ラ・ヴィアン・ローズ・朱雀の章

堕天朱雀3

 ←ラ・ヴィアン・ローズのこと。 →堕天朱雀 続行のこと。
「姫さまが結婚して、もう十年か。早いもんだな」
 十年目の結婚祝いを一緒にと、高城に日本に招かれたマジェスティーとレーヌを、空港まで送った帰りのセスナの中、クロスが感慨深げに顎を撫でた。
「アイフェン、お前、いくつになった?」
「ん? 五十・・・九、だったかな」
「もうそんなになるのか! 見えねぇなぁ。見た目が若いから、まだ四十前かと思ってたぜ。ん? て、ことは・・・」
「ジェスは俺の十歳下だ」
「あのジェスが、もう四十九かよ! はは! そりゃぁ、俺も年をとるはずだ」
 坊主頭を撫でまわし、褐色の巨漢が大笑いした。
 とんでもない。
 確か自分の十二歳年長だったはずだから、クロスはもう六十三歳。
 だが、衰えを知らない現役傭兵ではないか。
 鍛え抜かれて、いまだに隆々たる筋骨は鋼のようで、恰幅の良さも変わっていないから、セスナのシートがチャイルドシートに見える。
 アイフェンはふと眼下の荒野を見下ろした。
 ここは、かつてアイフェンとマジェスティーが、このクロスに拾われた場所にほど近い。
 あれから四十三年も経ってしまったのか・・・。
 この過去の世界で当たり前のように生活しているが、時折、思うことがある。
 過去に飛んだ瞬間から、本来自分があるべきだった未来の時間は、どう動いているのだろうかと。
 こちらと等しく時を刻んでいたとしたら、自分の周囲にいた人たちは、ほとんどいないということになる。
 そもそも、あの戦局はどうなったのか。
 いきなり主軸たるアースルーラーを失って、同盟に希望の光は見えたのだろうか。
「なあ、思うんだがな・・・」
 クロスが口を開いたので、視線を戻す。
「あの姫も、子供を生むのかねぇ」
 生むさ。アンタの目の前にいる子を。
 などと言えるわけもなく、「さあな」とだけ言って、また外を見る。
「あのじゃじゃ馬姫が母親ねぇ。一体、どんな顔で子育てなんかするのやら。聞いたところにゃ、まだ高城にお仕置き喰らうことがあるそうじゃないか。まあ、まだ二十八じゃな・・・うん? もう二十八か? しかしまあ、困った方だ。子供なんて、育てられるのかねぇ」
 無口なアイフェンが返事をしないのはいつものことなので、クロスは一人で想像をはためかせて、時々、たまらないといった様子で笑う。
 アイフェンにとっては、笑いごとではないのだが。
 朱煌は来年、子供を宿す。
 あのBBC(血液黒色化腐食症候群―ブラック・ブラッド―)が、世界で初めて確認されるのも、もうすぐ。
 そして、他の妊婦同様、開発中だったワクチンを投与され、結果、『堕天使』の母となる。
 アイフェンがそっと息をついた時、パイロットがいささか上ずった声でクロスを呼んだ。
「何事か」
 クロスの顔が傭兵のそれになる。
「ぜ、前方に巨大な積乱雲! あんなの、見たことない!」
 明らかに平静を失っている若いパイロットを軽くたしなめてから、クロスはコクピットに身を乗り出して前方を見据えた。
 それは真っ青な快晴の中、密度の濃い灰色の雲が、とぐろを巻く大蛇のようにうねっており、成層圏まで伸びている。
 所々が光っているのは、稲妻だろう。
 内部は激しい乱気流であると思われる。
 クロスが顎をしゃくったので、アイフェンもコクピットから覗く。
「あんな奇妙な積乱雲、初めて見るな」
 アイフェンの呟きを聞きとめたクロスが、怪訝な面持ちで彼を流し見た。
「初めて? ・・・ともかく、雲にのまれる前に、緊急着陸せよ」
 セスナが無事に着陸すると、パイロットに待機を命じ、二人は外に出た。
 アイフェンはふと、頬に冷たいものを感じて、拭った手の平を見る。
「雨?」
「いや、雪だ」
 クロスのつまらない冗談に苦笑したアイフェンは、空を見上げて息をのむ。
 あの積乱雲が、粉雪を撒き散らしていたのだ。
「すぐ止む。そして、あの積乱雲の中心から、稲妻がまっすぐ下に落ちる」
「クロス、予言者にでも鞍替えする気か?」
「予言? 本当に、これを知らないのか」
 訝しげなクロスに見据えられ、アイフェンは何を言われているのかさっぱりわからなかったが、彼が何か疑念を抱いた気配だけは感じ取れて、場所が場所だけに、冷や汗が伝った。
 バシン!と、轟音。
 またしても、クロスの言うとおりになったのだ。
 粉雪が消え去り、稲妻が大地に突き刺さるように、まっすぐ落ちた。
「・・・これで人を拾えば、まるきり、あの時の再現だ」
 そう言って、クロスがアイフェンをじっと見つめた。
 心臓が早鐘を打つ。
 先ほどまでのクロスの訝しげな面持ちの意味を、理解したのだ。
 おそらく、拾われたあの日、クロスはこの現象を見た。
 こんな現象を、あの場にいたアイフェンが知らないはずがないし、記憶から消えるには、印象深すぎる出来事。
 アイフェンは仮面を掛け直す仕草で、クロスから顔を背けた。
「・・・参ったな。どうやら本当に再現らしい・・・」
 クロスの呟きに、心底ギクリとしたアイフェンは、恐る恐る、彼の視線を追った。
 そこには、パイロットスーツにヘルメットという出で立ちの小柄な人間が、キビキビとした歩調で、セスナに向かってくる姿があったのだ。



 積乱雲は跡形もなく消え失せて、快晴の空に戻っていた。 
 セスナの前に立った者が、ヘルメットのサンバイザーで男か女か把握できない。
 だが、アイフェンの心臓は、千切れんばかりに動悸を早めていた。
 その人間が着ているのは、連合軍のパイロットスーツ。
 腕のエンブレムは、アースルーラー親衛隊・玉座の盾のものだ。
「アイフェン? 顔色が悪いぞ」
 クロスが言った途端、バタンと倒れたのは、パイロットスーツの方だった。
「おいおい。ま、中に運ぼうか。多分、熱中症だろう。この炎天下に、こんなもん着こんでるから・・・」
 パイロットスーツをヒョイと抱き上げて、クロスがセスナに戻った。
 動揺を隠せないアイフェンが、なかなか戻ってこないので、クロスが促す。
「ドクター・アイフェン! こういうのは、お前の管轄だろ」
 ここで突っ立っていても仕方ないので、アイフェンは仕方なくセスナに乗り込んだ。
 医療キットを取り出し、床に寝かされたパイロットスーツのヘルメットを脱がせる。
「――――!」
 ヘルメットからハラリとこぼれた長い栗色の髪。
 その顔立ちは、まだあどけなさが残る少女。
 それはかつて、アイフェンが幾度も交戦してきた少女兵だった。
「子供じゃないか」
 クロスが呟いたのを聞こえないふりをして、アイフェンは彼女のパイロットスーツを脱がせていった。
 アンダースーツが汗でぐっしょりだったので脱がせ、タオルをかけて裸を隠す。
 イオン飲料を医療キットから取り出したスポンジに含ませ、少女の唇に当てた。
 乾ききっていた唇が、愛らしいピンク色に戻ってきたかと思うと、それは生命力豊かに動き始め、貪るようにスポンジを吸い始める。
 それを確認すると、アイフェンはイオン飲料のペットボトルで、ポンと彼女の頬を叩いた。
 開かれた大きな目。
 その瞳は、堕天使の証である金色。
 跳ね起きた少女は、胸からタオルがはずれたのもおかまいなしに、差し出されたペットボトルをアイフェンから奪い取り、ガブガブと喉に流し込む。
「慌てて飲むな。口の中に含んで、それからゆっくり飲み込め」
 アイフェンの声に、一旦ペットボトルから口を離した少女は、彼の言葉に従った。
 その間に、少女の髪をハンカチでくくり、首筋に冷却シートを貼る。
 ようやく落ち着いたらしい少女は、我に返ったように、セスナの中を見渡した。
「大丈夫かね? 君は熱中症で倒れたんだ」
「・・・貴公らが助けてくれたのか。礼を言う」
 クロスが目をまたたく。
 そして、アイフェンに送られる視線。
 そうとも。この尊大な口調は、昔の誰かを彷彿とさせる。
 四十年以上も経って、またこんな問題に悩まされるとは、アイフェンとて思いもよらなかった。
「私はクロス。彼はアイフェン。君の名前は?」
「連合軍アースルーラー親衛隊・玉座の盾所属、技芸(ぎげい)中尉だ。貴公らは、民間人か」
 アイフェンは頭痛を通り越して、泣きたい気分になってきた。
 クロスの視線が痛くて、もはや、何も聞きたくない、言いたくない、見たくない。
 アイフェンは完全に試合放棄して、セスナのシートに体を投げ出し、明後日の方向を眺めていた。
「ああ、民間人だよ。技芸中尉は、こちらで何を?」
「ああ、実はここがどこかも、わかっていないのだ。つかぬことを尋ねるが、私以外に誰か見かけなかっただろうか」
「二人?」
「そうだ! 知っているのか!」
「さあ、それが中尉の仰ってる人物かどうかは、私にゃわかりませんがねぇ」
 クロスの視線は、いくら無視していても、アイフェンの心臓に突き刺さる。
「うむ。私が探しているのは、御一方はご尊顔聡明にして品格溢れた物腰の老紳士。もう一人は・・・」
 フェンの顔と声音が、険しく一変した。
「脳みそが風船でできた、軽薄と冗談が服を着た十代の男だ」
 なんという言われよう・・・。
 しかし、この二人の人物像は、クロスがアイフェンに抱く疑念から外れてくれる。
 マジェスティーは子供であったし、当時十代であったアイフェンだが、まさかこの酷評が彼を差しているなどと、クロスは思うまい。
 まあ、払拭までには至っていないだろうが。
「残念ですが、心当たりがないですな」
「そうか・・・。世話になった」
 立ち上がろうとした技芸が、足元をすくわれるように尻もちをついた。
「熱中症だと言ったろ、まだ動けないぞ」
 ドクターとして、言うべきことは言わなければならないので、仕方なく口を開く。
「そうか・・・、どうりで頭痛がすると思った」
 アイフェンは医療キットをまさぐり、注射器を取り出して、アンプルから薬を移した。
「腕。これで少しは楽になる」
「ああ、重ね重ねすまない」
 注射を打たれた技芸は、ものの数秒で眠りに落ちた。
「お前、それ、鎮静剤じゃないか」
「ん、ああ、間違えた」
 もちろん、わざとだが。
「・・・アイフェン、聞きたいことがあるんだが?」
「今考え事してるんだ。後にしてくれ」
「ああ、後でじっくりな」
 嫌な言い回しだ。
 まるで悪戯のバレた子供が、親に呼ばれた気分にさせられる。
 いや、とにかく、考えなければ。
 技芸をどうするか。
 このまま近くの街の病院に運んで、金だけは困らないように渡しておいて、置き去りにするのが一番か。
 ここが過去だと知って混乱するだろうが、帰れないとわかれば、あきらめて暮らすしかない。
 そうとも。まだ十二歳の子供だ。
 人生、なんとでもなる。
 アイフェンたちの時のように、親切な大男に拾われるかもしれないじゃないか。
 拾われて・・・。拾われ・・・。
「女の子だしなぁ・・・」
 ため息。
 連れて行きたくはない。
 連れて行きたくはないのだが・・・やはり、あそこしかないようだ。
 マジェスティーが不在の時だったのが、不幸中の幸いとでも思わなければ、やっていられなかった。





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