オルガ

第六話 少女が居た場所

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 自室に戻ったフォスターは、疲労困憊でぐったりとソファに腰を下ろした。
 ファビオに謝って仲直りするように懇々と諭しながらの帰路であったが、オルガは「オルガ、悪くない」の一点張り。
 それどころか、二言目には「ねぇ、ヴォルフは?」。
 ため息。
 フォスターはそのままゴロリとソファに体を横たえた。
 ようやく、平穏に順調に、日々が進み始めたと思っていたのに。
 オルガは純粋に、ヴォルフに会いたがっている。
 そこに彼への恐怖は微塵も感じられない。
 暴君の愚劣な嗜虐の中から、助けたつもりだった。
 自分がしてきたことは、何だったのだろうという思いがこみ上げてくる。
 オルガには、ただ余計なお世話だったのだろうか。
 考えれば考えるほど、ひどく虚しい・・・。
 いっそ、オルガをヴォルフの元に返そうか。
 人間らしい生活など、オルガ自身が望んでいないのなら、ここでの教育など何の意味も持たない。
 いや、違う。そうじゃない。駄目だ。
 「今」はそれで良くても、またヴォルフが気まぐれにオルガを捨てた時、あの子のその後の生涯はどうなる。
 ヴォルフが捨てなかったとしても、彼にもしものことがあった時、独りになったあの子の未来はどうなる。
 社会に馴染めず、辿る行く末。
 ゾッとして、フォスターがソファから起き上がった時、礼儀正しいノックと共に、モートンがやってきた。
「旦那様、お夕食の支度が整いましてございます」
 ・・・食欲など無いが、モートンにいらぬ心配をかけたくはない。
 かけたくはないのだが。
「なあ、モートン。私は間違っていたのか?」
 彼に寄せる信頼が、つい心中を吐露させた。
「・・・間違い、と、仰いますと?」
「オルガだ! 今日、ヴォルフが来た! オルガはヴォルフを大好きだと言った! あいつを恋しがっていた! 私のやったことは、オルガを恋しい人から奪い取る行為だったのか!?」
「・・・さあ。私はオルガ様ではございませんから、お答え致しかねます」
 実に簡潔で端的な返答に、フォスターの苛立ちは頂点に達し、そして、静まっていった。
「オルガに直接聞け、と、言いたいか」
「さようでございます。私は、旦那様がお気持ちをそうやってお言葉にしてくだされなければ、自ら問いかけるつもりでした。何故なら、あなた様は私にとり、大切なお方だからでございます」
 お見通しだった・・・ということか。
 フォスターはクシャクシャと髪を髪回し、幾度か、頷いた。
「・・・モートン、お前は、とても厳しかった」
「はい」
「だが、幼くとも私はお前に愛おしまれていると、わかっていた」
「はい。子供というのは、猫のようであり、猿のようであり、そして、とても賢い生き物です」
 ソファを立ち上がったフォスターは、ファビオの件を盾にすることなく、その本心を直接確かめる覚悟を決めて歩き始めた。
 車中でのお説教で、すっかりヘソを曲げてしまったオルガは、自分の部屋に閉じ籠っていたのだ。
 ドアの前で、一度ゆっくりと深呼吸したフォスターは、そっとノックした。
「オルガ、入っていいかい? 話したいことがあるんだ」
 返事がない。
 まあ、よくあることだ。
 最近、すっかり人間らしくなったオルガは、拗ねるという感情表現を、こうして部屋に閉じ籠って口をきかない形で表すようになっていた。
 従順なお人形の頃より、喜ばしいことだとフォスターは思っている。
 もちろん、それをあからさまに褒めたりはしないが。
 まだ理解力が稚拙なオルガにそんなことを褒めたりしたら、その行動そのものが良いことと誤解をさせてしまう。
 感情を表すのは良いことだ。
 だが、その方法や対する物事や相手への配慮や向かい合う心を、育ててやりたいと思っている。
「なあ、オルガ。聞いて欲しい」
 フォスターはジッとドアを見つめた。
 語りかけを繰り返すと、オルガはよくドアに向けて物を投げつけてくるのだが・・・その気配がない。
「・・・オルガ?」
 おかしい。
 部屋の向こうに、オルガそのものの気配を感じない。
「オルガ? 開けるぞ?」
 不安に駆られたフォスターはドアを開け放ち、そして、空っぽの部屋に愕然とした。
 ・・・以前にも、こんなことがあった。
 あれは、ファビオと出逢った時のこと。
 あの時は、訳も分からずファビオについて行ったオルガ。
 だが、今回は違う。
 オルガは自らの意思で、ここを出ていったのだ。
 フォスターの元を・・・。



「何だよ、まだウロついてるのか! さっさと消えろ、貴族野郎!」
 オルガとあんなケンカになった、そもそもの原因が再び舞い戻ってきて、自分の家の傍に横付けされているのを見つけたファビオは、憤慨を露わにその車体を蹴りつけた。
 途端に運転手が飛び出してきて、ファビオの襟首をつかみ上げる。
「小僧! 侯爵家のお車に何をするか!」
「いてぇな! 放せ!」
「子供といえど容赦せんぞ!」
 その異変に気付いたファビオの母が、慌てて家から飛び出してきた。
「申し訳ありません! うちの子がとんだご無礼を・・・!」
「母さん! 何謝ってんだよ! こいつは悪者貴族の一味なんだぜ!」
「おだまり!」
 運転手が口を開く前に、ファビオの母の一喝が飛んだ。
「申し訳ございませんでした。息子にはよく言ってきかせますので、どうかご容赦くださいまし」
「な、何だよ、母さんは結局、フォスターみたいな優しい貴族には箒を振り回せても、貴族面しかできない連中には尻尾しか振れねーのか! 見損なったよ!」
「ファビオ、考え違いも大概におし。アンタが何をされたわけでもないのにこちらさんの車を蹴った。母さんは見てたよ」
「だから、それは・・・!」
「それが考え違いだと言ってるのさ。アンタはオルガとケンカになった八つ当たりをしただけだろ」
「そんなんじゃ・・・!」
 顔を真っ赤にしてそっぽを向いたファビオに、母親は鼻を鳴らした。
「は、その様子じゃ、わかっちゃいるようだね。たっぷりお尻をひっぱたいてやるから、覚悟おし。自分がどんな恥ずかしい真似をしたのか、うんと反省するんだね」
 母親の迫力にすっかり閉口していた運転手は、自分が吊り上げているファビオがビクンと首をすくめてお尻に両手を回した感触に、ハッと我に返った。
「おい、女! この小僧の処遇を決めるのはこちらだぞ!」
「――――もう良い、捨ておけ」
 車中のヴォルフが言った。
 運転手は目を丸くする。
 自分が仕える侯爵家の主が、人を許すところを初めて見たのだ。
 しかも、相手は主が普段から人だと思っていない平民。
 ともあれ、この少年を放免せよと命令が下った以上、運転手は慌てて彼を母親に押し付け、車に戻る。
 でなければ、自分にもその恩赦が下る奇跡が起こるとは、主の気質からは考えられなかったからだ。
 丁寧に車に頭を下げた母親が、ファビオを抱えて家に戻っていく姿を、ヴォルフはぼんやりと窓越しに眺めていた。
「あの・・・旦那様。こちらには、いつまでこうして・・・」
 遠慮がちに言う運転手の言葉に、ヴォルフは髪を掻き上げただけだった。
 自分だってわからないからだ。
 オルガが自分に嬉しそうに抱きついてきた。
 あれから一旦は屋敷に戻ろうとしたものの、再び、ここに車を戻らせてしまった。
 それがどうしてなのか、わからない。
 いや、そもそも何故、フォスターに売り渡したオルガが気になって、彼女がここに通っていることをつきとめて以来、こうしてここに車を止めて、それを眺めているのかも、自分自身、理解できない行動だった。
 オルガをフォスターに売り渡してすぐ、新しいペットを下町で買ってきた。
 そして、オルガと同じように飼育。
 オルガを飼育したのが、とても楽しかったからだ。
 一から飼育できる新しいペットを飼えば、また楽しめると思った。
 けれど、つまらなかった。
 そのペットは追い出し、別のペットをまた飼ってみたが、やはり、つまらない。
 オルガを手放して数ヶ月の間に、幾人もペットを変えた。
 どれもこれも、オルガの時の様な愉快さは得られなかった。
 それどころか、何をしていてもつまらなくなって、時折、ひどい空虚感に襲われる。
 ペットは主人たるヴォルフに、従順に尽くそうとしていた。
 オルガだってそうだ。
 鞭に怯え、よく言うことを聞いた。
 最初は怯えるばかりで、うるさいくらい泣いたり抵抗したりしたが、それはオルガを含む、どのペットも同じだった。
 それなのに、何故オルガの時はあんなに楽しかったのか。
 オルガを傍に置いておくのが何だかとても嫌な気分になり、競売を思いついて、初めてフォスターが誘いに応じてヴォルフ家を訪れたあの日、激しく憤る彼を見て、とても嬉しかった。
 あのフォスターがオルガを買うと言い出したのには驚いたが、どうせ自分の作品を渡すなら、彼がいいと思ったのだ。
 だが、あの時、あの場で渡さずにもったいつけてやれば、フォスターはその後の招待状を無下にできず、ヴォルフの屋敷に足を運んだだろう。
 きっと、オルガを救おうとして。
 フォスターという男はそういう男だ。
 学生の頃から、そうだった。
「・・・売らなければ良かった」
 そう呟きが漏れた時、車の窓が小さくノックされた。
「またあの小僧か」
 何度も許してやるほど寛大ではないヴォルフは、いささか乱暴に車窓にかけられたカーテンを開けた。
「あ・・・」
 そこには、中を覗き込むオルガが微笑んでいたのだった。



 出て行ったオルガを、フォスターは一晩探し歩き続けた。
 見つけたところで、帰ることを拒否されるかもしれない恐怖に、すぐには動き出せなかったのだが、窓から望む空が段々と暗くなっていくのを見ていると、じっとしていられなくなったのだ。
 オルガはヴォルフの屋敷に向かいたかったであろうが、あの子の能力で辿りつけるとは到底思えない。
 ファビオに道案内を頼むくらいの知恵は働くだろうが、あのケンカの後であるし、結構意地っ張りな性格だと判明しているあの子が、彼にそんな頼みごとをしに行くとも思えない。
 オルガが一人ぼっちで夜道を彷徨い歩く姿を思うと、フォスターの胸は潰れそうだった。
 どうしてもと言うのなら、自分がヴォルフの元にオルガを送り届けよう。
 そんな決意で、数人の使用人と警察官とで、手分けして街を探し歩いた。
 足取りの手掛かりはいくつか。
 それはすべて、ファビオの住む下町周辺で途絶える。
 下町では目立つ高級車に乗り込む、オルガの姿。
 その車がヴォルフ家のものであるのは、簡単に想像できた。
 オルガは無事・・・と言って良いかどうかはわからないが、ともあれ、ヴォルフの元に戻ったのだろう。
 ひとまず事故や犯罪に巻き込まれる心配は回避されたところで、フォスターは警察への捜索願いを取り下げた。
 明け方、屋敷に戻ったフォスターは、そのままオルガの部屋に籠っていた。
 たったの数ヶ月、この部屋の主だった少女とは、もう二度と会うことはないのだろうか。
 その面影が、こんなにも鮮明にフォスターの前を跳ねまわっているのに・・・。
「旦那様、よろしいですか? お客様でございます」
 ドアの向こうから、モートンの声がした。
「・・・すまないが、お引き取り願ってくれ。体調が優れない」
「それが、ヴォルフ侯爵家のメイドでございまして・・・」
 フォスターは弾かれるようにドアを開けた。
「使者か?」
 いや、メイドが使者に立つことなどあり得ない。
 言ってしまってから、フォスターは自分の思考能力が著しく低下していることに自嘲を漏らした。
「ヴォルフ家のメイドが、どうして?」
「直接話すと言って聞かないので、わかりませんが・・・、オリガと名乗っております」
 しばしフォスターは硬直したようにモートンを見つめ、やがて、足早に玄関に向かって歩き始めた。
「旦那様、メイドとはいえ、そのお姿でお客人の前に出られるおつもりですか」
 久しく聞いたモートンの嗜めに、フォスターは足を止めて苦笑した。
「・・・ありがとう、モートン。すまない、冷静になるよ。シャワーと着替えを済ませてくる。その客人に、応接間でお待ちいただいてくれ」
 出て行ったオルガ。
 そして、十数年振りにその名を聞いたオリガ。
 訪ねてきたオリガというメイドが、あのオリガなのかどうかはわからない。
 だが、ヴォルフに関わることが一度に動き始めた。
 そんな気がしてならなかった。



                          つづく


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おお!
更新されていて本当によかったです!

この世界観だいすきです!
少しずつでも更新が続く限りファンの一人でいさせて下さい(^-^)
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