を選べ。それが判断できなきゃ、いくらナイフスローイングの腕が達者でも生き残れない。さて、この判断の欠如は、何に反する?」
 チラリと上目遣いをされて、ブリジットは咄嗟に手でお尻を覆った。
「・・・生き残ることを、最優先・・・」
「よくできました」
 ニッコリと笑ったアイザックだが、その目は、あのお仕置きの日の眼光が漂っていた。
「例え敵が一人でも、相手をよく選びな。そうだな・・・、クラウンのようなトップクラスの男には、絶対使わないこった」
 そう、アイザックが言った。
 そして、今日のトレーニングルームでの練習。
 黙々とナイフスローイングの練習に勤しむブリジットの後ろで、新聞を読んでくつろいでいるクラウン。
 試してみたくなるではないか。
 意識的に銃弾をかわすほどの能力を彼がもっていることは、一緒に仕事をしてきた現場で目の当たりにして知っていた。
 だが、軌道がバラバラに向かってくる四本のスローイングナイフに、どう対応できるのか。
 言い訳は考えてあった。
 仕方ない事故。
 もし彼が怪我を負ったら、精一杯看護してやろう。
 ブリジットの心は決まり指を離れたスローイングナイフは、いともアッサリ、クラウンが読みふけっていた新聞に弾き飛ばされた。
 虚しく床に転がった四本のスローイングナイフ。
「・・・スローイングナイフの最大の弱点だ。横からの衝撃に弱い。弾丸ほどの速度もないから、こんな新聞の厚みひとつでも、横に弾き飛ばせば失速する」
 その速度を捉えられる動体視力を持っていればの話だが。
「あ・・・、ごめんなさい。複数同時投げはまだ慣れてないから、すっぽ抜けちゃって・・・」
「ほぉ。その割に、見事にすべてのナイフが俺の避けるであろう軌道目がけて飛んできたものだなぁ」
 ニッコリと微笑んで立ち上がったクラウン。
 この笑顔も、メイジンのところで震え上がったアイザックの眼光同様、お仕置きを匂わせるそれ。
 新聞を読んでいた椅子に浅く座り直したクラウンが、膝を叩く。
「違っ・・・。ホントに、手が滑って・・・」
 そういうブリジットは、後ずさる。
「そうかそうか。じゃあ俺もつい手が滑って、きつ~いお仕置きになると、大変だな」
「~~~」
 とっくに事前作成の嘘は見抜かれていた。
 これ以上塗り重ねる嘘は、我が身・・・というか、自分のお尻を窮地に立たせるだけだと、今までの経験上、ブリジットは思い知っている。
 結果、鏡に映るお尻となった。
「・・・もう!」
 真っ赤なお尻に八つ当たりをこめて、鏡にタオルを投げつけた。
 バスローブ姿で、トレーニングルームのシャワー室からエレベーターに乗ったブリジットは、自室に向かっていた。
 玄関にクラウンと、それを見送るキングの姿を見止めて、思わず壁に隠れる。
「ブリジットが本当に、アンタの娘なら良かったのにな」
「それは、私も思うがね・・・」
 そうキングが肩をすくめた。
「ブリジットが俺の娘でないことを、心から祈るばかりさ」
 そう苦笑気味に言ったクラウンの言葉に、ブリジットの心臓が大きく跳ねた。
「そう言うな。もしそうだった場合の対処法を講じた方が、建設的ではないかね?」
 キングも困ったような顔で言う。
「かもしれんがね。色々・・・面倒だろう」
 ポンポンとキングに肩を叩かれて、クラウンはキング邸を後にした。
 ブリジットの頬に、何か温かいものが伝った。
 涙だった。



「おや、トレーナー解雇ですか」
 キングからの電話を切ったクラウンに、アイザックがせせら笑った。
 その耳を、つねり気味に引っ張る。
「痛い痛い!」
「盗み聞きするな」
「聞こえただけ~」
「それを盗み聞きというんだ」
 実を言えば、八つ当たりだ。
 ショックといえばショックである。
 ブリジットが理由も言わずの、クラウンを完全拒否。
 心当たりといえば・・・。
「厳しく、し過ぎたか・・・」
 クラウンにとっては十分幼いとはいえ、18歳にもなる少女を膝の上に乗せ、あまつさえ、お尻を丸出しにして引っ叩いてきたのだ。
 多感な年頃の琴線に触れたとしても、不思議はない。
 なついてきてくれていた気もしていただけに、この拒否は効いた・・・。
 玄関のチャイムが聞こえたが、そんなものはアイザックを蹴飛ばして行かせた。
「あー! ブリジット!」
 アイザックの声に、玄関まで飛び出す。
「・・・の、ママ」
 ニンマリと振り返るアイザックに、策にハマったクラウンの拳が震える。
「何? 相変わらず仲良しさんねぇ。入るわよ」 
 アマンダがツカツカとヒールを鳴らしてリビングに向かうのを、クラウンはアイザックのお尻に思い切り平手を一発お見舞いしてから後を追った。
「なんだ、珍しいな」
「ちょっとクラウンに用があるのよ。あなた、アメティオス王国について、詳しかったわよね」
 ソファに女王然と身を委ねたアマンダが、優美な仕草で手の平を差し出した。
「・・・はいはい、ワインを御所望でございますね、女王さま」
 肩をすくめたクラウンが彼女好みの赤ワインをグラスに注いでいると、お尻を擦って玄関から戻ってきたアイザックが、粋な仕草でアマンダの隣の席を勝ち取った。
「アメティオスって、数十年前にひどい内戦で、王宮周辺の首都が壊滅的状態まで陥った、君主不在のまま絶対君主制を保つ小さな国だよね」
「そ。復興した街は今や海外からの観光資源にも恵まれて、内戦のきっかけだった鉱物資源も上手に欧州自由貿易連合に乗せて、かつての内戦が嘘のように豊かになった、非武装中立国を謳う小さな国。ワイン、まだ?」
 アマンダの手に赤ワインを注いだグラスを渡し、クラウンはダイニングテーブルの椅子を引いて座った。
「それが?」
「あなたがアメティオスの国内発行新聞まで取り寄せて読んでいたの、知ってるのよ」
クラウンは頭を掻いて、当時、そのベッドの中で新聞を読んでいた彼の傍らにいた、まだ18歳だったアマンダを見損なっていたことに苦笑した。
「・・・お前とのハネムーンを、どこにするかなと思ってね」
「あなた、内戦勃発当時に誘拐された幼い王太子の居所なんて、知らないわよねぇ」
 気が多いようでいて、その実、キング一途のアマンダが、クラウンの甘いセリフを取り合わない姿勢に苦笑が深まる。
「王太子が誘拐され、先代国王の死後、継承権が宙に浮いたまま、摂政として国を司ってきた先代国王の次男である公爵が、最近、とある心配事に悩まされてるのは知ってるわよね」
「・・・へえ、そうか」
「嘘つき。そういう嘘ついてると、ブリジットに告げ口して、嘘解禁にさせるわよ」
「お前ねぇ・・・」
「いいから、ちゃんと答えて。摂政である公爵閣下の心配事は?」
「・・・・・・胃ガンだ。国を上げて揃えた医師団でも、どうしようもない末期のな」
「はい、正解。摂政たる公爵の不治の病を知った国政は?」
「・・・世継ぎ問題で、紛糾してる」
「正解。では、アメティオス王国の現王太子は?」
「・・・いない。宗教上の理由から、先代国王から引き継がれなかった王位を持たない摂政の身内より、・・・数十年前の内戦勃発直後、当時何者かに誘拐されたファーレン・ホルト・アメティオス王太子に継承権があるままだ」
「はい、連続正解。あの国は独自の宗教も密接に王族の王位継承に絡んでいるから、第2第3の継承者がいても、継承権はそのファーレン・ホルトって王子に受け継がれるわけよ。何せ彼は・・・」
「行方不明だからな。あの内戦当時から」
「そういうこと」
 アメティオス王国の教会が、当時、王太子の地位にあった幼子の生死をハッキリと認めなければ、いくら第二、第三の継承権を持つ王族が存在しようと認められない。
「そこで、秘密裏にシードや他の機関に、こんな「御触れ」が出ていてよ。当時、誘拐された王太子を始末して、その証拠を持て・・・ってね」
 ワイングラスを揺らして香りを楽しんでいたアマンダは、クラウンをみつめた。
「大した人気者になるわよ、その王太子。アメティオス王国の抱える鉱物資源の潤いは、国連にだって魅惑的ですもの。荒れて欲しくないからお家騒動くらい目をつむる。協力すら辞さないみたいよ。ここはすんなり、摂政の補佐を長年務めてきた公爵家の後取りに、後を継いでもらいたいわけ」
 クラウンは知らず知らず、拳を握りしめていた。
 内戦時、生死不明となった王太子は、内戦から避難する外国人の船団に潜りこんだことが、後に確認されている。
 途中、船員に見咎められ、よもやこの小さな密航者が出港先の王位継承者であるなどと、夢にも思わぬ船員が王太子を海原に放り出そうとした。
 それを、アメリカに帰るところだった企業主夫妻が事情を知られぬまま救い、王太子は無事にアメリカの地を踏み、その後、その夫妻の養子になった。
 けれど、その夫妻は自宅を暴漢に襲われて、死亡。
 再び行方知れずとなった王太子が居所を突き止められたのは、とある孤児院。
 その孤児院で火事が起こる。
 似た年頃の焼けた死体が幾つも発見される中、王太子の焼死体は確認されなかった。
「探してまで殺すって、シードの仕事ではないじゃない。だから、断ったんだけどね・・・」
 早々に空になったグラスを弄んでいたアマンダはスックと立ち上がって、椅子にかけて俯くクラウンの顎をつかんだ。
「アンタ、この世界じゃ名が売れてるわ。アンタの出身孤児院まで調べてるファンも多いの。・・・気をつけなさい」
「・・・ああ」
「アンタが死ぬだけなら良くてよ。・・・でも、その王太子が死んでも、彼に遺児がいれば、継承権が移るですって? 笑っちゃうわよ。時代錯誤も甚だしいわ。・・・ブリジットを巻き込まないで」
「・・・母親らしいことを、言えるようになったものだな」
「ええ。自分の意思でシードとして死ぬなら、私だって気に留めない。でも、そんな時代遅れの絵本の中で、あの子が死ぬのは・・・許せない」
「シードとしてブリジットが死のうが、泣くくせに」
「・・・・・・アンタとなんか、寝なきゃ良かった」
 そう吐き捨てたアマンダが、手にしていた空のグラスを壁に投げつけた。
 アマンダが姿を消し、床に散らばったワイングラスの破片を見つめていたクラウンの傍らに、アイザックが立つ。
「ファー。孤児院が燃えた時みたいなことしようとしたら、俺、許さないからな」
 久しく聞いた本名を交えた愛称に、クラウンが苦笑した。
「・・・しないさ。生き残ることを最優先・・・だ」



 クラウンが12歳の時だ。
 アイザックという弟分もでき、心穏やかに暮らしていた小さな田舎町の孤児院が、突如、燃え盛る炎に飲み込まれた。
 クラウンとアイザックは、孤児院を切り盛りするシスターの言いつけをいつものことながら守らずに、夕食の時間をとっくに過ぎても遊び呆けていて・・・。
 帰れば、しかめ面のシスターからお尻をたっぷりと叩かれるはずだった。
 そんな彼らの情けない姿を、孤児院の仲間たちが笑い囃したて、「さあ! 夕食にしますよ」と、シスターの声をきっかけに、アイザックと二人、仲間たちと食堂に向かうはずだった。
 そんな日常を打ち砕いた、炎。
 丘の上から、二人は燃え盛る孤児院と、そこに火の手を放った男達を見た。
 燃え盛る建物の中から逃げ出そうとする子供達を、彼らは無情に炎の中に追い戻す。
 丘の上まで聞こえる悲鳴。
 生きながら焼かれる断末魔。
 それを眺める彼らが、自分を救って養子に迎えてくれた夫妻を殺した男達と同じだということを、12歳になったクラウンは気付いていた。
 指揮する男が、あの細い水管の向こうで王太子抹殺の命令を部下に下した、近衛長であることも。
 優しかった企業家夫妻。
 初めて厳しさの中での優しさを教えてくれたシスター。
 一緒にはしゃいだ孤児院の仲間。
 彼らの命を絶ったのは、ほかならぬ自分という存在。
 アメティオス王国の王太子である、自分のせい。
 当時、若干12歳だったファーレン・ホルトには・・・堪え難い事実だった。
「ファー、ファー? 待ってよ、どこ行くの? ファー!!」
 初めて彼の名前を聞いた幼いアイザックは、ファーレン・ホルトという長すぎる名を覚えられず、「ファー」と愛称めいて呼び始めて数年。
 すでにアメティオス王国の王太子の名など、とっくに捨てていたクラウンにとって、心地よい響きですらあった。
「ついてくるな!」
「なんで!?」
 泣きそうな声。
 そう。アイザックだって、あの孤児院が燃えた今、帰る場所がないのだ。
 そうわかっていながら、クラウンは黙々と林の中を歩き続けた。
 ――――帰る場所・・・?
 かつて、それは自分にとって母国の王宮の敷地内にある離宮だった。
 当時の国王であった祖父が自分の抹殺を近衛に命じたことを知り、帰ることができなくなった・・・家。
 市街戦が繰り広げられる市街の只中、生きる為に必死に逃げ惑った。
 倒れた市民が抱えていたものが食糧なら、何だって貪り食った。
 まだわずかに息を感じる人間の視線を感じながら、空腹を満たす為に必死で奪い取って頬張った。
「たんとお食べ・・・」
 抱えている食糧をもぎ取った女性が、死ぬ間際に柔らかく微笑んで、奪った食糧に食らいつくクラウンの頭を撫でたことを、ハッキリ覚えている。
 恐らく死の淵の視力で、クラウンを我が子と錯覚したに違いない。
 かまうものか。
 危険を冒してでも我が子に食糧を持ち帰ろうとした母親から奪った物を喰らおうと、かまうものか。
 そう心に決めていた幼いクラウンは、ひたすらに腹を満たす為に女性の食糧を貪った。
「あぁあぁ・・・、そんなに急いで食べたら、喉につまらすよ、坊や。もう銃声はしない。いいから、ゆっくりお食べ。お行儀悪いと、お母さんに叱られるよ・・・」
 食糧を奪った死にかけの女が、クラウンを我が子と誤認しているのではないと気付く。
 そこから、奪った食糧の味がすべて、しょっぱかった。
 口まで伝う、涙の味。
「泣かなくていいよ・・・。泣かなくていいから・・・いっぱいお食べ・・・。そして、生き残りなさい。生き残って・・・」
 そう消え入るような声で言葉を紡いで死んでいく女の傍らで、クラウンは涙の味のする食糧を食べ続けたのだった。
 色んなことを思い出す。
 どうしてこんなことばかり。
「――――ふっ、くぅ・・・! ひっ、ひぃっ・・・、あーーー! ああああ!」
 思い出がフラッシュバックのように、浮かんでは消え、浮かんでは消え、クラウンは後ろからついてくるアイザックのことなど気にもせず、大声で泣きながら歩いた。
 見えてきた湖。
 遠浅で、遊ぶにはもってこいの場所。
 ここで、アイザックと釣りをして遊んだ。
 とてもとても、楽しかった。
 大物が釣れたら、意気揚々と孤児院に持って帰って、シスターに見せて、自慢したっけ。
 微笑んで頭を撫でてくれたシスターも、今は、炎の中。
「ファー! ファー! ファーーー!」
 ザブザブと湖の中に進んでいくクラウンを、アイザックは小さな体で必死に抱きついて止めていた。
「死んじゃダメぇ・・・。死んじゃ、ダメえぇぇ・・・」
 大きな目に涙をいっぱい溜めて、アイザックが喚いた。
「死ぬの、痛いよ? 死ぬの、苦しいよ?」
 ああ・・・そうだったと思い出す。
 この黒髪の弟分は、実の両親にスクラップ寸前の車の中に置き去りにされて、プレス機に押し潰される寸前まで味わったのだ。
「ごめ・・・、アイザック、ごめんなぁ。お前が帰る場所まで、俺のせいで、燃えて・・・みんな、死んじゃった・・・。ごめ・・・、ごめんなぁ・・・!」
 湖の真ん中でアイザックを掻き抱き大声で泣いたクラウンは、自分の中に流れる血が大勢の関係ない人を巻き込んで死なせることを、噛みしめていた。
 以降、彼は本名を名乗らず、クラウンという偽名と共に生きてきたのだ。 



「クラウンなんて大っ嫌い! 大っ嫌いなんだからぁーーー!」
 久々の愛娘の爆発に、彼女の部屋の前を右往左往するキングに、いつの間にかやってきていたアマンダが壁にもたれて鼻で笑った。
「いいじゃない、嫌ってくれればブリジットはクラウンに近付かない。キング、あなた、知っていたんでしょ。クラウンの厄介事」
「アマンダ? お前、まさか・・・」
「ええ。気付いたわ。あなた以外の仲介屋から、ある仕事を依頼されて・・・ね」
「お前、まさか、その仕事・・・」
「受けてないわよ。シード同士の殺しの依頼は受けないのが、暗黙のルールだもの。・・・他の機関のことまで、知らないけどね・・・」
「・・・ここでする話じゃない。アマンダ、あっちで話そう」
「いいじゃないの! 聞かせてやれば! どうしてあなたが彼らのどちらかが父親だって、今まで口をつぐんでいた理由を、そうやって、私の時みたいに隠そうとしても、この子はクラウンが始末されれば当事者にされるのよ! 否応なくね!!」
「アマンダ!」
 アマンダの肩を掴んだキングが、興奮気味のアマンダを落ち着かせようと抱き寄せた時、静かに扉が開き、ブリジットが立っていた。
「・・・ママ、どういうこと? クラウンが、始末されるって・・・」
「ええ、教えてあげる。クラウンはね、クラウンは・・・」
 いつも通りの自分のまま話し出そうと、キングの腕の中を擦りぬけて虚勢を張ろうとしたアマンダの頬に、涙が伝い始める。
「ママ・・・?」
「クラウンの子なら、生まなきゃ良かった・・・」
 その言葉に愕然としたブリジットの目の前で、キングが初めてアマンダの頬を張った。
「ダディ!?」
 赤くなった頬を庇うでもなくアマンダはその場に立ち尽くし、駆け寄ったブリジットの顔を両手で包む。
「あなたはアイザックの子。アイザックの子。アイザックの子よ!」
「ママ?」
「嫌よ! この子が殺されるなんて! 国絡みで国連まで動いてるなんて、シードでも守り切れるかわかんないじゃない!」
 半狂乱のアマンダをブリジットから引き離そうとしたキングは、それが叶わないとなると、逆に、ブリジットごとアマンダを抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫だから。ブリジットは、必ず守るから。それにクラウンだって、簡単に殺されはしないさ。それはお前が一番よく知っているだろう?」
 ブリジットの名前を繰り返し呼びながら、泣いているアマンダ。
 いつも自由で奔放で、気ままで気まぐれで。
 こんな形容詞しか思い浮かばない女性であるアマンダの、母親丸出しの激情。
 ブリジットは、当惑せずにいられなかった。
 何が彼女をこういう感情に走らせたのか、まるで理解できないブリジットに、キングが柔らかく微笑んだ。
「お前の部屋で、3人で話そう。いいかい?」
「え、うん」
「これは、お前が生まれるずっと昔から始まる話で、この自由の国で生まれ育ったお前には、とても難しい話かもしれないが・・・どうか、アマンダの失言を理解して欲しいんだ。お前を愛するが故だということを・・・」
 キングが言わんとすることがよくわからないまま、彼はアマンダを抱きかかえ、ブリジットの部屋に入った。
 アマンダを抱きしめたまま話を紡ぐキング。
 ブリジットは、その間に何度も頭を振った。
 キングが前置きした通り、理解し難い内容であったからだ。
 ぼんやりと理解できたのは、アマンダが思っていたよりずっと、娘の自分を愛していてくれたということ。
 それと、あの日、クラウンが玄関ポーチでキングに漏らした、あの言葉の意味。
「――――ブリジットが俺の娘でないことを、心から祈るばかりさ」
 後・・・そのクラウンが、途方もなく大きな存在に、命を狙われているのだということだった。


                  
                             つづく

 


  • 【SEED5】へ
  • 【SEED7~最終話~】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【SEED5】へ
  • 【SEED7~最終話~】へ