ラ・ヴィアン・ローズ・朱雀の章

堕天朱雀9

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 血が噴き出す脇腹を、金のオーラをまとわせた手の平で押さえる。
 だが、紅蓮の刃は間髪いれず、アイフェンの肩を貫き、床に磔た。
 声も出ない痛みが、再びアイフェンを襲う。
 刃と床に動きを封じられ、息をするのもやっとのアイフェンを眺めながら、マジェスティーは口端に冷たい笑みを浮かべた。
「高城の実家に行ったと、言っただろう。彼が育った景色は、時代の流れで様相を一変させていたのに、余の記憶に符合した」
「ジェ・・・ス・・・」
「ザリガニを釣った沼。柿をもいだ木。通った小学校の場所!」
「ぅあ・・・!」
 引き抜かれた紅蓮の刃は、もう片方の肩を貫いた。
「余は・・・高城善積じゃないか。お前が夢だと言った、地球の統治者ではないか!!」
「――――ぅ! あぁあ!」
 マジェスティーが幾度も引き抜いては振り下ろす刃に、アイフェンの体は血まみれになっていった。
「――――ジェス!!」
 ドアが開いて、飛び込んできた褐色の巨体が、血まみれのアイフェンに覆い被さった。
 マジェスティーは振り上げた紅蓮を止めた。
「クロス・・・、どけ」
「どくものか! お前に、兄殺しをさせられるかよ!」
「・・・死にはしない。そいつは、心臓か頭を潰さない限り、死なない」
 血の滴る紅蓮を片手に、マジェスティーが言った。
 どんな戦いの最中でも見せたことがない、冷たい眼光。
 ゾッとしたクロスに、掠れたアイフェンの声が届いた。
「大丈夫だ・・・、どいてろ。あいつは、俺の・・・堕天使の急所を知っているのに、外してる・・・。俺を殺す気は・・・ない」
「苦しめてから殺してやろうとしているだけだ!!」
 その声を聞きとめたマジェスティーが、激高を露わに紅蓮を振り上げた。
 だが、その矛先に更に立ちふさがった小さな少女に、マジェスティーが動揺を露わにする。
 技芸だった。
「ぎ、げ、い・・・?」
「陛下に奏上奉ります! 殺してはなりませぬ! 何卒、平に! 平に・・・!」
 マジェスティーの手から、紅蓮が落ちた。
「皆のもの、去ね。今、すぐだ・・・」
 明らかな戦意喪失が見受けられるマジェスティーが跪いて呟いた。
 クロスがアイフェンを廊下に引きずり出す。
 両手で顔を覆い、肩を小刻みに震わせるマジェスティーと、廊下に運び出された血まみれのアイフェンを交互に見比べた技芸が、アイフェンの元に走った。
「ぎ・・・、来るなと、言った・・・」
「うるさい!」
 技芸の体が金色の光に包まれて、その手の平がアイフェンの体を必死で撫でる。
「力、使っちゃ、ダメだって、言ったろ・・・」
「黙れ! 力の制御が完璧なお前が温存している力を使うより、私が力を使った方が、帰る成功率が上がるだろ! どうだ! この判断力を叱れるか!?」
 アイフェンが弱々しく笑って、首を横に振った。
 正直、滅茶苦茶に紅蓮で突かれた体は、筋肉の腱をいくつも絶ち、腕も上げられない。
「あーーーーー!!」
 執務室の向こうから、マジェスティーの叫び声が聞こえた。
 あの瞬間、まさか技芸が敬愛する主君からアイフェンを庇うと想像もしていなかった。
「もう、痛く、ないか?」
「ああ、大丈夫」
 微笑んで、技芸の髪を撫でる。
 体は完治した。
 痛いのは・・・心だけ。
 狂ったような喚き声が聞こえていた執務室が、急に静かになる。
 だが、しばらくすると、嗚咽混じりの絶叫。
 この繰り返し。
「・・・クロス、頼みがある」
 同じように執務室のドアを眺めていたクロスに、アイフェンが言った。
「ああ、俺が傍にいる」
「・・・すまん。今は俺がいない方が、いいと思う」
「同感だ。ジェスが落ち着いたら連絡する。診療所で着替えて待ってろ」
 血まみれの服をつままれて、アイフェンは自嘲気味に頷いた。
「ぎぃは、どうする? 陛下の傍にいるか?」
「・・・朱雀と、行く。堕天使の力じゃ、陛下の御心の傷は、癒せない・・・」
 技芸の手を繋ぎ、もう一度、執務室を見やってから、アイフェンはマジェスティー邸を出た。
 中庭を歩いていると、また叫び声。
 執務室の窓が割れて、何冊かのノートが落ちてきた。
 ガラス片にまみれたそれを拾い上げ、執務室を見上げる。
 ノートは、マジェスティーが幼い頃からずっと書き綴っていた、日記の一部だった。



 診療所に戻ったアイフェンは、シャワーで血まみれの体を洗い流すと、いつ呼び出されてもいいように服に着替えた。
 そんなにすぐ、呼び出しがくるとは思えないが・・・。
 ベッドの下から、昔取り上げて隠したマジェスティーの日記を取り出す。
 それを、先ほどマジェスティーが窓から投げ捨てた日記の上に重ねる。
 この日記はもともと、アイフェンが「誇大妄想癖」の治療と称して、書かせ始めたものだ。
 アイフェンは、一番最初の日記を手に取って、ソファに腰を下ろした。

『余の兄という男は、我が息子、堕天朱雀だ。だが、鏡に映る余は、たった六、七歳の子供。余はとうに六十を超えていたはずだ。やはり、堕天朱雀が言うように、余が知っていることは、夢なのか・・・?』

 最初の頃は、中身をすべてチェックして、未来の出来事に関わる単語が一つでもあれば、「まだ夢から覚めないのか」と叱りつけて、取り上げた。
 多聞のことを言えない、力で抑えつけるやり方。

『余がいるのは、アメリカ北部の州の村らしい。ということは、我が連合軍が占領した領土。けれど、もはや存在しないアメリカという国名を口にする者が、連合国側にいるとは思えない。懐古主義の同盟軍が新たにこの土地をそう名付けたのか? だが、自然に溢れた地域が地球上にまだ残っていただろうか。
・・・こんなに頭にスラスラ出てくる情勢が、夢の中のこと?』

 明らかに自分が過ごす未来の情景ではないことも手伝って、マジェスティーは日々当惑していた。

『日記を書かないでいたら、アイフェンに怒られた。書いても怒る。アイフェンは、どうしてあんなに俺を怒るんだろう。自分で、毎日日記を書いて見せるように命じておいて、読んだら怒る。
・・・これを読んで、どうせまた怒るんだろ。今から、お前の行動を書いてやる。
日記から顔を上げる。俺を睨む。日記を閉じる。机に置く。「いつまで夢を見ている」と説教を始める。それから俺のお尻をひっぱたくんだろ! わかってるんだからな!』

 アイフェンは、この日記を読んだ時のことを思い出し、クスクスと笑ってしまった。
 文中でこうやってケンカを売っておいて、それを読み進めるアイフェンに、怯えたような上目遣いを見せるマジェスティー。
 あの時は、どうしたっけ・・・。
 小童に自分の行動パターンを上げ連ねられ、若かりしアイフェンは、相当憤った記憶がある。
 次のページは、白紙だった。
 そうだ、思い出した。
 一年弱続いた、この日記検閲。
 この日が最後だった。
 アイフェンは次に、投げ捨てられた日記を手に取った。

『アイフェンがクロスに怒られた。ばーか、ばーか、ざまーみろ!』

 脱力。
 子供か。
 ああ、そうか、子供だった。

 日記の提出閲覧が終わった理由は、クロスの叱責だった。
「書かせた日記を、いちいち叱りつけるな! 可哀想だろう!」
「仕方ないだろう。誇大妄想癖の治療なんだから」
「じゃあ、ジェスの立場になって想像してみろ。日記を書かされて、思うまま書いたら折檻される。それって、洗脳と同じだぞ。力で抑えつけてるってことだ」
 アイフェンが多聞に言ったことと、同じことを言われた。
「何を不安がってるのか知らんが、焦るな、アイフェン。見守ることだって、治療じゃないのか?」
 
 以来、アイフェンはマジェスティーに日記を強要しなかった。
 だが、マジェスティーは日記を書き続けていた。

『自分の今日を、書き残しておかないと、不安なんだ・・・』

 アイフェンが目を通さなくなった日記帳に書かれた、一文。

『アイフェンが夢だと言って怒ることしか、俺は覚えてない。じゃあ、夢じゃない現実は? どうして、思い出せない? アイフェンが兄。兄弟で、クロスに拾われた。なら、俺の昔の記憶は? どうして、クロスに拾われたことより前を、思い出せないんだ?』

 当たり前だ・・・。
 アイフェンが夢だと言い聞かせてきたことが、本当の記憶なのだから。

『怖い。すごく、怖い。こうやって毎日の出来事を日記に書き残しておかないと、明日にはまた何もかも忘れているんじゃないかと思うと、すごく、怖い』

 忘れたんじゃない。
 ありもしない過去の記憶など、思い出せないのが当然。
 マジェスティーが一、二行であれ長文であれ、日記を書き続けているのは、知っていた。
 記憶の確認作業として、デジタル時代の今も、誰にも改ざんされないように、わざわざ自筆で書いているのも。
 それは四十数年の間に、執務室の本棚を埋め尽くすくらいの数になっていた。



 窓から投げ捨てた日記。
 破り捨てた日記。
 荒れ狂って本棚を荒らしていたマジェスティーは、次に手にした日記を先ほどまでと同じように乱暴に扱うことができず、床にへたり込んで、日記を開いた。
 それは、朱煌と出逢ってからの日記。
 シニカルな言動しかなかった朱煌が、変わっていく様子。
 記憶の確認作業でしかなかった日記が、書いていて楽しくなっていった、朱煌の成長記録に様変わりしていく。
「――――ジェス、入るぞ」
 クロスの声。
 本棚に寄りかかって日記を読んでいたマジェスティーの傍らに、クロスが黙って立っていた。
 一冊読み終わると、クロスがそのナンバーを確かめ、次の日記を本棚から抜いて渡す。
 日記を読み進めるマジェスティーは、顔をしかめたり、笑みを漏らしたり、色んな思い出を噛みしめる表情を、代わる代わる浮かべていた。
「はは、またお仕置きされてる。俺の方が優秀だな、クロス。俺だって、こんなに叱られてない」
「そうか? お前が書いてないだけだろ? 俺は結構、お前のお尻を叩いてきたぞ」
「俺は朱煌みたいに、誰もかれもに心配かけてない」
「そうでもないぞ」
 マジェスティーの横に腰を下ろしたクロスが、彼の頭に大きな手を置いた。
「・・・もう、全部、知ってるのか、クロス・・・」
「ああ、お前が日本に行ってる間にな。技芸と多聞という親衛隊が現れた」
「・・・多聞もか」
 しばしの沈黙。
「・・・・・・ずっと、ラ・ヴィアン・ローズが憎かった」
 そう呟いたマジェスティーに、クロスが苦々しい面持ちで佇んでいた。
「ただの民間人でいられたはずの小さなあの子を、最初に戦場に送りこんだラ・ヴィアン・ローズが憎かった。あの子を一流の戦士に育ててしまったラ・ヴィアン・ローズが憎かった。十年以上も昔に引退し、平凡な主婦として日常を送っていたのに、一流故に、同盟から息子を盾に出動要請されて、ラ・ヴィアン・ローズ総領となり、あいつは・・・!」
 マジェスティーは声をつまらせ、両手で顔を覆った。
「ラ・ヴィアン・ローズのせいだ! ラ・ヴィアン・ローズが、朱煌を殺した! ・・・ずっと、そう思ってきたのに・・・」
 顔を覆っていた両手が、ストンと、力なく床に落ちる。
「そのラ・ヴィアン・ローズを作ったのが、俺だった・・・」
 それを黙って見ていたクロスが、静かに口を開いた。
「なあ、ジェス・・・。俺も、急に色々知らされてな、きつかったよ、正直」
「・・・すまなかった。アンタまで巻き込んで・・・」
 クロスが苦い面持ちで頭を振る。
「そういう意味じゃない。きつかったから、色々、考えていたんだ。覚えているか、姫さまを拾った時のこと」
 こくんと、マジェスティーが頷いた。
「姫さまが六歳の誕生日だったあの日。あの日に俺たちが関わっていなかったら、姫さまはどうなっていたと思う?」
 朱煌がマジェスティーとクロスに拾われたあの日の炎上は、彼らが関与していなくても起こった。
 朱煌はあの場で炎に巻かれて、たった六歳で、死ぬ。
 マジェスティーが、クロスを見上げた。
 その顔は、自嘲に満ちていた。
「クロス・・・、あの炎の中に朱煌を走らせたのは、高城善積だ。結局、朱煌を殺すのは、俺なんだよ・・・」
 刹那、立ち上がったマジェスティーが、執務室の床に転がっていた血まみれの紅蓮を手に取った。
「――――ジェス・・・!」
 紅蓮の刃が、深々と、マジェスティーの腹を貫いた。







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